Disappear

『まったく次から次へと……』


菱川和ひしかわという週刊誌の記者に付きまとわれた私は、それを無視して堤防沿いを歩きながら、さてどうしようかと考えていた。ふと道路を見下ろすと、色が変わっている部分が見える。それは昨夜、私を襲おうとした愚か者が漏らした糞と小便の跡だとピンときた。だからこいつも同じように…とも思ったがやめておいた。


単独犯の性犯罪者ならともかく、週刊誌の記者であるこいつを黙らせても、どうせ別の人間が来るだけだろう。むしろ、こいつを変に黙らせれば余計に不審がらせる結果になるのは分かり切っている。


『やれやれだな……』


私は内心、溜息を吐きながらも、面倒だが取り敢えず様子を見る方がいいのかと考えた。まあこいつごときが何を探ろうとも真実が掴める筈もないしな。


だからそれは置くとしても、通学中の女子中学生と怪しい風体の中年男が一緒に歩いているというのは、さすがに目立つ気がする。同じように通学の為に堤防上を歩いている他の生徒もちらちらとこちらを見ているのが分かるし、すれ違う人間は訝し気に振り返ったりもしていた。目立つのは本意ではないが、今は仕方ないか。


『とは言え、鬱陶しい……』


結局、菱川和は学校までついてきて私からいろいろ訊き出そうとしてたが、一切無視してやった。ここまでガン無視というのも女子中学生らしくないかなとか思ったりしたが、まあいいだろう。


さすがに学校の敷地内までは入ってこなかったものの、あの調子だと帰りも待ち伏せそうだな。やれやれ。


学校に着くと私はまず、自然科学部の部室の前に来た。


「よお…」


そこには、<私と同じ顔形をした女子生徒>が立っていた。もちろんそれも私だった。石脇佑香言うところの<鏡の世界>に捕らえられ、その後自らの存在を巻き戻して人間の姿を取り戻した私だった。


「んじゃ、ま、まずは…と」


そう言いながら意識を同調させると、互いのそれまでの記憶が共有され、意識も一つになる。人間には想像もできんだろうが、自分が全く同じ姿をした二つの肉体を持ち、それぞれの肉体に同時に私が存在し、私が私を見てるのだ。


そのような光景を他の人間に見られると騒ぎになるだろう。しかし私は今、自分の姿を他の人間からは認識できないようにしている。元々この校舎は部室などに使われている教室が多く、人が少ない。その上で、見えていても認識できない理解できない。そういう存在に私は今、なっている。<認識阻害>というやつだ。これも、私にとっては息をするように当たり前にできることだった。


「それにしても……」


「うむ、それにしても、だな…」


意識を共有して改めて気付いたが、新しく作った方の体は、やはり胸が1サイズ大きくなっていた。Bカップだった筈のものが、ほぼCカップと思われる大きさになっている。人間としての私が持っていた願望を無意識に取り入れてしまったか。


「まあいい。せっかくだから元々の体の方もそれに揃えてCカップにしておこう」


「そうだな、そっちに揃えよう」


だが、さすがに急に大きくすると胸が窮屈だった。ブラのサイズもついでに上げておくか。その上でそれぞれの体の胸を互いに触れてみて、感触を確かめる。


「…まあこんなもんだろう」


「こんなものだな…」


さて、それじゃこれからの予定だが、新しく作った私の方はこのまま授業に出て、元々の私の方は保健室のベッドでも借りて休もう。巻き戻した際に健康状態もリセットしたから別に休む必要もなかったが、何となくだ。


「では…」


「おう。では、な……」


そうして別れて、しかし教室に入ると、そこには何か微妙な空気が漂っていた。皆、私の方をちらちらと見て、ひそひそと声を潜め何かを話している。聴覚を上げて盗み聞きしてやっても良かったが、どうせロクな内容じゃないだろうと思って放っておくことにした。それに、いつもに比べると余計にそうだというだけで、普段から私はこの教室では孤立しているから今さらだ。


『まあ、<破邪眼の美少女>などと自称してるからな…無理もない……』


そんな奴がクラスにいたら、普通の中学生では対応に困って当然だろう。教師ですら、私と話をする時には、苦笑いか、可哀想なものを見るような薄ら笑いを浮かべているくらいだ。だからいつもと変わらずに私は誰とも挨拶を交わさず、自分の席に着いた。


と、その時、


「月城さん、大丈夫!?」


と、遠慮のない圧を感じさせる声を発しながら、一人の女子生徒が教室に入ってきた。その瞬間、教室内の空気が押し退けられて、かつ一度近く温度が上がったかのような熱量が感じられた。


「玖島先輩…?」


思わず私の口からその名がこぼれたように、三年の玖島楓恋くじまかれんだった。自然科学部の部員の一人だ。身長173㎝。体重非公表。BWHは88・65・90のFカップだったかGカップだったか。普通の人間が何を食ったらこうなるのか知らんが、男子生徒の一部を除いて教室にいる誰よりも大きな体が私に向かってぐいぐいと迫ってきた。


「ご両親が行方不明だって聞いたけど!?」


いきなり下級生の教室に入ってきて、人の眼前で<脅威の胸囲>をゆさゆさと揺らしながら、大声でそういうことを言う。そうだ。こいつはこういう奴だった。だから私は、


「分かりません。私はお父さんもお母さんも旅行に行くって言って出て行ったことしか分かりません。それから連絡が取れないらしいですけど、それ以上のことは私にも分からないんです、先輩」


と、調子を合わせて芝居を打ってやった。『私には何も分からない。両親は旅行に行ってると思ってた』。とにかくそういうことで今後も通すつもりだ。


「そうなんだ。無事に見付かるといいね。そうだ今日、部長に透視してもらいましょう!」


などと言いだした玖島楓恋に対して苦笑いを浮かべそうになりつつ、


『…それは余計なお世話だな』


とは思ったがそれは口にはしなかった。目の前で圧倒的な存在感を放つ脅威の胸囲から目を逸らしつつな。とは言え、こいつにも悪気はないのだ。悪気は。


「はい、ありがとうございます。でも、今日は授業が終わったらすぐに帰ってくるように祖母に言われてるんです」


存在自体が五月蠅い<脅威の胸囲>越しに私はそう言った。それは事実だから、普段は煩わしい祖母の過干渉も、今日ばかりは助かったと思った。これほどの理由があれば言い訳も立つだろう。


「そう…分かった。じゃあ部長と私達だけででも透視しておくわね。何か分かったら連絡する」


残念そうな顔をしつつそう言って、<脅威の胸囲>は、いや、玖島楓恋は、教室に何とも言えない匂いを残して出て行った。フェロモンと言うか<雌の匂い>と言うか。


『相変わらず騒々しい奴だ……』


毎度のことながら、あの存在の五月蠅さには疲弊させられる。歓んでいるのは一部の男子だけだろう。私も、いつかあの胸を思いっきり弄んでやりたいと密かに思っている。まあ実際には、同級生の女子や後輩の女子には既にかなり弄ばれているらしいのだが。


しかし、玖島楓恋の登場によって、微妙な空気だった教室が一気に和んだのも事実だった。それもまた、あの女の力なのかも知れない。




その後、私は、普通に授業を受け、いつも通りの時間を過ごした。放課後、担任に呼ばれて少し家のことを訊かれたが、詳しい事情は自分にも分からないとだけ言って誤魔化した。


「気を落とさないようにな」


担任はそう言ったが、それが、面倒なことには関わりたくない人間の社交辞令に過ぎないことは私には分かっている。だが私にとってはどうでもいいことだった。


校門を出ると、私は今度こそ露骨に不快そうな表情になった。


『…やはり、か……』


案の定、あの菱川和とかいう週刊誌の記者が待ち構えていたからだ。


「やあ、待ってましたよ」


そんな風に馴れ馴れしく声を掛けてきて朝と同じく私にしつこく付きまとい、あれこれ聞き出そうとするが、私はやはり完全無視を決め込んだ。周りを歩く生徒達も、怪訝そうに私と菱川和を見るが、それも無視する。


さらに、家の近くまで来ると、他の記者達も私に群がってきた。私は思い切り迷惑そうな顔をしながらもそれらを一切無視し、家に帰った。すると、玄関を閉めた私に向かって祖母が開口一番、


「こよみちゃん、冷蔵庫の中の物はどうしたの!?」


だと。


『…マスコミを振り切ってやっとの思いで帰ってきた孫娘に向かって真っ先に言うことがそれか…?』


まったく呆れるよ。しかしまあこのくらいなら、


「お祖母ちゃんが、今日からしばらくホテルに泊まるから処分するって言って昨日捨てたじゃない」


と、記憶をすり替えた。


「あ、ああ、そう言えばそうだったわね。ごめんなさい。それじゃ、荷物を用意して。ホテルの方から学校にも通うから、勉強の道具とかも全部持って行けるようにしてね。三十分くらいでタクシーが来るようにお願いしておくから」


しばらくホテルに隠れるというのは、いかにもこの祖母が考えそうなことだと思ってカマを掛けてみたのだが、どうやら本当だったらしいな。だが、マスコミに煩わされずに済むならそれもいいか。


祖母に言われたとおり、カバンに学校に必要なものを、リュックには着替えを詰めて、私は出掛ける用意をしたのだった。


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