やったね。仲間が増えるよ

消防車や救急車、パトカーのサイレンが鳴り響く中、私と肥土透ひどとおるは自然科学部の部室で立ったまま向かい合っていた。


取り立てて特徴もなく、もちろん本来は召喚などできる筈もないこの単なる男子中学生がこれほどの騒ぎを起こすとは、私にとっても想定の範囲を超えていた。それはおそらくこいつ一人の力で引き起こせるようなことではないから、仕組んだ奴がいるのは間違いないだろう。とにかく順を追って話を整理したい。


しかしその前に……


私は一切の前置きなく無言のまま唐突に肥土透の腹に拳をお見舞いしていた。それも、さっきの戦闘で喰らわしたやつをだ。


「…っ!!」


肥土透は声を上げることすらできずに悶絶し、その場に倒れ伏す。


「余計な真似をしてこの私に手間を掛けさせた報いだ。食われないだけ感謝しろ。それと、私とお前の格の違いが文字通り骨の髄まで感じられただろう? 以降、わきまえてもらおうか」


生身の人間なら肉片になって飛び散る一撃だったが、さすがに今の肥土透の体であれば悶絶するだけで済んだか。もし死んでも巻き戻してやったから安心するがいい。


「…は…はい……」


部室備え付けのパイプ椅子に腰掛け、床に這いつくばったまま返事をする肥土透に向かって私は聞いた。


「お前が悪魔を呼び出す為に使ったのはこの魔法陣だな?」


私がちらりと視線を向けると、長机の上に置かれた魔法陣の紙が見えた。それはいかにもオカルトの本の付録で付いていそうな、安っぽい印刷された玩具同然の物だった。こんなもので悪魔を呼び出せるとか本気で考えたのだとしたら、それはもう正常な判断力が無かったということだな。


「そうです…」


腹を押さえながらようやく立ち上がった肥土透が答える。さすがに今の一撃で身の程を思い知ったのだろう。先程までとはすっかり様子が変わっていた。エニュラビルヌが私の一撃を喰らった時はまだこいつの体ではなかったから実感できなかったものが、自分の体になった上で喰らったことで私の力を実感できたという訳だ。


それにしても、こんなものでな。いや、別に本当は書式などそんな大した問題ではないのだ。最初の一押しができる力さえあれば、魔法陣などなくたって召喚はできる。だが本来人間には最初のその一押しができるだけの力が無いのだ。それを補うのが魔法陣ということだ。きちんと私達の側の存在に作用できる力が込められたな。


無論、こんな玩具にその力がある筈もない。にも拘らず召喚は成功し、肥土透が望んでいたものとは若干違ったが異形の化生が顕現してしまったのだ。もし、偶然、条件が揃い成功してしまったのだとしても、そのようなことが生じる可能性は数億年試してようやく一回あるかどうかだろう。


肥土透が使った現物に触れてみれば何か手明かりが掴めるかもと思ったが、確かにこれを起点にして空間が捩じられた痕跡は感じるものの、それ以外には何も感じ取れなかった。何者かが手を貸したのは間違いないにして、ここまで綺麗に痕跡を残さないとは、実に抜け目のない奴だ。これはかなり嫌な相手のようだと私は感じた。


どうやらいまだ姿の見えぬそいつについての手掛かりは期待できそうもない。仕方ないので、肥土透が今回の騒ぎを起こすに至った経緯の方を詳しく確認することにした。そちらに何か手掛かりがあるかも知れんからな。


「こんな玩具で悪魔を呼び出そうなどと、相当正気を失ってたな、お前」


私が指摘してやると、肥土透はバツが悪そうに目を逸らした。


「そうですね…。どうかしてたと自分でも思います。けど、僕の力じゃできることは何もなかったんです。ただの気休めでよかった。できないならできないっていうことを確かめたかったのかも知れません」


頭を掻きながらそう言う様子にも特に不審なところはなかった。本当に精神的に追い詰められて非論理的な行為に走ってしまっただけのようだ。


「そうか……まあ、人間ならそう考えても仕方ないのかも知れんな」


こちらも手掛かりになりそうにないと感じ急速に関心を失っていく自分を自覚しながら私は応えた。


「これから僕はどうなるんですか?」


不意に肥土透が問い掛ける。


「どうなるとは?」


正直、もう面倒臭くなってきていた私が聞き返す。


「いえ、だからこんな化物になってしまってどうしたらいいのかって…」


全く。そのくらい自分で考えろと言ってやりたかったがそれは敢えて堪えて応える。


「せっかく化物の力を手に入れたんだから、復讐でも何でもすればいいだろう。今のお前なら、人間など敵ではあるまい」


机に頬杖を突き、投げやりにそう言った。そうだ。私は別に人間同士の諍いがどうなろうと知ったことじゃない。大事なのは私が楽しめるかどうかだけだ。しかしそんな私に肥土透は少し苦しそうに言った。


「それはそうですけど、自分が本当にそういう力を手に入れてしまうと急に現実的になって…」


自分の手を、人間を軽々と殺せる力を得た手を見ながら、それをぐっと握り締める。


「人を殺すということが現実的になって怖くなったか…?」


私はそう問い返した。


「はい……こんなことになってしまって分かったんです。こうなる前の僕にとって人を殺すというのは、魔法とか悪魔とかと同じで空想上のことだった気がします。だけど、さっきは危うく本当に女の子を殺してしまうところでした。感触とかは全然残ってませんけど、もしかしたら僕が殺してたかもしれないって思うと…」


なるほど。実際に人を殺せる武器を手にして怖気づいたということか。まあ中学生なら仕方ないか。


「そうか。お前がそう思うのならそれでいいだろう。だが、お前は少し勘違いしてるから訂正しておいてやる。さっき暴れたのはお前じゃないぞ。お前を食ったエニュラビルヌという奴がしたことだ。お前はただ食われただけに過ぎん。だからあの女子生徒を食った感触も覚えてないんだ。食ったのはお前じゃなく、エニュラビルヌだからな。そのエニュラビルヌを私が食い、つまり殺し、残った体をお前の体の代わりに使えるようにしてやっただけだ。分かったか?」


肥土透が化物の体を得ることになった経緯を簡単に説明する。


「はい、何となくは…」


煮え切らない返事だが、ある程度は理解できたようだ。ふん。まあ何度も説明する手間が省けたのならいいだろう。


「それでいい。お前がこれまで通りの生活をしたいというのなら、そうすればいい。化物の力を使い復讐したいのなら、それも勝手にすればいいだろう。私はお前にその選択の機会をやるだけだ。それと、ついでだから教えておいてやる。人間でなくなってしまったのはお前だけじゃない。お前がさっき会った石脇佑香いしわきゆうかもそうだし、山下沙奈やましたさなもそうだ」


私の言葉に、肥土透が強く反応する。


「え!? 山下が!?」


石脇佑香について触れないのは、やはり記憶がないせいで実感がないからか。


「そうだ。しかも山下沙奈はその力で実際に三人の人間を殺した。もっとも、当の山下沙奈がそれを激しく後悔してたから、私がその三人を巻き戻して、生き返らせて、無かったことにしてやったがな」


山下沙奈のことについて、簡潔に説明する。


「その三人って、もしかして…?」


私の説明で察したのであろう。肥土透はそう訊いてきた。


「そうだ。山下沙奈を虐待して逮捕された三人だ」


私の言葉に、肥土透が息を呑む。


「…そんなことがあったんですか…」


驚きながらも、突然山下沙奈の身に降りかかった事件の真相に触れ、肥土透は何か得心がいったかのような顔をしていた。


「だから、山下沙奈が学校に戻ってきたらきちんと味方をしてやれよ。同じ人外の仲間なんだからな」


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