因果
いや、本来は今の姿が<
月城こよみに嫉妬し、くだらないイジメを繰り返してきたものの、その件についてはお釣りがくるほどの<報い>も受けたと言える。サタニキール=ヴェルナギュアヌェの一件でな。
とかく人間は<自業自得>だの<因果応報>だのという言葉を使いたがるが、そんなことを言っていては私達のような<超越者>はどうなるというのだ? 宇宙そのものをそこに生きる者共ごと消し去ったりもするような存在にどのような報いがあるというのか。
私達は死なん。人間が感じるような苦痛もない。厳密に言えばないこともないにせよ、やったことに見合うものでないのは事実だろう。
<神>と人間が称する存在はそういうものなのだ。<因果応報>が成立しないのである。
なにしろ因果そのものを書き換えたりもするからな。
人間の世界では原因があってこそ結果があるが、我々の次元になるとその因果を書き換えることによって原因がないまま結果だけを生じさせることもできてしまう。そんな存在に<因果応報>など意味がない。
しかも、人間の世界でも、結局は<報い>を受けることもない、いや、<自分が思っているような報い>を受けることなくそのままという事例もあるではないか。
もっとも、それはあくまで『思ってるような報いではない』というだけのことで、作った原因によって生じた結果は返ってきてるのだろうがな。
『信じられる者が周りに誰もいない』
などといった形で。
生涯、白い目で見られたまま人生を終えたりなどという形とかもあるだろう。
果たしてそれは<幸せ>と言えるのか?
赤島出姫織の場合は、本人がやったこと以上の<報い>は受けた。生きたまま手足をもがれ腹を裂かれ、死ぬこともできずに化生共に嬲られたのだからな。
それ以前にも、猛スピードで走る自動車から放り出されて追ってきたパトカーに轢き潰されるなんてこともあったな。報いとしてはさすがにそれで十分ではないのか?
にも拘らず、人間は過剰な<報い>を受けさせようとする傾向もある。本人がやったこと以上のそれを与えようとすることがある。
人間はとかく、
『目には目を、歯には歯を』
などという言葉を使いたがるが、その実、
『目を潰されたらやった奴の命で贖わせる』
『歯を折られてもやった奴の命で贖わせる』
ということをするではないか。それのどこが、『目には目を、歯には歯を』なのだ?
酷い矛盾もあったものだ。
だから、今の赤島出姫織が幸せになっても別に構わないのではないのか?
すでに報いは受けたのだから。
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