Hunting 4

ギビルキニュイヌの女王がいかに大きくて頑丈だろうと、私に勝てる道理が無ければ、いずれ私が勝つ。こいつも回復はしてるだろうが、いくら私の攻撃力が不足してると言ってもこいつの回復よりはまだ威力は上だからな。


ただ、何度殴ってもしぶとく起き上がって向かってくる姿は、いつしか憐れにも見えてきていた。そう感じているのは当然ながら月城こよみの方なのだが、先程まであれほど昂っていた気分が今ではすっかり萎えているが分かる。それに代わって、ゲベルクライヒナの時と似たような感覚が私の体に満ちていた。


確かに人間を攫って食うような奴を放ってはおけない。かといってこんな風に一方的になぶるようなやり方も何か違う。そう感じているのが分かる。その所為で、私の攻撃の威力が徐々に落ちてきているのも分かった。それどころか、こいつの回復力の方が上回り始めている。こいつもそれに気付いたのだろう。突進の勢いが増してきていた。


マズいな。もう少し削ってからにしたかったんだが…。


月城こよみの熱が冷め始めているのを感じた私はいずれこうなることを予見して、別の攻撃手段を考えていた。しかしそちらだと一気に片を付けなければこいつに回復の機会を与えてしまうことになるかも知れず、できればこのまま殴り潰したかったのだ。だが致し方ない。


私は髪の毛に意識を集中し、再び女王の体に髪の毛を突き立てた。今度は全方位ではなく女王に集中させてである。それでもこれだけではこいつは潰せない。そこで私は突き抜けさせた髪の毛を女王の全身に巻き付け、そして一気に締め上げた。ワイヤーソーに見立て、スライスしてしまおうと考えたのだ。


だがこいつの体は、見た目とは裏腹に硬さもありながらしなやかで、気持ちよくスパッと切れてはくれなかった。私は渾身の力を込めて髪の毛を滑らしながらなお締め上げていく。すると、あるところまで持ち堪えていた女王の体が、まるで弾けるようにバラバラに千切れ跳んだ。その瞬間、こいつの肉ごと存在を喰う。数トンはあったその体はエネルギーに変換され、私の中へと流れ込んだ。


やれやれ。ぎりぎりだったな。もう少し手間取っていたら回復されて最初からやり直しだった。ケニャルデルやメヒェレネニィカのように本体そのものが非力な奴はそのまま喰えるんだが、ある程度以上となるとそれなりに弱らせてからでないとさすがに大人しく喰われてはくれない。


ホール内の兵隊共の体もエネルギーに変えて喰った私が踵を返しホールを出ようとすると、狩りから帰ったギビルキニュイヌが襲い掛かってきた。それをはたき落としてそいつも喰う。そして私は、散らばった骨を見下ろした。


クォ=ヨ=ムイとしては何の興味もなかったが、月城こよみの意識が私の足を押しとどめたのだ。仕方ない。エネルギーも十分あるし、巻き戻してやろう。


そして私は、巻き戻しを始めた。始めようとした。だが、何も起こらなかった。


「馬鹿な…」


思わず声に漏れる。試しに今さっき潰したギビルキニュイヌを巻き戻してみる。今度は問題なく成功し、私に襲い掛かってきたそいつを再び叩き潰して喰った。そして改めて人間の骨に対して巻き戻しを試す。


やはり大きな変化は起こらなかった。骨に積もった埃がいくらか散っただけの様だ。


「クォ=ヨ=ムイの力が低下している所為か…?」


どうやらそのようだった。既に1年以上は経過してるであろうこの遺体に対しては、私の力が届かなくなっているようだ。それが年単位なのか、月単位なのか、多少埃が散ったところを見れば数日程度はいけるようだが、正確なところはまだ確認できない。しかしこれは決して小さくない問題だった。ここまで私の力が低下しているとは。


これでは他にもできなくなっていることがありそうだ。何ができて何ができないのか。攻撃の威力が低下しているであろうことは分かっていた。未成熟のゲベルクライヒナを区別できなかったことから探知能力も低下している。ケニャルデルやケニャルデラに対して必要以上に怯え、いちいち精神的な変動が大きく体に影響する。そして今回分かった巻き戻しの時間的限界。


その辺りの状況を把握する為にも、ギビルキニュイヌ程度の雑魚相手でいろいろと確認する必要があるかも知れない。


私は廃ビルの屋上に上がり、次の気配を探った。


「…少し離れてるな」


見つかるのはすぐに見付かったが、今度は少し場所が離れていた。そこで私はようやく空間跳躍を行おうとしたのだった。だが、できなかった。


「これもか…」


そう呟きながらも廃ビルの屋上の上で試すと、数十メートル程度なら問題なくできた。仕方なく髪を羽に変化させて飛ぶ。その途中でたまたま狩りから戻るところだったギビルキニュイヌを叩き潰し、獲物として捕らえられていたアライグマごと喰った。そう言えば近頃、アライグマが野生化し繁殖してるという話もあったな。まさかここでそれを実感させられるとは思わなかった。


数キロ飛行し、気配が近くなり地上に降りる。見ればそこは、古い団地だった。その一室から気配を感じる。五階建ての四階部分の一室からだ。地面を蹴りベランダに跳び付く。明かりはついているが、一見すると人間の気配はない。だが確かにいる。認識阻害で気配を消し、カーテンの隙間から中を覗き込んだ。それはゴミが至る所に散乱した、いわゆる汚部屋だった。しかし見える範囲には何もいない。


窓が開いていたのでそっと中に入る。踏み入れた足元をゴキブリが走り抜けた。それに月城こよみの意識が反応する。


『ええい、いちいちこの程度でビクビクするな』


心の中でそう毒づきながら、足の踏み場もない部屋を進む。気配はどうやら風呂場からの様だった。しかも、僅かだが血の臭いもする。これまでのことを思えば量は知れているが、それでも普通の人間にとっては決して少なくない量の血の臭いだ。


「ヌェズレニェホァか…」


そっと風呂場のドアを開けて中を見た私の口から、そう言葉が漏れた。湯が張られた浴槽の中で女が一人、眠っている。だがそれは一目見てただ入浴中に居眠りしてしまった人間の姿でないのが分かった。湯が、真っ赤だったのだ。その女の頭には透明なクラゲのようなものが乗っていた。そいつがヌェズレニェホァだ。


人間に取り付いて活力や気力を吸う、さして力も無い低級な化生だ。しかしこいつに活力や気力を吸われた人間は無気力になり、活力を失い、場合によっては生きていくことにすら意味を見いだせなくなってしまって、元から心の弱い奴、弱っている奴などは最後には自ら死を選ぶこともある。この女の場合は湯の中で手首を切り、失血死を選んだという事か。


ヌェズレニェホァを喰い、巻き戻しで出血と傷を戻しておく。ヌェズレニェホァは喰ってやったから、まあ後は自分で回復するだろう。さて、今回は本当に雑魚にしても小物過ぎたと思いつつその場を立ち去ろうとした時、私は奇妙な違和感を覚えた。このゴミの散らかりようだから臭いのは当然なのだが、その臭いの中に糞尿の臭いが混じっていたのだ。それに気付いた時にはトイレで排泄するのも面倒になって部屋の中で済ましたのかとも思ったが、何かが違う気がした。そして改めてゴミを見た時、そこにあるものを見付けたのだ。


それは、新生児用の紙おむつの袋と、ミルクの空き缶だった。


『まさか…!?』


そう思った私は部屋を再度見回し、気付いた。ゴミの間に布団のようなものが見えたのだ。それも、大人が寝るようなものではなく、小さな布団だった。その部分のゴミをかき分けると、そこから現れたものに私は息を呑む。


赤ん坊だった。それも、生まれてまだ一ヶ月と経っていないような本当に小さな赤ん坊の遺体だった。浴槽で倒れていたのが母親か。ヌェズレニェホァに取り憑かれた母親が育児をする気力も失い放置され、恐らく崩れてきたゴミに埋もれたまま飢え死にしたのだろう。


それを見た瞬間、私の目から涙が溢れたのだった。


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