真っ向勝負
体の中で産卵の準備が整うまでの間、私はぼんやりと考え事をしていた。
卵を産んで次の世代を残せれば、この体の本来の持ち主であるゴキブリも本望だろう。
だが、正直、何か物足りない気もする。何かやり残しているような気分があるのだ。
もっとも、それが非常にくだらないことであるのも分かっている。ゴキブリにとっても、私自身にとっても、実にどうでもいいくだらないことであると。
分かっていても引っかかる。
『やはり背を見せたことがな……』
あの男と他のコロニーのゴキブリ共とネズミを相手にただ逃げ出したことが今も引っかかっているのである。
そう。本当に何の意味もない、くだらないことだ。冷静に考えれば今の私はゴキブリなのだから、勝てない、勝ちきれない戦いなど無視して逃げればいいのだ。それが正解なのである。
しかしなぜか私にとってそのことは、奥歯に挟まったスルメのごとく、心に引っかかって消えない。
負けず嫌いと言うか何と言うか、私のこういうところは本当に我ながら始末に負えん。
まったくもって度し難い。
なんとかならんものかなあ。
などと考えていても収まらんので、卵を生み終えて身軽になった私は、最初のあの部屋へと向かっていた。
どうせもう残り少ない命であるなら、むしろ心残りがない状態で最期を迎えた方がより安全だろう。
というわけで、あの男に最後の勝負を挑む。
ゴキブリとネズミについては、まあまだ我慢できる。だが、あの男とは決着をつけたいのだ。
人間には理解できん拘りだろう。理解してもらいたいとも思わん。
永遠に暇潰しを続ける私にとっては、世界を救うことも、ゴキブリの体で人間に戦いを挑むことも、大した差はないのである。そんな私の感覚を理解できる筈もないだろう。
だから私は行く。
己が望むものを得るために。
「ぬ…!? またか…! 殺虫剤も撒いたというのに…!」
部屋の隅に私の姿を見付け、男は忌々し気に呻いた。
「……!」
小娘は怯えた目で私を見ている。それがまた男には癇に障るようだ。そんなに小娘のことが大事なら、もっと分かりやすく優しくしてやれ。
もっとも、男に対して負い目を感じている小娘に対して変に優しくするとかえって追い詰めることになる可能性もあるがな。だから男の対応は実は理に適っているのかもしれん。
まあそれはさて置き、部屋の中の殺虫剤はかなり薄まっていたとはいえ、長時間留まれば命にも係わる可能性があった。
が、今の私にはもう関係ない。
私はこの男と決着をつけたいだけだ。
私の勝利条件? それは、男の顔に飛びついて、転倒させてやることか。
ゴキブリの私が真っ向勝負で人間をどうにかできるわけがないからな。
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