二律背反

「あ、あれ? 私、どうしてこんなところで…?」


意識を取り戻した代田真登美しろたまとみが、呆然とした様子でそう言っていた。記憶も巻き戻したからコボリヌォフネリに襲われたこと自体、覚えていない。


貴志騨一成きしだかずしげは先に家に帰した。私は気配を消した状態で代田真登美の様子を見ていた。自分に何が起こったのか全く分からない状態でしきりに首をひねりながら、貴志騨一成の家の方へと歩いて行った。


まあ、こっちの方はこれでもう大丈夫だろう。コボリヌォフネリにしても、貴志騨一成が理性を失わなければ表には出てこれん。もしものことがあってもまた巻き戻してやる。


それよりも、新伊崎千晶にいざきちあきだ。奴め、着実に力を付けている。ならばやはり放っては置けんな。ここまでのことができるくらい成長しているなら気配で特定するのも容易かろう。育っていないうちに探そうとしても似たようなものの数が多すぎて探すのが面倒だからな。私がムァシュフヌレヒニの気配を探ると、すぐさま見付かった。


「いらっしゃい。悪魔さん」


回りくどいことはもう要らん。とっととケリをつけてやろうと新伊崎千晶の下に出向いてやった。奴の部屋だ。今の私の自宅とよく似た、恐らく築三十年から四十年ほどの建売住宅の一室が奴の部屋だった。ゴミが散乱し、雑多な臭いが混じった空気の澱んだ部屋だった。その部屋に置かれた子供用の学習机にノートPCを置き、その前に座っていた奴が、私に背を向けたまま、開口一番そう言った。


悪魔……そう言えば、綺勝平法源きしょうだいらほうげんも私のことをそう呼んでいたな。しかも、それだけではない。


「…お前、綺勝平法源と同じ臭いがするな」


その私の言葉を耳にした新伊崎千晶が、するりとこちらに向き直った。引きこもっていたクセにいかにも今風のギャルといった風体ながら、ニヤニヤとどこかで見たような品のない笑みを浮かべ、顔の作りそのものは子供のそれだが、とても中学生とは思えない老成した表情を見せる女だった。そいつが言う。


「あら、それは心外だわ。正しくは、あの男が私に似てるだけよ」


ほう? 言うじゃないか。だが新伊崎千晶が続ける。


「私がちょっと力を分けてあげたら調子に乗っちゃって。バカな男ね」


『…なんだと? お前が、奴に力を…?』


だが、ムァシュフヌレヒニ程度にそれほどの力がある筈がない。と私が思った瞬間、新伊崎千晶から放たれていた気配が全く別のものに変化した。これは…まさか…!?


この時、私は、本当に驚いていた。恐らくここ数億年で一番驚いていただろう。私にとっても有り得ないものを見てしまったのだから。


新伊崎千晶の唇の端が吊り上がり、笑みの表情を形作った。だがそれは、笑顔などでは決してなかった。普通の人間が見れば糞も小便も垂れ流して発狂するであろう、狂悦の笑みだった。


「お久しぶりね、私」


『私』。奴は確かにそう言った。それはそうだろう。何故ならこいつは、『私』なのだから。正確には、『かつて私だったもの』と言うべきか。


そう、こいつは、『私』。クォ=ヨ=ムイなのだ。そして私は思い出していた。この宇宙に来る以前の宇宙であった出来事を。宇宙そのものを巻き込んだ戦いで、その時に私が戦っていた奴をブラックホールに放り込む為に、作ってあったもう一人の私を囮に使い、もろともブラックホールに放り込んでやった時のことを。そしてその宇宙は、私達の戦いの影響でバランスを失い、もう一人の私が落ちたブラックホールごと消滅したのだった。


間違いない。こいつは、あの時、ブラックホールごと宇宙の消滅に巻き込まれて消えた、クォ=ヨ=ムイだ。復活していたのか。しかも、私と一つに戻らずに、独立した存在として。道理でブラックホールに落ちた後の記憶がないと思った。これまではそれはまだ復活していないからだと思っていたが、そうではなかったのだな。


新伊崎千晶が、いや、クォ=ヨ=ムイが言う。


「あなたに気付かれないようにするのは、別に難しくもなかったけどね。何しろ私達は本来同一の存在なのだから、意識しないと感じ取れないし。念の為にムァシュフヌレヒニの『嘘』を使って認識できないようにしてたけど、その必要もなかったみたい」


『…こいつ…いつから……いや、そうか…!』


私は気付いてしまった。と言うよりも、最初から分かっていた筈なのだ。クォ=ヨ=ムイとしての私の意識が覚醒してしまったのも、下賤の連中をけしかけていたのも、もう一人の私を消した<毒>を作ったのも、こいつなのだ。こいつが仕掛けたことなのである。いや、むしろこいつでなければ、私自身でなければ、今までのことはできなかったのだ。私に気付かれずにそのようなことをするという真似自体が。


「貴様…何のつもりだ…?」


思わず問い掛けてしまったが、我ながら意味の無いことをしたと思う。それを裏付けるように、奴が応えた。


「あら? 随分なご挨拶じゃない? 私を囮になんてこすいことをしたことのお礼に決まってるでしょう?」


やはりか。こいつが私と分かれて既に百億年ほど。本質的には同じ存在と言えどその間完全に別々の経験を重ねてきていることで、もはや考え方も感じ方も私とは全く異なってしまっていた。当然か。ほんの数日、同期しないだけで、今の日守こよみである私と、月城こよみの本体であったクォ=ヨ=ムイとでさえ差異が生まれてしまっていたのだ。こいつがいつ復活したのか知らんが、同じのままである方がおかしいというものだ。


再び狂悦の笑みを浮かべながら、奴はさらに言った。


「まあ、私がこの宇宙に来たのは偶然だったけどね。娘の遊び場にちょうどいい宇宙を探していたら、あなたを見付けてしまったという訳。今さらあの時のことを蒸し返すのもどうかとは思ったけど、あなたがあまりにも呑気に遊んでるのを見たら、嫌がらせの一つもしてやりたくなったっていうことよね」


まあそうだろうな。私ならそう考えるだろう。思い出した。こいつと別れた頃の私は、こういう奴だった。だからこいつが復活したのもそれほど昔のことではあるまい。だが、娘…? 娘とは何だ?


その疑問が顔に出てしまったのだろう、こいつはニヤリと笑いながら、


「あなたももう会ってるじゃない。ショ=エルミナーレ。あれは私の娘、つまりあなたの娘でもあるのよ。まだ気付いてなかったの?」


『な…! 何だとお!?』


「ブラックホールの超重力の底に閉じ込められた私は、あいつを取り込んで力に変えたの。あいつだけじゃなくて、ブラックホールに落ちてたものを片っ端から取り込んで力に変えたわ。その時に存在を始めたのがあの子。そしてブラックホールの中で生まれ育ち、その超重力の中でも自在に動ける力を備えたってことね」


こいつはたまげたよ。私はいつの間にか子持ちになっていたということか。それがあの、ショ=エルミナーレだとはな。


なるほど。あの時、綺勝平法源が言いかけた『貴方は我が神の…』というのは、そういう意味だったか。つまり、綺勝平法源が『神』と崇めていたのはこいつで、こいつが奴に私のことを悪魔と吹き込んでいたのだな。


しかしまさか、私がアリバイ工作に利用しようとしたのが貴様だったとは。いや、いずれ関わり合いになることはそもそも必然だったか。これだけの因縁があったのでは。


だがまあいい。事情は分かった。こうやって私に喧嘩を吹っかけてくるならば、たとえ相手が私自身だろうと、受けて立ってやる。


私の顔にも、狂悦の笑みが張り付いていたのであった。


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