誰か呼んだ…?

『そんな……』


呟きながら力無くシートに戻ったのと同時に、激しい衝撃が男の体を襲った。


「っ!?」


怪物を撥ね飛ばした時には開かなかったエアバッグが開き、男の顔を打つ。思わず後ろを振り返ってしまって前方不注意になったことで、前に止まっていたトラックの後部に追突してしまったのだ。


「……うぅ…」


客は死に、今度は追突。男は自分の人生の全てが失われるのを感じていた。だが、あれほど激しく追突したのに、トラックから運転手が下りてくる気配がない。トラック自体が走り出す気配もない。前方の信号は青にも拘わらず。


いや、そうではない。その道路上にあった自動車はどれ一つとして動いていなかった。人間の姿もなかった。が、何かが動く姿はあった、カエルを無理矢理人間に似せて作ったかのような異様な姿。ブジュヌレンだった。何匹ものブジュヌレンが道路をうろついていたのだ。そして先程の犬のような怪物は、ケネリクラヌェイアレであった。


そして一匹のブジュヌレンが男の方へと近付いてきた。死を覚悟した男の脳裏に、一人の少女の姿が浮かんだ。月城こよみだった。


「もう一度会って、ちゃんとお詫びしたかったな…」


男は、月城こよみに迷惑を掛けてしまったことを悔やんでいたのだった。もっとも、当の月城こよみはそんなことはまったく気にしていなかったどころか、すっかり忘れていたりしたのだが。


次の瞬間、男の意識は途絶えていた。ドアのガラスを突き破ったブジュヌレンの舌が、彼の頭をもぎ取ったからだ。


「…ん? 誰か呼んだ…?」


シャノォネリクェ共の相手をしていた月城こよみは誰かに呼ばれたような気がしてそう声を漏らしたが、当然、誰も呼んでなどいない。ただ、因縁ができてしまった運転手の強い想いが、僅かな信号となって微かに届いてしまったのだろう。


「…ごめんなさいって、何…?」


月城こよみにはその意図までは届かなかったが、どうやら言葉だけは辛うじて届いたようだ。私が貸し与えた力のおかげでいつもより感度が上がっていたことも影響していたか。


「? …? ま、いっか。用があるんならまたちゃんと言ってくるよね」


意味が分からず、しかも忙しかったこともあり、月城こよみはそれ以上気にしないことにした。それよりも今は目の前のシャノォネリクェを片付けるのが先決だ。冷気が弱まる様子もないことから、ケベロ=スヴラケニヌが完全に消え去った訳でないことも明らかだった。再び奴が現れる前にシャノォネリクェを片付けなければ面倒なことになる。


「さあ、どんどんかかってらっしゃい!!」


髪を針状にして伸ばし、近付いてくるシャノォネリクェの回転の中心を正確に貫き、次々と片付けていく。


月城こよみがあの運転手の死を知ることは、結局その後もなかったのだった。なにしろこれからさらにこの地獄は広がっていくことになるのだから、それどころではなかったのである。


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