JC邪神の超常的な日常
京衛武百十
月城こよみの章
Awakens
本当の自分は、何か今とは全く別の存在である筈だという感覚を持つのは、思春期にありがちな妄想や勘違いの類なのだろうか。今はそういうのを<中二病>とか言ったりするのだろうか。だとしたら私も、その中二病真っ最中なのだろうか。
しかし中二病という言葉は、言いえて妙だと思う。何しろ私が今、その中二、十四歳なのだから。
小さい頃から自分は何か違うっていう気がしてた覚えもあるけど、最近は特に、自分で言うのもなんだが、それをますます拗らせてる感じがする。これをどう考えればいいんだろう。そのうち時間が経てば自然と収まるのだろうか。それともきちんと何か対処しないといけないものなのだろうか。
そんなことを考えながら、私は今日も普通の女子中学生として学校に通うべく、パジャマを脱ぎ、下着を着け、制服を纏い、セミロングの髪を梳いて、朝食を摂ろうと自分の部屋を出たのだった。
けれど、自分の部屋を出た瞬間、私はとてつもない違和感に囚われていた。
って言うか、臭い!?
「くっさ! 何これ!? おかーさん! 何なのこれ、何の臭い!?」
たまらず鼻を押さえながら一階にいるはずの母に声を掛ける。なのに、いつもならこの程度の声でも十分聞こえて返ってくるはずの返事が無かった。それでもこの時はまだ何か用事をしていて聞こえてないのかと思った程度だったから、とにかくと思って階段を下りていくと、その悪臭はますます強くなっていった。それどころかもう、空気そのものが腐って粘ってるかのように自分にまとわりついてくる気がする。
いったい、何が臭っているのか、何の臭いなのかもさっぱり分からない。自分がこれまで嗅いだことのあるどの悪臭とも違ってる気がすると同時に、この世の全ての悪臭を混ぜ合わせて何も引くことなく濃縮して固めたものを鼻の奥に押し込まれたような感じもしていた。さらに、それとは別に、私の記憶の奥深くから何かが呼び覚まされそうな感覚もあった。
しかも同時に、それが、私の警戒感や恐怖感といったものを薄めていくのも感じる。本来ならこれだけの異臭がすれば何事かと警戒したり不安に駆られたりするだろうに、この時の私は全くそういうものを感じていなかったのだ。本当にただ何か少し臭うからその原因を探ろうとするかのように全く躊躇なく一階に降り、朝の用意をしている母と、朝食を摂っている父がいるはずのダイニングへと入ったのだった。
しかしそこにあったのはいつもの光景ではなく、私の理解をはるかに超えた、全く意味不明な異様な光景だった。
「何…これ……?」
私は思わず声を漏らしていた。それと同時に、体が固まってしまったように動けなくなるのを感じていた。目の前にあるものがあまりにも自分の理解を超えていたから、脳が情報を処理できないでいるようだった。
それは、一見すると巨大な生肉の塊にも見えた。ダイニングの空間の半分以上を占拠した、腐りかけの生肉を思わせる色をした物体。それでいて、表面は液体が流れるように常に動いている。ちょうど、シャボン玉をよく見ると虹のような模様が常に動いているあの感じだろうか。その流れに乗るように、物体の後ろから何か出っ張った部分がこちらに移動してくるのが見えた。
それを見た瞬間、私は叫んでいた。
「お母さん! お父さん!」
そう、それは母と父だった。母と父が、泥の中でもがくように動きながら、物体の表面を流されるがごとくくるくると回っていたのだ。だがもう一目見て、それがすでに母と父ではないものになってしまっているのを、私はなぜか理解していた。動いてはいるけれど、その目に意思の光は感じられず、物体の表面から突き出た手の動きにも理性的な意味が見て取れなかったからだ。
そして、私の声に反応するかのように、物体がうねうねと動きはじめた。グジュグジュと、液体のような音が響いてくる。そうするとますます、水分が多すぎたハンバーグのタネを思わせる肉の塊に見えてきてしまう。
さらにグチョグチョと音を立てながら絶えず形を変えるその中へ、母と父だったものは溶けるように消えていった。後に残ったのは、たまらない悪臭を放ち私の父と母を食べた異形の何かと、私だけだった。私は、自分の精神が音を立てて壊れるのを感じていた。
ゆっくりと私に近付いてくるそれを見詰めながらも、私はもう、自分がどうすればいいのかとか、せめて逃げるべきだとかいうことすら考えることもできず、漏らした尿で下着やスカートがぐちゃぐちゃなのも分からず、ただ震えるしかできなかった。
なのに、おぞましいそれが私の足に触れた瞬間、焼けた鉄でも押し付けられたかのような痛みと熱さが体を奔り抜け、皮肉なことにその衝撃が私を正気へと引き戻した。もっとも、正気なんか取り戻さず、何も分からないままでいられた方がはるかに幸せだったかもしれないけれど。
その場に倒れ込みながらも、痛みで反射的に足を引き寄せようとしたものの、目の前の異形の<何か>に吸い付けられたかのように動かなかった。その間にも、とてつもない痛みと言うか熱さと言うかが足から頭へと突き抜けて、私は生まれてこれまで一度だって出したことのない声を、喉が破れそうなくらい上げていた。それと同時に体にものすごい力が入り、ぶちぶちと何かが引き千切れる感触と共にようやく脚が動いた。けれど、私が視線を向けた先に見えたそれは、何かが違ってた。何かが足りなかった。そう、膝から先が、無くなっていたのだ。
「が…あ、ぎゃぁあああぁぁぁああぁぁっっっっっっっ!!!!!」
私は再び声を上げた。とても自分の声とは思えない、まるで生きたままハイエナに体を食いちぎられる動物のような叫び声をあげて、体を動かそうとした。何かを考えてるんじゃなくて、ただ体が勝手にその恐ろしい何かから逃れようとして動いた。でももう遅かった。それに背を向けた瞬間、私は自分の体に何かが覆いかぶさるのを感じ、動くこともできなくなった。そこまで来るともう、痛いとか熱いとか、そういう感じじゃなかった。ただとにかく訳の分からない衝撃が全身をでたらめに奔り抜けて、そして突然、まるで電源が落ちるように、ブレーカーが落ちたかのように、目の前が真っ暗になり、何もかも感じなくなってしまった。
そして私は、人間という生き物としての命を終えたのだった。
……
………
…………
…だが、違う。私はまだ、存在を終えていない。<私>はまだ、ここにいる!
自分の肉体が崩れ去り、いくつもの肉片となってあのおぞましい何かに溶けていくのを感じながらも、私はまだ<そこ>にいた。痛みも熱さも苦しさもない。それなのに私の存在だけはとてつもなく明確になり、どこかから噴き上がる途方もない力と共に、私の意識が覚醒していくのが分かった。
「デニャヌスか…こんなもので私を変質させられるとでも思ったのか? 舐められたものだな」
私の口が、勝手に言葉を発する。だが、それは私の声でありながら私の声ではなかった。正確には、月城こよみという人間の声ではなかった。しかし同時に、間違いなく私の声だ。
「我が名は、クォ=ヨ=ムイ。事象の理を御する者。我の前に変質は意味を成さじ」
そう呟いた私は、ずるり、という感触を感じながら、あの異形の肉塊、すなわちデニャヌスの中から体を起こしたのだった。立ち上がった私の足元で、私がデニャヌスと呼んだそれが、まるで苦しむように、身を捩るように蠢いていた。だが、こいつはもう自分の存在を維持できない。私が変質を巻き戻す際に、ついでにこいつの存在の殆どを贄として奪い取ってやったからだ。このような卑小なものでも、私の存在の贄となれるのなら、この上ない愉悦であろう。
「さあ、お前はそこで不可逆的な変質により存在を失ってゆけ」
見る見るうちに溶けて崩れていくそれを見下しながら、私は自分の口が笑みの形に吊り上がっていくのを自覚した。けれど人間がそれを見れば恐らく笑顔とは言わないだろう。畏れ、慄き、糞も小便もまき散らしながら力なく平伏するに違いない。
こうして私は、自分の本質を取り戻したのであった。
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