監視する者される者

私とカハ=レルゼルブゥアとは、こちらも何度も滅し滅されの関係なのだが、それは互いに遊びの延長でしかなかった。ゲームとして勝負している程度のものなのだ。一方でハリハ=ンシュフレフアとは、何が原因かは私も知らんが、互いに強く憎しみ合っていた。双方共に、相手が顕現した先に現れては星も文明も消し飛ばす勢いでいがみ合い、それはどちらかが滅するまで続くのである。


とは言え、私達は完全に消滅することのない存在でもある。いずれまたどこかで存在を始めて、そして力を振るうのだ。


カハ=レルゼルブゥアが胎児に憑いたのは、もしかしたらその辺りの事情かも知れん。ハリハ=ンシュフレフアに滅されたカハ=レルゼルブゥアが再び存在を始める為の踏み台として黄三縞亜蓮きみじまあれんの子が利用された可能性が高い。


私のなわばりの中で騒動を起こされるのは、私としても少々気に入らん。別に人間共を庇ってやるつもりなどないが、ハリハ=ンシュフレフアがちょっかいを掛けてくれば捻り潰してやる。カハ=レルゼルブゥアとハリハ=ンシュフレフアはほぼ互角なのだ。そこに私が加われば造作もなく潰せるだろう。もっとも、カハ=レルゼルブゥアが私に協力するならばだが。


という訳で、黄三縞亜蓮がどういう風に奴を手懐けるのか、楽しみに見せてもらおう。


などと、月城つきしろこよみ、肥土透ひどとおる、黄三縞亜蓮の三人が顔を突き合わせている頃にそんなことを考えていた私だが、ふと思い立ち、もう一軒の家の様子を窺う為に裏の掃き出し窓からそちらに移動した。


二階に上がりカーテンの隙間から外を窺うと、やはりいた。菱川和ひしかわだ。恐らく姿を隠す気もないのだろう。電柱の影に立ちこちらの様子を窺っているのが分かる。ふん、いいだろう。少しサービスをしてやるか。


部屋の明かりをつけ、ついでなので部屋の模様替えなどをしてみる。と言っても、ここに私が住んでいるというアリバイ作りの為に必要なもの以外は何も置いてないから、すぐに終わってしまうのだが。机やテレビの配置を替えただけだ。それから一階に行って、今日はこちらで夕食の用意をする。本当なら牛の一頭でも丸ごと買いたかったものの、あまり目立ったことをするとまた面倒なことになるかも知れんから自粛している。


こちらの家では生活をするつもりはなかったので、冷凍庫の中に冷凍食品をぎっしり詰め込んであっただけだった。その中から冷凍パスタを出してきて、電子レンジで温める。凍ったまま食ってもよかったんだが、まあちょっとした演出だ。こちらの家はリフォームも何もしていない、四十年前に建てられた当時のままの作りだった。狭いキッチンに椅子を置き、そのままそこで温めたパスタを食った。


電子レンジの音や、私がキッチンで作業している物音などが菱川和の耳にも届いていることだろう。その様子を見てお前は何を思う? 中学生の小娘がこの家に一人で暮らす様子を。


と言っても、奴がそんなことを気にするような種類の人間でないことは分かっているがな。しかもまだ張り込みを始めて初日だ。私がここに一人で暮らしてるかどうかも分からんか。単に両親が共働きで帰りが遅いという場合もあるだろう。今日は風呂もこちらで入ることにする。


別に沸かす必要もなくても、これも演出だ。この家の風呂は最近のそれと違ってボタン一つで湯が沸くそれではなく、レバーを何度か操作して火を点けるやつだった。日守こよみとしても月城こよみとしても初めて操作するとはいえ、これまで何度も人間として人生を送ってきてるからな。一時期これが当たり前だったから苦も無く使える。


脱衣所もない風呂場の前に置いた姿鏡の前で、まとめた髪をほどく。ちょっとした遊び心のつもりだったが、いちいち手でやるとなると結構面倒ではある。正直、失敗だったかと思わないでもない。しかも横から見るとまるで黒いエビフライのようにも見えるし。事実、クラスの一部には既に帰国子女ならぬ『帰国エビフライ』とか呼んでる奴もいる。聞こえないように言ってるつもりかも知れぬが、筒抜けだ。


髪をブラシですき、整えた。この長さで髪質を維持するのは人間には大変だろうな。風呂が沸いた頃を見計らって服を脱ぐ。向こうの家の風呂と違って非常に小さい。いわゆる一畳風呂ってやつだ。一人で入ってもかなり狭さではある。この体が小さいからかろうじてまだいける感じではあるか。


まず体をざっと洗う。湯の温度は十分じゃなかったが、私は別に水でも平気だから気にしない。湯船に浸かり、ふうと溜息を吐く。と同時に、意識を拡大して菱川和の様子を窺う。あまり長く同じところにいてはマズいということなのか場所は移動していたが、この家が充分に確認できる場所に奴はまだいた。いったい何を求めてるのか知らんが、よくやる。


とその時、奴の携帯電話に着信があった。電話の相手と何やら言い合いをしている。「俺は仕事だ」の「子供の世話はお前の仕事だろ」だの。相手は女房か。こんな男と一緒になるとは物好きな女もいたものだ。しばらくその手の言い合いをしていたと思うと、「チッ」と舌打ちをして立ち去った。口では大きなことを言ってるが、実際には女房の尻に敷かれてるタイプだな、これは。


そんな菱川和の背後に、人間に目には見えない影が現れた。私がこの家にくる途中にこいつに憑いた奴だった。それが既に成長を始めていたのだ。


「ネルフィヌゥアルルアか…」


私はついそう呟いていた。ネルフィヌゥアルルアは、人間の猜疑心や疑心暗鬼といった種類の感情を餌にしている下賤の輩だ。なるほどこいつに憑くのは当然か。さぞかし美味いことだろう。しかも奴は、憑いた人間当人のそれだけでなく、そいつに向けられる猜疑心なども餌になる。他人を疑い、他人に疑われるような人間こそが奴にとっては最高の宿主ということだな。


菱川和がどうなろうと別に私の知ったことではないが、こいつが何をしでかすかということには少し興味が湧いてきた。


「例の週刊誌の記者さんですか? あの人も懲りませんね~」


私が風呂から上がると、こちらにも用意してあったPCのディスプレイとして使っているテレビモニターに、石脇佑香いしわきゆうかの姿があった。アニメか何かの視聴を終えて、私の様子を見に来たらしい。さらに石脇佑香が言った。


「私が監視しましょうか?」


私の承諾を得ようとする言葉だったが、こいつがこういうことを言いだした時点でもう既に監視を始めていることを私は知っていた。こいつはそういう奴だ。恐らくは菱川和のスマホにでも潜り込み、情報を抜き取っていることだろう。菱川和の自宅のPCにも侵入しているかも知れん。ネットワークに頼り切った今のこの社会は、全てこいつの手の内にあると言っていい。


「好きにしろ」


私がこう応えるのは、こいつが得た情報を私の前で披露することを許すという意味でしかなかった。私が「要らん」と言えばただ黙っていただけに過ぎない。


「は~い」と嬉しそうに応えたその時には、とっくに菱川和に関する情報は丸裸になっていたのだ。


「えっと、菱川和徳重ひしかわとくじゅう。現在年齢四十二歳。血液型A。両親は健在だけど疎遠な模様。十六歳の時と十八歳の時にそれぞれ喧嘩と自転車泥棒で補導歴あり。私立和瀬田大学を卒業後、毎朝新聞に入社するも上司と折り合いが悪く五年で退社。その後いくつかの出版社を転々とした後に現在の歓談社に入社。週刊現実編集部に記者として配属ですか。なるほど」


菱川和の情報を嬉々として読み上げる石脇佑香からは、人間としての遠慮や配慮は欠片ほども伝わっては来なかったのだった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る