Guru

「こよみちゃん、食事に行きましょう」


六時過ぎ。祖母がそう声を掛けてきた。今日も刑事が事情を聞きに来るかと思ったが、さすがに昨日の騒ぎでそれどころじゃないか。だがまあ明日くらいにはまた来るだろう。少々面倒だが、アリバイ作りをやり直すことにした。


「ごめん、もうすぐ終わるから」


勉強をしているふりをして、また例のネットカフェのシステムに意識を飛ばし、今度は利用の無かったブースに私の顧客情報を書き込んだ。これならPCの利用履歴など関係あるまい。だがそうなると防犯カメラの映像も加工しなきゃならんのが面倒だった。しかし昨日はそれで横着して失敗したのだから、今度はしっかり丁寧に行う。変にはっきり写っているよりは、<私のように見える>程度の映像にしておく。この方がリアルだろうという判断だ。


時間にして一分もかかってないが、これでOKだな。たぶん……


ということで、祖母と一緒に食事の為に部屋を出ると、私は異様な気配にハッとなり、視線をそちらに向けた。それは、白い作務衣のような服を着た男だった。今朝、私の体を舐めまわすように見た男とは違う若い男だったが、その視線は明らかにまともじゃなかった。冷たくて感情が無くて意思も感じられない、昆虫のような目だ。見た情報を記憶する為だけの、人間性を失った目だ。


なるほど、私の部屋を確認したか。これはいよいよ鬱陶しいことになるな。


そうは思ったが、まあ変質者程度に目を付けられただけなら何とでもなる。ちょいと脅してやれば小便をちびって逃げ出すだろう。別にそれほど力も感じない。表面的には自らの意思を奪われてるようだが普通の人間だ。あの教祖らしき変質者は自分の意思を持ってるようだが、あれもただの人間だった。私にとっては何の脅威でもない。


祖母の後についてエレベーターに乗り、レストランフロアへと降りる。さすがにガラスが粉砕された側のレストランは休業中だったが、無事だった側のレストランは営業中だった。こちらは中華レストランで、祖母は中華はあまり好きではないということで点心を注文し、私は天津飯と麻婆豆腐を頼んだ。私も別に凝った料理が食べたい気分ではなかった。何やら昨日から無性に回転寿司が食べたい気分なのだ。生の肉を思いっ切り食った反動からか、生の魚を思い切り食いたい気分が続いてるようだ。


食事を終えてエレベーターで部屋のあるフロアに戻ると、私達の部屋の前に、あの白い作務衣のような服を着た人間が五人、立っていたのだった。


「あの、私達の部屋に何か御用でしょうか?」


祖母が怪訝そうにそう尋ねる。


すると、首にいくつも数珠を掛けたあの中年男が私達に向かって満面を笑みを浮かべ言った。


「ああ、これはこれは大変失礼しました。私は綺勝平法源きしょうだいらほうげんと申します、心理カウンセラーをやっている者です」


『心理カウンセラーだと?』


私は内心、笑いそうになっていた。その身なりで抜け抜けとよく言う。


綺勝平法源と名乗ったその男は、今朝、私がすれ違った時に感じた獲物を見定めた変質者の目ではなく、柔和でいかにも人の良さそうな笑みを浮かべていた。だが私には分かる。こいつの目の奥にあるのは、ねっとりと纏わりつくような淫猥な情念だ。しかもその男を取り巻いている人間達は、男二人女二人だと思うがどれもこれも意思を失った人形の目をしている。やはりまともではない。


「はあ…そのカウンセラーさんが何の御用でしょう?」


さすがに祖母もあからさまに不審がっているのが分かる。が、男の横に控えていた若い男が差し出したものを目にした時、それどころではなくなるのが分かった。


「実はこのような記事が雑誌に載っておりまして。ここに載っている写真はそちらのお嬢さんではないかと」


それは、ハイヤーに乗っている時に私が見せられたあの記事だった。


「何ですかこれは!?」


祖母は激しく動揺し、声を上げた。


「驚かれましたか」


男は努めて冷静を装っていたが、目の奥に厭らしい笑みがよぎるのを私は見逃さなかった。もっとも、祖母はそれどころじゃなかったが。


「こんな…こんなことはデタラメです! この子はこんなことできる子じゃありません」


雑誌を手に取り、わなわなと震える。


「そうでしょうそうでしょう。私も一目見てそう思いました。ここに書かれてることはすべてデタラメだと。ですからこのような許されざる横暴に対し、私としてもこれは決して放ってはおけないと声を掛けさせていただいた次第です。ですから是非、私共の部屋に来ていただいて、詳しいお話をさせていただきたいと思う次第なのです」


その男の申し出に、祖母は躊躇うことなく頷いた。


「分かりました。こよみちゃん。ちょっと一緒に来て」


いくらこの祖母でもこんな誘導に引っかかるほど世間知らずではない筈だが、この男は、カウンセラーという肩書はともかく少なからず言霊を使う多少の術を心得ているのは確かだと思った。


『やれやれ…』


正直、あまり関わりたくは無かったが、いざとなれば私の力でどうにでもなると思い、適当に付き合うことにした。それにこの週刊誌の記事がいかにデタラメかということを代わりに説明してくれるなら、私としても手間が省けるしな。


男達の部屋は、私達のそれよりもずっと広く、調度品も落ち着いた質感のあるもので統一され、いかにも高そうな雰囲気を醸し出していた。しかもその部屋には他にも何人かの人間がいて、そのどれもがやはり人形の目をしていたのだった。


私と祖母は応接セットが置かれたところに案内され、二人でソファーに腰かけた。その向かいに綺勝平法源と名乗る男が深く腰掛け、いかにも尊大な態度を見せた。そこにすかさずティーセットが用意されていく。


「紅茶の方がお二人にはお似合いかと思いましたが、もしコーヒーの方がよろしければそちらもご用意できますが、いかがでしょう?」


一見しただけなら穏やかそうに見える笑顔で、綺勝平法源は問い掛けた。


「いえ、お気遣いなく。それで、あの記事のことなんですが…」


さすがに祖母の方はそれどころではなく、すぐにでも本題に入ろうとしていた。恐らくそれも狙いだろうとも気付かずに。


「はい、こちらの記事ですね。実は私、本業はカウンセラーなのですが、悩める方々の心の拠り所とするべく綺真神きまみという相互扶助の為の団体を運営しておりまして、それが今、大変な誤解を受けて私共としても困っていた次第なのです。しかも、そちらのお嬢さんにまであらぬ疑いをかけてこのような破廉恥な記事が出される始末。ここはメディアの横暴に晒されている者同士、力を合わせてこの暴力に立ち向かっていかねばと考えているのです。もちろん、矢面に立つのは私共ですが、お二人にも私共が行っていることに対しご理解を賜りたくご案内させていただいたというのが事の経緯でして」


綺勝平法源はいかにも『同じ被害者の立場として』と言いたげに言葉を並べた。なるほどこいつらが雑誌に書かれていた綺真神教とかいう奴らか。


「そうだったんですか。本当に許せませんね。私達も微力ですが協力させていただきます。このような横暴を許さない為に、一緒に戦いましょう」


祖母はすっかりその気になっていた。男の話術そのものはそれほどとは感じなかったが、間違いなく言霊を使っているのは分かった。まあこの程度なら人間にもたまにいるレベルだから、それを使って自分の欲望を叶えている小悪党だというのが私の印象だった。祖母は騙せても、私は騙せない。


しかも、こいつの指示に従い紅茶を用意していた連中が妙な動きをするのを私は見逃さなかった。祖母の鞄の近くに何やら紙袋を置き、しかし何かそこから出すでもなく使うでもなく紅茶の用意が終わると共に持って行ってしまったのだ。怪しさしかない。


だが私は逆に、こいつらがどんな出し物を見せてくれるのかに興味を持ち始めていたのだった。


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