黄三縞亜蓮の困惑
「黄三縞さん、どうしたのその顔?」
翌日、教室に入ってきた月城こよみが、
「昨日、
シップを隠すように手で押さえながら、黄三縞亜蓮が応えた。それに月城こよみが反応する。
「ヒドイね。殴られたの?」
その言葉に黄三縞亜蓮が頷くと、月城こよみはさらに言った。
「これは確かに肥土君に懲らしめてもらわないといけないかな」
そうやってまるで以前からの友人同士のように会話を交わす二人を、信じられないものを見るような目で見る者がいた。
月城こよみ自身は、元々他人のことはあまり意識しない性分だったこともあり、黄三縞亜蓮らにされたことは本当にさほど堪えてなかった。されて嬉しかった訳ではもちろんないし止めてほしいと思ってたのは確かでも、精神的に追い詰められる程のことでもなかったのも事実だった。それは恐らく、無意識のうちに自分の力に気付いていたからだろう。クォ=ヨ=ムイとしての自らの存在の大きさに比べればこいつらなど、空気中に漂う塵以下でしかないからな。だから本来の自分に気付いてしまった今では、それこそ眼中になかったのだ。しかも、ささやかながら実際に人間くらいどうにでもできる力も残っているのだから。
ただ、本来のクォ=ヨ=ムイとしての存在を失ってしまったことで、クォ=ヨ=ムイの力で辛うじて維持していた記憶の多くは、既に取り出せなくなってしまっているという面もある。人間の脳に普通に入り切る程度なら問題ないので学校で習うような知識については維持されてるが、何度も繰り返した人間としての過去の記憶の大部分は、普段は取り出せない領域に沈んでしまっているのである。だから今は、月城こよみとして経験した範囲内のことしか基本的には思い出せないのだ。私なら取り出すことができるがいちいちそこまでやってやる理由もない。
「ところで、古塩君は何て?」
古塩に伝えたのであればその返事はどうなのかが気になるのは当然として、月城こよみが訪ねた。それに対して黄三縞亜蓮が応える。
「明日、放課後にって。体験入部ってことにしてやるから覚悟しろって言っとけって」
実に分かりやすい小物っぷりの言い草に、月城こよみは口元が緩むのを我慢できなかった。
「そうか、分かった。後で肥土君に一緒に伝えに行こ」
楽しそうにそう言うのを見て、黄三縞亜蓮は戸惑いが隠せなかった。どうしてそんな風に笑えるのか、理解できなかった。苦しいことを抱えて悶々としてる自分とは全然違うと感じた。だから、
器の違いを思い知らされ、黄三縞亜蓮は改めて自分のことが恥ずかしくなった。苦しいことから逃げる為に古塩貴生のような中身のない男と付き合って自分の体まで提供して、夏休み中ずっと、呼ばれればどこへでも行って求められるままに体を開いて。そうしてれば満たされるような気はしてたのに、今から思い返すとどうしてあんなことをしてたのか自分でも分からなくなっていた。
もっとも、それは、アルヌエ=エリクァラに憑かれていたのも影響してるのだろうがな。その餌を提供する為にせっせと、本当はそんなに好きでもない、何となく見た目が好みだっただけの古塩貴生のことが好きなような気がしてたことに逃げ込んでいただけだったのだろう。
その日の昼休み、黄三縞亜蓮は月城こよみに連れられて肥土透のクラスを訪れた。肥土透は教室にいたが、古塩の姿はなかった。古塩は大抵、時間があるとレスリング部の部室で仲間とたむろしてるそうだ。しかも体験入部のことを自分の口から肥土に伝えればいいものをそれすらしていなかった。なので三人は、普段あまり人のこない視聴覚教室の前で話すことになった。
「と言うことで、明日の放課後、体験入部ということになりました~」
軽い調子でそう言う月城こよみに、肥土透は頭を抱えていた。
「お前もやっぱり、クォ=ヨ=ムイさんの一部だよな」
肥土透の言葉に、黄三縞亜蓮が「え?」という顔をする。確かクォ=ヨ=ムイというのは、日守こよみのことだったのでは?と思った。その表情で察した肥土透が言う。
「本当は、あの日守こよみっていうのは、この月城と同一人物なんだよ。どっちも月城こよみで、クォ=ヨ=ムイなんだ。神様っていうのは、そういうことができるんだってさ。二人に分かれて、でもこっちの月城は人間に戻って、あっちは日守こよみって名前を変えて今も邪神のままってことなんだ」
大雑把に説明されても理解しきれなかった為、黄三縞亜蓮が思ったことを声に出す。
「え、と…まず、月城さんと日守さんが本当は同一人物で、その正体はクォ=ヨ=ムイという邪神で、でも月城さんは邪神じゃなくて人間に戻れて、邪神のままの方の月城さんが今の日守さんってことでいいのかな?」
その説明に、「お~!」っと月城こよみと肥土透が声を上げた。
「その通りだよ、黄三縞さん」
月城こよみがそう言うと、黄三縞亜蓮は困ったような笑顔を浮かべた。
「ややこしいね」
と思わず漏らす黄三縞亜蓮に、月城こよみも苦笑いを浮かべ、
「ややこしいでしょ?」
と応えた。
しかしこれで段取りは整った。その為、自然科学部の部活に出た際に、明日は肥土透と月城こよみ及び日守こよみの三名は部活を休むということを、
なお、
そして翌日、月城こよみが教室に入ると黄三縞亜蓮は左腕を吊っていた。ギプスまではしてなかったが、痛めてしまったらしい。それを見た瞬間、月城こよみにはピンとくるものがあった。
「古塩君にやられたの?」
そう問われ、黄三縞亜蓮は答えずに目を背けた。口止めされてるのはすぐに分かった。それを見て月城こよみがぎりっと奥歯を噛んだ。
「ホントにヒドイね。許せない。今からでも乗り込んでやりたい気分だよ」
とは言え、今日はこれから授業がある。それに放課後まで待てばいいだけの話だ。それらの様子を、私は教室の自分の席に着いたまま窺っていたのだった。
そしていよいよ放課後となり、私と月城こよみと肥土透の三人は、黄三縞亜蓮を伴ってレスリング部の部室を訪れた。そこは、下水にも似た澱んだ空気が漂うゴミ置き場のような場所だった。本当にゴミが散乱しているというのではない。そこにいる人間共がそうだというだけだ。
だが私はこういうの、決して嫌いじゃないぞ? さあ、いい声で鳴いてもらおうじゃないか。
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