Invisible Stalker

それは夜中の2時くらいだったろうか。


ソファーで裸のまま寝ていた私は、何かを感じ取り、目が覚めた。暗闇と静寂がリビングを包んでいたが、私には分かる。ピリピリとした感覚が、肌を撫でていく。


何かが…いる。


普通の人間には見えないものが見えるはずの私の目にさえ見えないが、確かに何かがこの空間の中にいた。ねっとりと絡み付くような気配がある。


それに気付いた瞬間、私の体を下から上へと衝撃が奔り抜けた。ビクンッと体が勝手に反応する。


私の股間から鋭く尖った何かが体の中に滑り込み、子宮やら胃やら心臓やら食道やらを貫いて脳に達し、頭蓋を割って突き抜けたのが分かった。平たく言えば、私は股間から頭のてっぺんまで串刺しにされたのだ。体内にはほとんど触覚がないから、膣の入り口付近と食道と頭頂辺りに感触を感じるだけだったが。


人間なら即死だっただろう。何しろ脳幹も破壊されたのが分かったからな。生命を維持する上で必須の肉体の機能を制御する部分が損なわれれば、心臓は止まり自発呼吸もできず、すぐさま死に至る。


しかしよくもまあ、こんな下品な真似をするものだな。意図してやったのだとしたら、相当な変態嗜好だ。もっともにそんな人間的な感覚があればの話だが。そういうものはあくまで人間を基準にすればのことでしかない。今の私はまだ、人間としての感覚を残してるからこんなことを考えてしまうのだろう。だが、それだけだ。何のつもりでこんな下らぬ真似をしたか知らんが、無論、覚悟の上であろうなあ?


「ふんっ!」


本来ならできない筈の鋭い呼気と共に少し体をひねり体を跳ね上げると、私を貫いていたものが股間のすぐ近くで折れて、自由に動けるようになった。足を着き立ち上がったそこは壁だった。降りるところを少々間違えたようだが、私にとっては別に大した問題じゃない。しかもその頃にはもう、体を貫いていたものの感触は消え去り、頭頂部の傷も消えていた。


「ふむ……」


室内を見回すが、やはり下賤の輩の姿は確認できなかった。だが私にはそれで十分だった。視覚を中心とした感覚では探知できない。視認できない槍や串のようなものによる単純な刺突攻撃。この状況に当てはまる奴などそうはいない。相手が何者かはもはや判明している。


「インビジブル・ストーカー…グェチェハウか。物理攻撃しか出来ず有効な変質を与えられぬ貴様がいくら姿を隠そうとも、私に勝てるわけがなかろう?」


私がそう宣告してやったというのに、グェチェハウはまだやる気のようだった。姿は見えないが、強い攻撃衝動がこの空間に満ちているのを感じる。その蛮勇は褒めてやりたいが、愚かだ。貴様が私に勝てる道理など、この宇宙には存在しない。お前の姿など見えなくても私は何も困らない。


次の瞬間、するり、と、私の左の乳房の脇から体の中に滑り込み、肺と心臓を抜けて右脇腹へと目に見えない巨大な串が再び私を貫いた。しかしそれも、体をねじってへし折って、私の一部に変質させる。さらに間髪入れず、今度は斜め上から右目を貫いて延髄を破壊し首のやや下背中側から串が突き抜けた。それとほぼ同時に、右の肋骨の下あたりからまた肺と心臓を貫いて左肩に抜けたり、左の太腿後ろ側から上に向かって腸や腎臓を刺し貫き右肩甲骨の辺りから突き抜けた串もあった。僅かに遅れて、右の尻から左の肩甲骨へと突き抜けたもの、右の鎖骨から左の脇腹へと突き抜けたものもある。


「…やれやれ……」


なかなかサービスしてくれるものだが、こんなものでは私は満たされてなどやらんぞ。と思っていたら、それぞれの串が全く別々の方向へすさまじい力で振られ、私の体はぶちぶちと音を立てていくつにも引き千切られたのであった。それぞれの部分から血が噴き出しはらわたがまき散らされ、私は<人間ではないもの>に成り果てた。


つい先ほどまでは人間としての私だったそれらは、串刺しのままでびちゃびちゃと音を立てながら、振り回された。壁と言わず天井と言わず血が飛び散り、垂れ下がった腸や肉片が家財を叩いた。普通の人間の目には、血まみれの肉片がデタラメにリビング内を飛び回っているように見えるだろう。もっとも、そう認識出来ればの話だが。まあ大抵の人間は何が起こっているのかも分からずに茫然と眺めるか、下手に認識できてしまったらあまりのおぞましさに狂気の叫びを上げるだろうがな。


だがそれでも、私の存在は失われたりなどしない。こんな事では私を不可逆的に変質させることは叶わぬ。しばらく付き合ってはやったが、やはりどうやらこれ以上の出し物はなさそうだ。つまらぬ。


「くくく…くぁ、かぁははははっははは!!」


串に貫かれ振り回されたまま、私は笑った。口の両端を吊り上げ、見た者の魂を裂き潰す狂悦の笑みを。そして左足は天井を蹴り、右手は千切れた別の部分を掴み寄せ、左手は腸を巻き取り、右足は壁を走った。飛び散った血は雨のように私を中心にして降り注ぎ、無数の私が集まり一つになる。この程度の変質を巻き戻すのに千分の一秒も要らん。なんとかして私を楽しませようとしてくれたようだが、もう飽きた。


さらに何本もの串が私の体をあらゆる角度から刺し貫くが、しつこいだけで何も面白くない。暇潰しにもならぬ。


、ね」


私が首を振り髪をなびかせ、力を込めた瞬間、髪の毛の一本一本がこの地球上のいかなる物質よりも固く鋭くなり、リビングの空間すべてを数ミリから数センチの間隔で貫いた。もちろん、私自身の体も例外なくだ。死角など与えぬ。


「貴様の防御は光を欺き相手の視覚から逃れるだけのものでしかない。空気すら欺き音も臭いも伝えはせぬが、所詮はそれだけだ。しかも貴様が攻撃する為には相手に近付かねばならぬ。それでどうやって私の攻撃を防ぐつもりだったのだ?」


飽和攻撃だった。これまでの攻撃から類推される<奴>の大きさは少なくとも二メートル以上。無数の触角を槍や串のように硬質化させて相手を貫く事により攻撃に死角は持たぬが、一方で姿を隠すしか身を守る方法のない奴には防ぎようのない攻撃だ。こんな単純な攻撃すらも躱せぬ下等な存在が何のつもりだったのやら。


私は、空間の一部にはっきりとした手応え、いや、この場合は<髪応え>とでも言うべきか?を感じていた。それと同時に、そいつ、グェチェハウの存在を奪い取る。


しかし私は、この家の壁や家財道具にはほんの数ミクロンしか食い込ませてはいない。今はまだ、この空間には執着が残っているのでな。壊した後で巻き戻してもいいが、面倒だし。


存在を失ってもなお姿の見えぬストーカーは、姿を現さぬまま不可逆的に変質し、そして完全に消え去った。見えないが、私にはそれが分かる。


先日のデニャヌスに今回のグェチェハウ。この程度の奴らが進んで私に挑むとは考えにくい。奴らと私とは、存在そのものの次元が違うのだ。アリが一匹で海にいるクジラに挑むようなものだ。勝負にすらならん。どうやらこれは、単なる虫けらの蛮勇ではなさそうだ。後ろで糸を引いているものがいるということだろう。


ざっと一万年の間、人間に転生を繰り返してきた私がここにきて本来の私を取り戻したのも、こうなると偶然ではあるまい。ちぎった小さな紙きれを浮かせたり、普通の人間には見えぬものが見えたりという程度ではあったが私の力の片鱗が漏れ出ていたのもそれが原因かも知れぬな。


狙われる心当たりなど有り過ぎて逆に見当もつかぬが、わざわざこうやって私の力に探りを入れてきているところを見ると、どうせナワバリ狙いのチンピラだろう。やれやれだ。


私自身は人間としての生にまだ飽きてはいなかったのだがな。喧嘩を売ってくるというのであればそれを買わない理由もない。せっかくちょっかいを掛けてくれるというのだから、ぜひとも楽しませてもらいたいものだ。


真っ暗なリビングで全裸で仁王立ちになりながら、狂宴の予感に私はまた笑みを浮かべていたのであった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る