全裸中学生男子と割れた鏡

勝負は呆気なくついた。


エニュラビルヌは火球に呑まれ、白かったその肉はこんがりと良い色に焼けていた。とは言え、さすがに単にガスに引火させただけでは火力が足りないと思った私は、引火の瞬間に球状の壁を作って燃焼の圧力と熱を閉じ込め、更に熱線も内側に反射させることで高圧・高温の炉を作り出し焼いてやったのだ。


まあそれでも一瞬だったから焼けたのは表面だけで中身はレアどころか生のままだがな。とは言えこいつを弱らせるには十分だった。私はすかさずエニュラビルヌの存在を食らい、決着はついたのである。


ただ、壁に封じきれなかった分のガスも爆発し、その爆風でほとんどの校舎のガラスが割れたのはさすがにマズいと思い、炉の中でエニュラビルヌを焼いている間に中庭に面した分以外のガラスは巻き戻しておいた。ついでに、結果的に私が破壊したことになった教室の壁も巻き戻しておく。


その一方で爆発の痕跡も残したのは、学校の周囲の住人が目撃し聞いたであろう火柱と爆発音との整合性を取る為に敢えてそのままにしたのだ。


そうなればもちろん学校は蜂の巣を突いたかのように大騒ぎとなり、多くの生徒や教師が中庭を覗き込んだ。しかし私は当然のこととして認識阻害によってエニュラビルヌと私の姿を誰からも見えないようにしておいた。そこまで騒ぎを大きくするのは私も望まない。


やがて野次馬となって押し寄せる生徒を、中庭に入らないように教師が押し止める中、私は肥土透ひどとおるに話しかけていた。そう。エニュラビルヌがコレクションするのはデスマスクではなく、あくまでライフマスクなのだ。つまり、食われながらも生前の意識や記憶はそのままに、エニュラビルヌの頭部や首にコレクションされるのである。


「こいつを召喚したのはお前だな。肥土透」


静かにそう問い掛けた私に、肥土透は応えた。


「…お前、月城つきしろか…?」


こんがりと焼けた皮膚にみるみる生気が戻っていく。エニュラビルヌの存在そのものは私が食ったが、代わりに肥土透の意識とこの体を繋いでやったのだ。それにより肥土透自身がエニュラビルヌそのものとなり、凄まじい回復力で再生しつつあるのだ。しかし今はそれはどうでもいい。


「そうだ。質問に答えろ肥土透。こいつを召喚したのはお前だな?」


再度の私の問い掛けに肥土透は苦い笑みを浮かべたのだった。


「なんだよお前、そんなキャラだったのか? ああでも、それっぽいところはあったよな……そうだよ。僕が召喚した。だけど僕が召喚したかったのとは違ったけどね。悪魔を召喚したつもりだったのに、なんだこれ…」


悪魔だと? そんなものを召喚して何のつもりだったのやら。私が頭の中で思い浮かべたそんな疑問に答えるように、肥土透は語り始めた。


「僕の母親が、今、新興宗教にハマっててさ。家でお経あげたり家のこともしないでセミナーに参加してたりしてたうちはまだよかったんだけど、うちの貯金とか家の権利書まで教団に渡しちゃったんだ。おかげで家はメチャクチャさ。それで、母親と教団に復讐したくて、悪魔を呼び出そうと思ったんだ。でも、出てきたのはこんな怪物だった…」


そこで言葉が途切れ、だが何かを話そうとして懸命に口を動かす。私はその時を待ってやった。


「……ちくしょう……何やってんだよオレ…こんな怪物になっちゃって…どうするんだよ……」


唇を噛み締めて、肥土透は涙を溢れさせた。自分が怪物に食われ、そしてその怪物そのものになってしまったことを、すでに理解していたのだった。恐らく、私と向かい合ってる時には既に意識が戻っていたのだろう。だがその時に実際にこの体を支配していたのはエニュラビルヌであり、こいつはただそれを見ていただけに過ぎなかった。私がエニュラビルヌの存在を食い、意識をこの体に繋げてやったことで、自分が正気に戻ったように思ったようだ。


まあ、その辺の細かいことは後でもいい。今はいつまでもこんなところにいても仕方ない。


「後悔はあとでゆっくりすればいい。取り敢えずはその姿を何とかしろ。今のままじゃ家にも帰れんだろうが」


認識阻害によって他人からは見えないようになっているとはいえ、今のトカゲもどきの姿では目立って仕方ない。


「何とかしろと言われたって……あ、そうか、こういうことか」


肥土透は一瞬戸惑ったようだったが、すぐに何かに気付いたようにそう言った。その直後、巨大なトカゲのような姿がみるみる小さくなり、やがて人間の姿になった。全裸の中学生男子の姿に。


「って、これはさすがに」


慌てる肥土透に私は服を再生してやった。


「これは? 月城、お前がやったのか?」


ふん。服を再生したのは自分の力でないことは理解できたか。エニュラビルヌの肉体と意識を繋いでやったことで人間に擬態する能力があることには気付いたようだが、服までは直せないのを即座に理解できたのは大したものだ。


「そうだ。とにかくこっちにこい」


私は肥土透を伴ってガラスの割れた窓から教室に戻り、そして廊下へと出た。


だがそこには、ガラスの破片が飛び散っていた。おかしい、廊下側の壁と窓は巻き戻した筈だがと思いながらふと目をやると、そこにある筈の姿見の鏡が無くなっていた。


「あ…」


私は気付いてしまった。窓ガラスは直したが、ガス爆発の衝撃波で割れたのは窓だけではなかったのだ。こいつはとんだ凡ミスだ。私はすぐに鏡を巻き戻した。石脇佑香いしわきゆうかのデータが書き込まれた鏡を。


「あ~、びっくりした」


巻き戻された鏡に映った石脇佑香が言う。自分が破壊される瞬間の意識はあったのだろう。まあそうだろうと思って私がわざと記憶まで巻き戻さなかったのだが。


「鏡の中に人が!?」


肥土透が声を上げる。ああ、そうか。こいつにはもう石脇佑香の記憶は無かったんだったな。


「久しぶり。肥土君」


鏡の中からにこやかに笑いながら手を振る石脇佑香に、肥土透の戸惑いはピークに達する。


「お前は忘れているが、こいつは私やお前と同じ自然科学部の部員だった奴だぞ。名前は石脇佑香。代田真登美しろたまとみが透視で見たという7人目の部員だ」


私がそう説明してもすぐには理解できなかったようだ。無理もない。


「とにかく部室に来い。全部説明してやる」


そう言って歩き出した廊下の先に、私が教室から放り出した女子生徒がまだ倒れていた。それが自分を取り込んだエニュラビルヌに食われかけた女子生徒だと気付いた肥土透が言う。


「この子、生きてるのか? 月城」


私に問い掛けるその声にはかなりの焦りがあった。実際に食おうとしたのはエニュラビルヌなのだが、まるで自分が食おうとしてしまったかのような気がしていたのだろう。だから私は言ってやった。


「心配いらん。頭を打ってる上にガラスの破片で多少傷は負ってるが命に別状はない。気を失ってるだけだ。ついでに傷も治しておいてやる」


そう言って私が手をかざすと、体のあちこちに滲んでいた血が消えていく。その様子を肥土透は驚きのまなざしで見ていた。


「すごい、そんなこともできるのかお前」


感嘆の声を背に、私は再び歩きだす。


「言っておくが、私はお前とは次元の違う存在だ。今後はその辺もわきまえてもらうぞ」


その私の言葉に肥土透が苦笑いを浮かべる気配が伝わってくる。


「お前ノリノリだな」


まあ、状況が完全には理解できてない今は仕方ないが、こいつにもきっちりと身の程をわきまえさせなければならんな。


私はそう考えながら、部室のドアを開いたのだった。


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