Determination
だが、エヴィヌァホゥァハは元々その人間が抱いていた嫉妬を餌にしている奴だから、憑かれる以前からこの三人が月城こよみに対して何らかの嫉妬、もしくはそれに近い感情を抱いていたのは間違いないのだろう。それが何であったのかはどうでもいいことだがな。
いずれにせよクラスで最も月城こよみに対して強い負の感情を抱いていた人間がそれを激減させたことで、雰囲気が大きく変わったのは間違いない。全てが劇的に好転することはないにしても、とにかく状況は変わるだろう。事実、午後からの月城こよみの周囲は非常に平静だった。近くを通った際に偶然当たってしまったと装って手をぶつけてくる者もいないし、同じく偶然を装って机を蹴る者もいない。紙くずを投げつけてくる者もいない。
もっとも、それは今だけということも十分に有り得るが。状況によって手のひらをくるくる翻す者は確かに多くても、人間の本質というものはそんなに簡単には変わらんからな。
まあそれでも別に構わんだろう。今の月城こよみにとっては些末な問題だ。
平穏な午後の時間が過ぎ、ホームルームを終えて下校の時間となった。今日も部活には出ず、そのまま祖母の待つホテルへ帰る。校舎を出て校門に向かって歩くと、いつものようにハイヤーが見えた。すると月城こよみが、校舎の方を振り返った。それも、自分の教室がある校舎ではなく、自然科学部の部室がある校舎の方だ。
『どうした?』
私が訊くと、
『何でもない。向こうはどうしてるのかなってちょっと思っただけ。別に平和そのものみたいだけど』
まあ、強く緊張していたりある程度以上の力を使おうとしていたらこちらにも気配が伝わって来る筈だから、それが無いということは確かに平和だということなのだろう。こちらは少々いろいろあるというのに、呑気なものだ。ケニャルデルごときに後れを取ったことがきっかけになったかも知れんというのにな。
とは言え、それを嘆いても始まらん。こちらはこちらでやるしかないのだ。それに、向こうが特に変わりないなら、月城こよみにとってはむしろ都合がいいはずだ。何しろ両親を巻き戻してもらうにはあちらの力が必要なのだし。
だから敢えて今は関わることは避ける。それが月城こよみの判断のようだった。私もそれには反対する理由はなかった。こういう状況は初めてなのだから、無理に同期したりすればそれこそ何が起こるか分からないというのもある。長く同期せずに互いの考えにズレが生じて結果として私同士で戦うようになったことは何度かある。しかし今回のはそれとも違うのだ。共倒れになれば逆に一つに戻るから徹底的にやり合えばいいという訳にもいかなそうだからな。
校門の方に向き直り再び歩き出す。ハイヤーの運転手と軽く挨拶をして、他の生徒達の注目の中、乗り込んだ。さすがに朝を無事にやり過ごせたからか、お互い気まずさはマシになったようだ。何もなかった。どちらもそれで貫こうということだろう。
学校前を出発し、ホテルに向かう途中で、やはりマスコミがしつこく付きまとってきた。その時、たまたま通りがかったパトカーに、マスコミのバイクが止められる。声を拾うと、『危険な真似は控えてください。危険運転で検挙しますよ』というような警告を受けてるのが分かった。いい気味だとも思ったが、それで懲りるような連中でもないか。
それ以外は特に問題もなくホテルに着いた。今日は何も起こらない。まあ、毎日毎日何かあっても困ると言えば困るが。ただ、昨夜の続きをどうするかは、後で考えなければいかんだろう。
ハイヤーを降りる時、運転手が丁寧に頭を下げた。それまで以上に丁寧だった気もする。本当に何もなかったことにしてくれた月城こよみへの感謝の意味もあるのかも知れん。
その運転手に見送られながらエレベーターホールに入り、エレベーターを待つ。すると月城こよみが話し掛けてきた。
『どうしよう。今夜も行った方がいいのかな』
昨日の続きをどうするかという話だと分かった。だから私としても周りくどいことを言っても意味がないので単刀直入に言う。
『お前さえ良ければ私としては早く片を付けたいんだがな』
その言葉の意味するところを月城こよみも察したようだ。
『あの
的確に必要なところを突いてくる。さすが私。
『そうだ。どうにも奴は気に入らん』
正直、私の楽しみとはどうにも方向性が合わないのだ。無駄に面倒が増えるばかりで鬱陶しい。そういう奴についてはさっさと潰してしまいたい。するとそれを察したかのように月城こよみが訊いてくる。
『殺すの?』
短く、そして端的な問い掛けだ。しかしまだ狙いがいいとは言い難い。
『それはお前次第だ。別に殺さずとも力を奪うくらいはできる筈だからな』
そう。私は殺しが楽しみたい訳じゃない。そもそも人間を殺しても面白くもない。死は安らぎだ。私は気に入らん奴に安らぎを与えてやるような慈悲の心など持ち合わせていない。だがその辺りの感覚までは人間には伝わらなかったようだ。いや、理解した上での妥協かも知れん。月城こよみが言う。
『そっか。殺すとかじゃないんだったら、協力してもいいよ。どうせ向こうも放っておいてくれないんでしょ?』
その言葉に、私はニヤリと笑みを浮かべた。が、それを表現する体は今の私にはないが。
『物分かりが良くて助かる』
私の言葉に月城こよみは諦めにも似た表情を浮かべ、応える。
『そりゃまあ、私はあなただからね』
すぐさまそれに続けて付け足した。
『それに昨夜の子のことも気になるし、まずはそっちを確認しに行きたい』
ああ、昨夜のアルヴィシャネヒラ(仮)のことか。
『物好きな奴だ。だが奴は人間じゃない。元々人間だった奴が変化した訳じゃない。生粋の化生だ。人間の社会では生きられんぞ』
その私の忠告に、月城こよみは俯きながら応えた。
『分かってる。でもほっとけないから』
確かに人間の感覚としては、どう見ても人間の子供にしか見えず、しかもか弱く怯えているようなあれに同情的になるのは仕方ないのだろう。だが、それはあくまで人間の感覚の話だ。奴らにそれは通じないのだ。おそらくあれを飼ってみたとしても、それを思い知ることにしかならんだろう。犬猫を拾うのとは訳が違うのである。
だがまあ、それを思い知るのならそれはそれで意味があるというものか。人間に分からせるには経験させるのが一番だからな。だから私は言った。
『好きにしろ』
しかしそれで怯むような奴ではなかった。にっこりと笑いながら平然と応える。
『分かった。好きにする。だけど知恵は貸してね』
まったく。抜け抜けとよく言う。しかしそういう意味でもさすがは私と言えるかも知れんな。エレベーターが開き、乗り込む月城こよみはどこか楽しそうにも見えた。
とは言え、私自身、これからどうなるのかは正直言って見当もつかない。雑魚が相手ならどうにでもなるだろうが、変に当たりを引いてしまった場合、どうなることやら。だがまあ、出たとこ勝負というのも悪くはないのか。
予測不能な状況そのものを楽しむしかないのかと、私自身も開き直ろうと思うのだった。
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