30 母の疑念
親御様は少しの間じっとトーヤを見つめていたが、やがて小さく頷くとこう答えた。
「よろしくお願いいたします」
「はい、できる限りのことはします」
約束する方も約束してもらう方もこれが精一杯だと分かっている。
「それで、他に聞きたいことはないかとのことですが、やはり子どもたちのことを知りたいんです。トーヤさんが知ってらっしゃることで、それで話してもいいことをできるだけ聞かせてもらえるとうれしいです」
「えっ」
まさかそんな合せ技でくるとは思わなかったとトーヤは苦笑する。
「話せること、まあ色々ありますが、それを話す前に一つ聞いてもいいですか」
「はい、なんでしょう」
「うちの仲間のシャンタル、あなたの2人目子どもさんについて、どれぐらいのことを聞いてます?」
話すにしてもどの程度のことまで話せるのか、それを聞かないことには判断がむずかしい。
「八年前、生きる気力をなくしていた私に夫があの子が生きている、トーヤ様が連れて逃げてくれているはずだと教えてくれました」
「はい。それから?」
「それだけです」
「え?」
いや、まさかもうちょっと何か聞いてるんじゃないのかとトーヤは思った。なぜならこちらに帰って来てすぐ、1人でリュセルスの街に出てラデルを見つけ、その時に色々なことを話している。その時に簡単にだがシャンタルが亡くなった振りをして湖から逃げ出してアルディナに渡ったこと、そして実はシャンタルが男であることも話している。あの時にはまだ今ほど事情が分かっていなかったが、逃げる理由として話すにはそれで十分かと思っていたからだ。
「ですが知っていることはあります。もしかしたらトーヤ様がお聞きになりたいのは、あの子が男の子だったことを知っているかということじゃないでしょうか」
「え!」
今度こそトーヤは驚いた。ラデルから聞いていないとしたらどうしてそんなことを知っている。これはこの国にとって極秘中の極秘のはずだ。マユリアとシャンタルの両親が同じと知っていたカースの村長ですら、当時は姉妹だと思っていた。さすがに村長の姉の産婆もそのことまでは言えなかったのだろう。
「やはりそうだったんですね」
親御様はゆるやかに笑って頷く。
「実は見てしまったんです私」
親御様の話はこうだった。
シャンタルが生まれた時、やはりその場の空気がおかしかったのだそうだ。最初の子、マユリアを産んでから十年も経ってはいたが、その時のことはやはりよく覚えていた。子を取り上げてくれるのが同じ産婆であることも分かっていたが、その人も一緒にいた侍女もなんだかすごく慌てている。
なにか問題でもあったのかと聞いても少し待ってくれと言って答えてくれない。やがて侍女頭のキリエが来て産んだ子を見ると「まさか」と一言つぶやいた。親御様は十年前に出産までの長い間を世話になったことから、キリエがどのような人間であるかを知っている。何があろうと顔色一つ変えない人だ。自分が宮に連れてこられた時にも他の人間のように驚いたり困ったりはしなかった。そのキリエがあのようなことを口にした。
「それで
シャンタルが男の子であったこと、そして褐色の肌を持っていたということで、さすがの国一番の産婆も慌てたのだろう、手が当たって生まれた子の姿を見られないように区切っている布の片方が落ち、我が子を一瞬であるが見ることができた。そして見たのだ、その子が男の子であるということを。
もしも男の子であったなら、間違いであったと返してもらえるのではないかと思い、期待を込めてキリエに何かあったのかと聞いたが、その時にはもうキリエはいつもの鋼鉄の侍女頭に戻っていて、表情を変えることなくこう言った。
『いえ、とてもお元気で美しいお子様です。次代様のご誕生おめでとうございます。新しいシャンタルをありがとうございます』
その言葉を聞き、ではやはり自分が見たものは現実ではなかった。男の子なら我が子を取り上げられることはない、その希望が見せた幻なのだと思ったということだ。
「女の子だったのだ、ならばあの肌の色は影か何かの見間違えなのだろう、そう思って諦めました。ですがあの子のことが広く知られるようになり、それは事実だったのだと分かったんです。ならば男の子であったことも見間違えではないのではと思いはしたのですが、確認する方法もない。そうしているうちにこんな言葉が聞こえてくるようになりました」
親御様はつらそうな表情であの言葉を口にした。
「黒のシャンタル」
ああやはり知っているのだこの人も。トーヤは思わず胸が締め付けられる。
「世間では、あの子の母親は不貞を働きそのためにあのようなシャンタルが生まれたのだ、そんなことを言い出す人もありました。あの子こそ本物の忌むべき者であり、罪深きはその母親。そうとまで言われるようになり、とても耐えられなくなったのです。それで、リュセルスから遠い街に引っ越そう。長女が二十歳になり、返してもらえる日まで遠くから見守ろう、そう決めて王都を出ました」
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