外伝・漆 プリムラ・テリェトーネリアの喪失 前編

それは、<魔法の国>だった。


科学の代わりに魔法が発達し、魔法が日常の中に当たり前に存在する国だった。


と言っても、残念ながら夢に溢れているかと言えばそうではない。むしろ科学が発達し物質文明が極まった我々の世界と同様に世知辛い社会であっただろう。単に、科学が魔法に置き換わっただけである。元より、進みすぎた科学は魔法と区別がつかないとも言われるくらいなのだから、科学も魔法も、突き詰めれば本質はそれほど違わないのだろうか。


そんな世界に生を受けたプリムラ・テリェトーネリアは、大人しくて気の弱い少女だった。魔法もあまり好きではなかった。それよりは絵本が好きでいつでも夢中になって読んでいた。絵本の中には夢が溢れ、幸せな世界がそこにはあった。


「またかプリムラ! いつまで絵本など読んでいるのか!? お前ももう十二歳なのだぞ! 来年には中等部に進む! <蟲毒の行ヌェネルガ>も近い! そんな調子で生き残れると思っているのか!?」


プリムラの手から絵本を奪いそれを床に叩き付けながらそう叱責したのは、彼女の父親だった。厳格な魔法省の役人で、優秀な魔法使いだった。だからいつまで経っても絵本に夢中で現実を見ようとしない娘に苛立っているのである。


「……!」


鬼の如き恐ろしい形相の父親にプリムラは声を出すこともできずに怯えた。体を竦めて下から見上げるようにして彼を見る。そんな娘の頼りない姿が父親をいっそう苛立たせた。


「プリムラ! 今さら言うまでもないが、我が家は代々、優秀な魔法使いの家系として公務に就いてきた! お前の姉も兄もそうだ! なのにどうしてお前はそうなのだ!? お前はいったい、これまで何を見てきたのだ!?」


確かに、父親の言う通りだった。プリムラの姉も兄もやはり優秀な魔法使いで、<蟲毒の行ヌェネルガ>を見事に生き延びて公務員試験にも合格。エリートコースをひた走っている。だが、それは八人いた姉や兄の中のたったの二人でしかない。それ以外の姉や兄は、<蟲毒の行ヌェネルガ>で死んだ。だからこの場合は、<二人も生き延びた>と言うべきなのだろうか。


そう。百人の見習い魔法使いを戦わせ、最も優秀な魔法使い一人を生み出すことが<蟲毒の行ヌェネルガ>の目的であり、それを乗り切った者が二人も出るなど、実はすごいことなのである。父親もこうして生きているということはそれを生き延びた者の一人であり、彼はそれを何よりの誇りとしていた。こうして代々続いた家系を次に繋げられたことが彼の喜びだった。


だから是非とも三人目の<合格者>を出したかったのだろう。




蟲毒の行ヌェネルガ>。


それは、百人の魔法使い見習いの子供達を戦わせ、生き残った一人に更に強力な魔法を学ばせるという試練である。そう、こちらで言えば中学生くらいの子供達を殺し合わせるということになる。


こちらの常識では異様なことだと感じるだろう。許されない悪習だと思うだろう。しかしこれは、この魔法の国では何百年も続いた正当な儀式なのだ。それを否定することは、この国では社会的な死を意味する。


蟲毒の行ヌェネルガ>を回避する方法もない訳ではなかった。そもそも魔法の才覚が一定水準に満たない者は魔法学校に入学することもできず、結果として蟲毒の行ヌェネルガに参加すること自体ができなくなるのだが、それは同時に人間として認められないということも意味していた。生涯最下級最底辺の忌仕事にしか就けず、そのような血筋は残しても意味がないということで結婚もできない。子供を残すことも許されない。そもそも寿命を全うできることも稀だった。


なお、そういう者達が就ける仕事で一番マシなものが、性奴隷である。男も女もだ。蟲毒の行ヌェネルガを生き延びた者達の性的な慰み者として生きれば、万に一つの割合として寵愛を受けることもないこともないからである。


他には、魔法医術の被験者か。ただしそれの場合はただの人体実験という面が強いので、時には人ならざる者に変異させられてしまうことも少なくない。そうなってしまうともう、それこそ<使い魔>として使役されて浪費されるだけだ。


一方で、魔法の才覚を持った者が蟲毒の行ヌェネルガを回避する方法も実はある。こちらは逆に、それを行う必要もないくらいに飛び抜けて優れた魔法使いであると認められれば免除されるという形だ。故に、親達の中には我が子を生き延びさせる為に教師に賄賂を贈り、はたまた教師の弱みを握って脅すといった形で評価を捏造し、免除させるということを行う者さえいた。


しかしそれは賄賂や脅迫といった不正行為の横行を生み、それらを行えるだけの資力や権力を持った者達が優遇されるという構図を作り出し、結果として人心は乱れていったのだった。


だがそもそも、何故、蟲毒の行ヌェネルガなどという忌まわしい儀式を行うようになったのかと言えば、それはこの魔法の国そのものの成り立ちにルーツがある。この国は元々、<邪神>と呼ばれる厄災をもたらす存在を討ち滅ぼすことを目的として魔法を磨き、強力な魔法使いを生み出すことを目的として発展してきたからであった。


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