邪神隠遁

「あら怖い。でも、せっかくいろいろ用意したんだから、先にそっちを楽しんでほしいなあ」


奴がそう言った途端、新伊崎千晶にいざきちあきが意識を失い、その場に倒れ伏した。奴の気配もなかった。そこにいたのはただの人間の小娘だった。


私にとっての月城こよみや日守こよみと違う、単なる依代だったか。


石脇佑香いしわきゆうか、聞こえているか?」


私が呼びかけると、「はいな~!」と、新伊崎千晶が使っていたノートPCの画面に石脇佑香の姿が現れた。


「防壁が消えたらすぐにでも乗っ取れるように全裸待機してました!」


ああそうか。そんなことはどうでもいい。「何か分かったか?」と問い掛けた私に、こいつは嬉しそうに応える。


「もう隠す気はないみたいですね~。これまでやり取りした相手全員、仕掛けられてます。あとはきっかけがあれば召喚されますね」


やはりな。奴め。結局は私への嫌がらせが目的で仕掛けてた訳だ。新伊崎千晶の事情は利用されただけだな。そうと分かれば。


「起きろ、新伊崎千晶」


床に散乱するゴミの上で横たわるこいつの体を足で軽く突き、覚醒を促す。すると、小さく呻き声を上げながら目を覚ましたのだった。ハッとなって上半身を起こし私を見たこいつに向かって問う。


「新伊崎千晶、今まで何があったのか覚えているか?」


私の問い掛けにギクッという表情を見せた後、「何のことよ?」と太々しい態度で首を横に向けた。しかしそれは、先程までの老成した表情ではなく、単に生意気なだけの子供の顔であった。


貴様、それで誤魔化せるとでも思っているのか?


私は黙ったまま睨み付けた。視線を逸らしとぼけようとする新伊崎千晶に、無言の圧力をかけ続けた。


「……」


「……」


しばらく沈黙が続いたが、やがて耐え切れなくなったのだろう。吐き捨てるように言った。


「ああそうよ! 覚えてるわよ! まさか自分が邪神とかに憑かれるなんて思ってもみなかったけどね!」


まあ当然だな。一時的にとはいえクォ=ヨ=ムイと記憶を共有し、私達のことも概ね理解しているようだ。そして開き直った新伊崎千晶は、さらに鬱憤を吐き出すかのように言葉を続けた。


「だってしょうがないじゃない! 先に嫌がらせしてきたのはあいつらなんだから! 学校の奴らも、ネットの奴らも、みんなクズばっかり! だから懲らしめてやろうとしただけよ! どうせあいつらの親とかは子供も躾けれないバカだからね、他人に嫌がらせしたら罰が下るって教えてやろうとしただけじゃない! それの何が悪いのよ! 私は何も悪くない! むしろ感謝されるべきよね!!」


だと。


『はあ、やれやれ……』


よくまあそこまで自分のことを棚に上げられるもんだと思ったが、それは私も同じか。だが、自分が蒔いた種は自分で刈るのが当然だ。


「言いたいことはそれだけか? お前に騙された奴らがそれで納得してくれるといいがな。刑事告訴を検討してる奴らもいるが、それで済めばいい方か。化け物と化して貴様に復讐に来る奴もいるかも知れん。邪神に利用された上に見捨てられたお前がそれにどう対処するのか見ものだな」


そう、クォ=ヨ=ムイの気配はもう既に完全にない。それどころか、ムァシュフヌレヒニの気配さえない。奴が連れていってしまったのだろう。つまり、今のこいつは何の力も無いただの女子中学生ということだ。それでも新伊崎千晶は強気な態度を崩さなかった。


「あいつらみたいなバカのチキンにそんなことできる訳ないでしょ!? 私をビビらせようとしたってムダムダ!」


とか言ってるが、さっきからお前の額の汗が止まらないのは何故なのやら。クーラーを効かしたこの部屋がそんなに暑いか? だから私は言ってやった。


「確かに人間には無理だとしても、化物共ならどうかなあ? 現に私だってこうして今、お前の前に立っている。私達に人間の法律や道徳など何の関係もない。人間相手に怯える理由もない。さあどうなるか、楽しみに待っているんだな」


「……!」


この時の新伊崎千晶の顔は、見ていてなかなか面白いものだった。強がろうとしているにも拘らず怯えが透けて見えていて、いい表情だと思ったよ。


その日を境に、新伊崎千晶は学校に来るようになった。どこか怯えた様子だったが、常に私や月城こよみの姿が見えるところにいた。恐らく、家で一人でいるよりは私や月城こよみの近くにいた方が安全だと思ったのだろう。私の気配に誘われるように集まってくる奴らも多いが、逆に怯えて近付かない奴らも多い。しかも月城こよみは底抜けのお人好しだ。怪物が現れたら放っておかないということが分かっているのだろう。


それだけじゃない。私や月城こよみの傍にいることで、学校で新伊崎千晶にちょっかいを掛ける生徒やつが明らかに減った。今の私達に見えるところでそれほどのことをする奴がそうはいないからだ。そういう感じが数日続いた後、新伊崎千晶が自然科学部の部室に現れた。


「私も、入部したいんだけど…」


『おいおい、お前が騙していた貴志騨一成きしだかずしげもいるこの部によく顔を出せたものだな』


と私は半分呆れていた。だがもう半分は、


『しかしこの厚顔無恥っぷり。なかなか見所がある奴だ』


とも思わされていた。私は嫌いじゃないぞ、その厚かましさは。


一方、無論と言うか当然と言うか、代田真登美しろたまとみ玖島楓恋くじまかれんは、


「ようこそ、自然科学部へ!」


と諸手を挙げて歓迎していた。


なお、こいつに騙されていた貴志騨一成は、こいつが自分を騙していた碧空寺由紀嘉の正体だということに気付いていなかったことで特に関心も無いようだ。いかにも今風の生意気なギャルといった風体のこいつは、完全に守備範囲から外れているのだろう。


あと、月城こよみと肥土透ひどとおるは、


『新伊崎さん…オカルトに興味なんてあったんだ……?』


などと単に驚いていただけだった。山下沙奈やましたさなは、まあ普段と変わらんか。


「お前、オカルトとか別に興味が無いだろう?」


部活の後、私の後をついてくる新伊崎千晶に振り返り、そう言ってやった。目を逸らし、やはりとぼけるような様子を見せたが、私が黙ってみていると、面倒臭そうに頭を掻きながら開き直った。


「ああそうよ。そんなの別にキョーミないわよ。あんただって分かってんでしょ。私が近くにいる理由。あの、あんたと同じ名前の邪神のおかげで、あんたらの傍にいた方が安全だってのが分かったんだよ」


まったく。卑屈な癖に小狡い奴らだよ。人間というのはな。だが、悪くない。


「いいだろう。勝手にしろ。何だったらお前の親が帰って来るまで私の家にいてもいいぞ。とにかく一人でいるのが怖いんだろう?」


私の提案に、新伊崎千晶は目を逸らしたまま応えた。


「別にお礼とか言わないからね。元はと言えばあいつがあんたを恨んでるのだって、あんたの所為なんでしょ? 私はあんたのやったことに巻き込まれただけの被害者なんだから、私を守るのはあんたの義務なんだからね」


とまあ、よくそこまで抜け抜けと言えるものだと改めて感心するよ。とは言え、お前の言うことも一理ある。あれのことは私が原因なのは確かだな。


先に校舎を出ていた月城こよみ、肥土透、山下沙奈らが、私を待っていた。更に校門のところには黄三縞亜蓮きみじまあれんの姿もあった。


「え? もしかして、新伊崎さんも?」


私についてきた新伊崎千晶を見て、月城こよみが声を上げた。今回の詳しい事情はまだ話していなかった。ちょうどいい。帰ったら話してやる。


そして私達は、皆で私の自宅へと向かったのだった。


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