黒厄の餓獣
「くそっ! ボクのことバカにしやがって…!」
そんな感じで毒づいていたのは、
こいつ、普段はロクに口を開くこともないクセにゲームのこととなると殆ど別人になるな。
それにしても、自分もどこで拾ったのかも覚えとらん他人の写真をプロフィールに貼ってたくせに、どの面さげて会うつもりだったんだ? それで上手くいくとか考えてたんだとしたら、もはや頭がおかしいレベルだろうに。
「くそっ! くそっ!」
と何度も言いながら歩いてる音が聞こえる。
「お前が誰かなんて、ボクには分かってるんだぞ! お前、七組の碧空寺だろ? そのくらい、ボクにはお見通しだ!」
ブツブツと独り言を吐いてる様子が痛々しくて、頭を抱えそうになる。いかにも自分の推理力で見抜いたみたいなことを言っているが、石脇佑香曰く『別の学校ならすぐには分からないかもですけど、同じ学校なんですから、これで碧空寺さんだって分からなかったらヤバいレベルですよ』と笑っていた。しかもそれは碧空寺由紀嘉本人ではなく、乗っ取られたアカウントだ。お前は新伊崎千晶に完全に操られてるぞ。
ここまできれいに騙されるとは、新伊崎千晶のムァシュフヌレヒニ的には万々歳だろうな。さぞかし美味かったことだろう。
一方で、待ち合わせの場所で二時間待たされた挙句にすっぽかされた貴志騨一成はさすがに相当、頭に血が上っているようだった。これは事件になるかも知れんな。声を聴いているだけでもそういう印象がある。しかし、新伊崎千晶としては、自分をイジメた碧空寺由紀嘉への報復の意味もあるらしいから、笑いが止まるまい。
とは言え、私としてはあまり笑う気にもならん。こういう面倒臭いのは、今は気分じゃない。昔は策謀を巡らして人間共を右往左往させて楽しんだ時期もあったが、今は違う。もっと分かりやすく力比べをしたいだけだ。それで言えば、ショ=エルミナーレなどはけっこう楽しかった。負けるのは嫌いだしあの勝ち方は好ましくないが、ああいうギリギリの戦い自体は悪くない。そういう意味では、ムァシュフヌレヒニのような奴は私にとっては招かれざる客であると言える。
しかし貴志騨一成は一旦、家に帰るようにしたようだ。なんだ。直接乗り込んだりせんのか。と思っていたら。
「あらあ、捨てアカウント取ってブログ作って、碧空寺さんのことを誹謗中傷する記事をアップし始めましたね。『碧空寺由紀嘉は詐欺師だ』『碧空寺由紀嘉はビッチだ』だそうです。
…情けない……本人に直に文句を言うこともできずにチマチマとネット上で悪口を並べるだけか!? 貴様それでもチンポコついてるのか!? だー、くそっ!!
あまりの不甲斐なさに、私の方が腹が立ってきた。まあ、熱を上げてた相手に騙されてたことが分かった以上、どうせまた自然科学部に戻ってくるだろう。その時にでも文句の一つも言ってやる。
そんなことを考えてた私の耳に、石脇佑香の声が届いてきたのだった。
「あれ? 貴志騨君、どうしたの~? って、うわ! 何か出た!?」
慌てた風のその声に、「どうした?」と返すと、ディスプレイの画面が切り替わった。それは、どこかの部屋だった。棚を埋め尽くすアニメのそれらしき人形や、壁に貼られたアニメのポスターがいかにもな部屋だ。もちろん私にもピンときた。貴志騨一成の部屋だ。石脇佑香が、ノートPCのカメラで盗撮しているのだろう。だが、肝心の貴志騨一成の姿がない。ないが、私には分かってしまった。
いる……確かに部屋にはいる。カメラでは見えないところにいるだけだ。そして、画面の下の方で何かが動いたと見えた瞬間、横に裂けた巨大な口に鋭い牙を生やし、爛々と光る眼でぎょろりと睨み付ける、豚を思わせる潰れた鼻を持った醜悪な怪物の姿が、画面いっぱいに映し出されたのだった。やれやれ、陳腐な演出だな。今時そんなので怖がるのは子供だけだぞ。いや、子供でも怖がらんかもしれん。
などと、茶化してる場合ではないか。こいつ、コボリヌォフネリだな。生きてるものなら何でも食う、<黒厄の餓獣>とも言われるどうしようもない下賤の輩だ。貴志騨一成……貴様にはお似合いのやつだな。
さて、どうしたものかと思案してる間にも、コボリヌォフネリは部屋を出て行ってしまったようだ。ああこれは、被害が大きくなるなと思った時には、「ぎゃぁああぁぁあーっ!!!」っと、およそ普通の人間には出せない悲鳴が聞こえてきたのだった。一応、中年の女の声だろう。そのすぐ後でまた、同じように「ぎゃぁあーっ!!」っと、今度は子供のものらしい悲鳴が聞こえてきたのだった。しかも、悲鳴が聞こえなくなった後には、バキバキ、グチャグチャと、骨ごと肉を貪る音も聞こえてきていた。さっそく被害が出たか。家の中から聞こえたようだったから、貴志騨一成の家族が食われたというところだろうな。
基本的に私と関わっていることでそういう連中を呼び寄せやすくなってはいるんだろうが、よくまあそんな簡単に憑かれるものだとむしろ感心するよと呆れていた。だが。
…いや、違う、か…? これは、何者かの誘導、か?
私の脳裏に、閃くものがあった。騙されたことに気付いて頭に血が上った奴に、たまたま化生が憑依する。偶然にしては出来過ぎている。
「おい! 石脇佑香! 碧空寺由紀嘉は今どこだ!?」
私がそう訊いた直後に、
「貴志騨君の家のすぐ前にいますね~。古塩君の成り済ましに誘い出されたみたいです~」
と応えた。こいつ、分かってて黙ってたな。まったく、本当に性格が悪くなったぞ石脇佑香。まあいい、これで確信が得られた。これはムァシュフヌレヒニに憑かれた新伊崎千晶が仕掛けたことだ。他の下賤の輩を誘導し始めるくらいにまで育ったのなら、放ってもおけん。
「メールでも何でもいい、新伊崎千晶に連絡を取れ。今夜中にもクォ=ヨ=ムイが挨拶に行くとな」
石脇佑香にそう命じ、私は空間を超越した。貴志騨一成の自宅の前に。そこには姿は見えなかったが、いるな。近い。すぐ近くだ。血の臭いが、濃い。
その血の臭いをたどっていくと……いた。鉄道のガード下。照明が切れて完全な闇になっているそこに。貴志騨一成だった。いや、正確には貴志騨一成だったものか。その醜くねじくれた手に何かを掴み、一心不乱にそれを貪っていた。人間には暗すぎて見えないだろうが、私には分かる。短いスカートを穿いた、女の下半身だった。上半身は見当たらない。恐らくはもう奴の腹の中ということだろう。そして私には、もはや下半身しか残っていないそれが誰なのかということも分かっていた。碧空寺由紀嘉だ。
まったく。昨日は丸焼きにされ、今日は頭から丸かじりか。つくづくロクな死に方ができん奴だな。
私が近付いていくと、それに気付いた貴志騨一成だったもの=コボリヌォフネリの体がビクリと跳ねて、碧空寺由紀嘉の下半身を放りだし、一目散に逃げだした。コボリヌォフネリは、知能は決して高くないが危険を察知する程度のことはできる。私のような高次の存在とやり合おうとするほどは身の程知らずでもないのだった。
まるでマネキンのように道に転がる碧空寺由紀嘉の下半身を見下ろし、私は「やれやれ」と溜息を吐いた。こう何度も何度も私に巻き戻してもらえる人間など、そうはいないぞ。感謝することだ。
そして私は、碧空寺由紀嘉を巻き戻した。そして気を失ったままのそいつを肩に担いで貴志騨一成の家に行き、食い散らかされた家族の残骸も巻き戻した。それは、貴志騨一成の小学五年生の妹と、母親であった。
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