Everyday

朝、学校に行く為にホテルの部屋を出た私は、奇妙な集団に出くわした。昨夜の騒ぎで部屋を移動したことで同じフロアになったのだろう。白い作務衣のような服を着た男女五人の集団だった。まあ、私以外の誰が見ても違和感しか感じないような連中だな。エレベーターから出てきたのであろうその集団と、エレベーターに乗る為にすれ違った私は、その集団の中でも特に異様な気配を放つ男の視線を感じたのだった。


いくつもの数珠を首に下げた、四十代後半から五十代前半と思しき男だった。その男の目が、私の体を舐めまわすように向けられたのだ。これは、普通の女子中学生でも怖気が走るというものだろう。


妙齢の体を持った私なら逆に弄んでやろうとも思ったかも知れないが、いくら男好きのする体つきをした美少女と言っても今はさすがに中学生の体だからな。正直そんな気分にはなれなかった。不快さだけを残し、私はその男をなるべく見ないようにしてエレベーターに乗り込んだ。しかし、ドアが完全に閉じるまで男の絡みつくような視線は消えることは無かった。


エレベーターの中で一人になった私は、つまらん感覚に囚われていた。これは鬱陶しい奴に目をつけられたものだと思った。あの男の目は、完全に私を獲物として捉えている変質者のものだった。同じフロアに宿泊しているのだとしたら、帰ってきたらまた出くわす可能性が、いやそれどころか向こうから接触を図ってくる可能性すらあるな。


週刊誌の記者に刑事に、今度は変質者か。どうしてこう次から次へと面倒な奴に目をつけられるのか。まあ、その面倒そのものを楽しんでるというのは事実なんだが、気分が良くないというのも事実なのだ。この、月城こよみの肉体が、感覚が、そう感じているのだ。


全く違う境遇で育った別の肉体であれば、また違った気分になったんだろうがな。


地上四十階地下五階、二十五階までは一般の宿泊客にも開放された普通のホテルでありながら、それ以上の階は会員専用として五フロアごとに専用のカウンターを持ち、それぞれの専用の駐車場への直通エレベーターを持つという特殊な構造をしたこのホテルは、前にも言った通り政治家や芸能人がマスコミなどの目を避ける為によく利用されていた。それ以外にも大手企業の重役クラスや、宗教法人関係者の利用も多いと聞く。とすれば、あれはさしずめ新興宗教の教祖様とかいった辺りか。どういう宗教組織かだいたい分かる気がするな。


私が宿泊してるフロア専用の直通エレベーターで地下駐車場に降りると、既にハイヤーが待機していた。祖母が私の通学用に用意したものだ。もちろん帰りもこれに乗ることになる。こういう気遣いだけはさすがだと思うんだが、いかんせんそれも金にあかせたものなのがなんとも。


ハイヤーでの通学はさすがに平穏だが、昨夜の爆発でホテル周辺から数キロの範囲内はガラスが割れた建物が多く、あちこちに消防車やパトカーが並び、渋滞はさすがに酷かった。学校の方には遅れる可能性があることは伝えてあるので気にする必要は無いにしても、通常に戻るにはまだ数日かかりそうだ。


祖母は今回のことをきっかけに執拗に転校を勧めてくる。元々私を今のような公立の学校に通わせるのは反対だったそうだ。実は両親も私立中学校を受験させるつもりだったらしいのだが、私が勉強に対してあまりに怠惰だったことで、小学校の高学年に上がる頃には失敗作だと諦めてしまったらしい。何しろ二人とも、互いに大して好きでもないが見合いで打算の上で結婚しただけでなくどちらも本当は子供嫌いで、しかも出来た子供は外見はまあまあでも才能という面では全く見込みがないと感じ、すっかり醒めてしまったようだ。


しかし、当の私がさほど非行に走る訳でもなく大きな問題を起こす訳でもないことで、当たらず障らず成人して自分達の責任の外に出てくれるのをただ待っている状態でもあった。そう、仮面夫婦どころか仮面家族だったという訳だ。そんな両親に対して、月城こよみ自身でさえ情など感じる筈もない。だから月城こよみの肉体の影響を受けている筈の私も、当然そんなものは感じないということだ。


ただし、祖母はまだ諦めていないようだ。公立の中でも評判のいい学校に転校させて家庭教師をつけていい学校に進学させてとは考えているらしい。全く、大きなお世話だ。月城こよみとしては、中学の間に中二病を卒業し、後は適当に生きて適当に楽しんで苦しまずに人生を終えられればそれでよかったのにな。


見た目が生理的に駄目という程度でなく、恐らく趣味としては続けるであろう漫画やアニメが好きという点を理解してくれて、あまりうるさく言わないでいてくれる男がいれば結婚してもいいかなとか、子供が出来たら一緒に漫画やアニメを楽しめたらなとか、名前はちょっとキラキラした感じのをつけたいなとか、実にささやかな願望を持ってるだけの凡人過ぎる凡人に過分な期待をするのは、昔の人間だからなのか。


…自分で考えてて空しくなってきた。クォ=ヨ=ムイとしての自我が目覚めてしまった以上、それで済む筈もないのにな。


そうこうしている間にハイヤーは学校に到着し、予鈴ぎりぎりで私は校門をくぐることが出来たのだった。菱川和ひしかわという週刊誌の記者の姿が校門から少し離れたところにちらりと見えたが、生徒指導の教師も立ってるところではさすがに声は掛けてこられなかったようだ。更に、もう一人の私はと言えば、また保健室で寝ていた。仕方ないので勝手に意識を同期させ、記憶を共有する。


ショ=エルミナーレの騒動の件で意識を同期させた後、石脇佑香いしわきゆうかにいろいろとレクチャーした私は、すっかり空が明るくなり、日も昇り始めた頃、私は再び寝る為にまた保健室へと向かった。あの後どうなったかは知らないが、養護教諭の佐久下清音さくもときよね貴志騨一成きしだかずしげの姿は当然なかった。まあ、普通にしばらくして気が付いて、何が何だか分からないままに、佐久下が貴志騨を家に帰らせたのだろう。


ケニャルデルに憑依された佐久下はもちろん、ケニャルデルに魅了されていた貴志騨にも恐らく昨日のことは記憶にあるまい。もし多少残っていたとしても気を失っていた時に見た夢だとでも思うに違いない。もっとも、貴志騨にとっては淫夢でも佐久下にとっては悪夢だろうがな。


それはさて置き、さて、今度こそゆっくり寝たいものだ。


…というのが、<もう一人の私>の意識だった。やれやれ、私が祖母の愚痴を聞き流してようやく眠りについた間に女子トーク(?)とは良いご身分だな。と言ってもどちらも私なのだが。


教室に入り、いつものように誰とも挨拶を交わさず自分の席に座る。


教科書を入れようと机の中を探ると、これまたいつものようにゴミが突っ込まれていた。今日は掃除の後にチリトリで集めたゴミか。一部の女子が私の方をチラチラと見ながらニヤニヤ笑っているのが分かる。私はゴミ箱を持ってきて下に置き、机を斜めにしてゴミを捨てた。別に珍しいことじゃない。月城こよみとしてももう慣れた。


その後は普通に授業を受け、普通にクラスメイトに無視され、体育の柔軟ではペアを組んでもらえず一人で柔軟を行った。昼休憩にまた玖島楓恋くじまかれんがやってきて、


「ごめんなさい、あなたのご両親について何も透視できなかった。何者かの妨害があるのかも知れないって部長が言ってたわ。でも私達は諦めないから、月城さんも頑張ってね」


と、脅威の胸囲を揺らしながら一方的に喋って出て行った。


授業が終わりHRも終わり、掃除も終わらせて今日も部活には出ずに迎えのハイヤーに乗り込み帰途に就く。


やれやれ、実におかしな日常だな。


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