新伊崎千晶の策謀

「今日も貴志騨君、来なかったね」


部活もそろそろ終わりの時間になった頃、代田真登美しろたまとみが不意にそんなことを言いだした。


「そうね」


玖島楓恋くじまかれんが相槌を打つ。すると代田真登美が何かを決断したように大きく頷いて言った。


「今日、貴志騨君の家に行ってみる」


はあ? 何故家に? 話でも聞きたいなら学校にいる間に聞けばいいだろうと、二人のやり取りを聞いていた私は思ったが、それに応えるように代田真登美は続けた。


「もしかしたら学校では話しにくいことがあるかも知れないし、家で寛いでる時なら言えるかもしれないね」


なるほど。まあ一応、考えてはいるのか。


しかし月城こよみは、若干、困惑顔だった。貴志騨一成きしだかずしげがどうかということより、自宅まで押しかけようとするその熱心さに戸惑っているのだろう。自然科学部の次期部長候補とは言えど、こいつはもうオカルトに対する熱意など完全に失われている。単に、こういう責任感の強い人間の後を継ぐことになるのは大変だと思ってるに違いない。


すると案の定、


『うう…前任者が立派だと後任はプレッシャーがマシマシだなあ……』


などという思考が漏れ伝わってきた。普段は私に思考を読まれないようにと注意してるようだが、ふとした瞬間に漏れ出てしまうのだ。もっとも、私が意識して読もうとすれば全部丸見えだがな。


まあそれはさておき、月城こよみのその辺りの気持ちは、肥土透ひどとおるも今では理解できるようだ。こいつも以前は代田真登美が透視するとなればノリノリで協力もしていたが、いざ自分がこちら側の存在になってみると、こっちはこっちで現実というものがあり、何でも思い通りになる理想の世界でないということを思い知らされたことで目が覚めたらしい。私のように自分勝手な存在に手も足も出ないという理不尽さを知ってしまったからな。


そうだ。全てが思い通りになるなど、それこそ私と同次元の存在にでもなるしかない。しかし、そうなったらなったで、今度は無限に続く退屈な時間との戦いになるのだ。何でも思い通りなるなどというのは、実はそれほど面白いことでもない。一億年もすれば飽きてしまう。そして飽きてしまえば、その後は死ぬこともできず未来永劫さまよい続けるだけだ。だからどうにかしてその暇を潰そうとあれこれ工夫する。私達のような超越者は皆、延々と暇潰しを続けるだけの存在であるとも言える。たまに宇宙の終焉を眺めたり新しく宇宙を作ったりというイベントがあっても、それも何回もするとな……


などと、そんなことはどうでもいいのだ。


「ごめんね。私、弟達のお世話があるから行けないけど、貴志騨君のことお願い」


玖島楓恋が代田真登美に向かって手を合わせて頭を下げた。行きたくないからそう言ってるのではないとすぐに分かった。こいつはこいつで、貴志騨一成のことを気にかけている。こいつらは二人とも、そういう性分なのだった。


そう言えば、玖島楓恋の家は両親が共働きで、まだ保育園に通っている幼い弟の世話をこいつがしてるんだったな。しかもそれだけじゃなくて、近所の親の帰りの遅い子供らも自分の家に集めて世話をしてるとか。


母性の塊のような暑苦しいまでの胸は伊達ではないということだ。夏休み前の校内キャンプの時には母親がわざわざ仕事を早く切り上げて参加させてくれたそうだ。


しかしそれでいて、代田真登美も玖島楓恋も、片付けの類は少々苦手という一面もある。そのせいで部室が汚くても気にしないのだ。むしろ私の方が気にしてるくらいなのだから、まあ言わずもがなって感じだな。些細なことを気にしない大らかさがもたらす困った一面ということかも知れん。


部活が終わり、いつものメンツが私の家に集まる。と言うか、完全に私の家をそういう風にたまり場として利用するつもりだなこいつら。


「体調とかどう? 黄三縞さん」


月城こよみがそう問い掛けると、黄三縞亜蓮きみじまあれんが自分の腹を軽く撫でながら応えた。


「さすがにまだそんなには変わらないかな。気持ち悪くなったりっていうのもないし、そういうのがあるのはもうちょっと後なのかも」


確かに、夏休み中に着床したとなれば、まだ一ヶ月かそこらだろう。普通なら気付きもしないレベルかも知れん。月経が遅れてるとかいうのが気になり始めるにも早いと言える。妊娠が判明したのは、偶然だったからな。だが、あんまり気楽にもしてられん。普通の人間の胎児であればこの後に生じる不都合もたかが知れているだろうが、黄三縞亜蓮の腹の中にいるのは、カハ=レルゼルブゥアに憑依された胎児なのだ。今は眠っているとしても、この先、有り得ない面倒が起こる筈だ。こいつらは本当にそれが分かっているのか?。


そんな私の懸念などどこ吹く風とばかりに、月城こよみも、肥土透も、山下沙奈やましたさなも、黄三縞亜蓮の胎内に宿った新しい命を祝福している様子だった。


「ここに赤ちゃんがいるんだね……触っていい?」


月城こよみが問い掛けると、黄三縞亜蓮が「いいよ」と頷く。


「まだ全然、普通だね」


そっと触れながら柔和な表情でそう言う月城こよみに、黄三縞亜蓮が柔らかく微笑む。


「私でもまだ分からないくらいだから、当然だよ」


けっ! 何だこの甘ったるい空間は? 


その雰囲気についていけなくなった私は、一人、視線を逸らし今日の教室でのことを思い出していた。碧空寺由紀嘉へきくうじゆきかは、体調不良だということで欠席していた。さすがに昨日のことが堪えたのだろう。黒焦げにされたことは幻覚か何かだと思っていたとしても、イチャイチャラブラブのつもりだった古塩貴生ふるしおきせいのあの態度にはショックを受けただろうからな。


石脇佑香いしわきゆうかはまだ姿を見せん。恐らく碧空寺由紀嘉や新伊崎千晶にいざきちあき辺りの監視に夢中なのだろう。何か大きな動きがあれば報告があるだろうがそれもない。もっとも、あいつのことだから少々のことがあっても勝手に遊んだりしてるのかも知れんが。


まあいい。ムァシュフヌレヒニが何か大きなことをやかせばその気配は私にも届く。動くのはそれからでも構わんだろう。




だがこの時、新伊崎千晶は次の手を打っていたのだった。後になって分かったのだが、黄三縞亜蓮に対する古塩貴生の様子にショックを受けた碧空寺由紀嘉に対し、


『ごめん、実は昨日のは演技だったんだ。お前の前であいつに、俺の方に未練がある風にしてみたら、見栄を張ってああ言うかと思ったんだよ。敵を欺くにはまず味方っていうだろ?』


などということを送ってたらしい。抜け抜けとよく言うものだと思うが、


『そうだったんだ!? やっぱり嘘吐いてたのはあのコの方だったんだね!』


などと、効果は十分にあったようだ。それで誤魔化されるとは、碧空寺由紀嘉もどうしようもないな。


しかもそれだけじゃない。奴はさらにことを進める為の仕掛けをしていたのだ。それ自体は大して害も無いものなのだが、因縁が結ばれると形になるというものだ。平たく言えば、化生を呼び寄せやすくなる環境になる仕掛けを、それぞれの人間に送り付けたメッセージに忍ばせていたのだ。その人間の強い感情と化生共とを結び付けやすくする仕掛けをな。


とは言え、それを送り付けられた人間が望み、さらにそれに応える奴がいなければ形にはならん。だから私も気付かなかった。その程度の実に些細な仕掛けだった。しかし奴は、人間の感情が高ぶるように誘導した。相手を騙し、弄び、貶めた。奴が詐欺行為を働いていた本当の目的はそちらだったのだ。


私にとってその程度のことはどうでもいいと言えばどうでもいいことだったとはいえ、まんまとしてやられたという面も無い訳じゃない。そういう意味で言えば、新伊崎千晶は大した奴だったと思わなくもないんだがな。


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