8 穢れた場所
御祭神との3回目の面会を終えたトーヤは、その日の夕刻キリエの訪問を受けた。
「お待たせいたしました。ようやく時間が取れましたので」
「あんたも忙しいだろうにすまねえな」
「いえ、これも私の役目ですから」
キリエはトーヤに勧められて一つの椅子に腰をかけると、隣の椅子に持っていた袋を置いた。
「ほんとに堅苦しいなあ、入ってきたらとっとと座ってくれりゃいいのに」
「礼儀ですから」
すましてそう言う顔を見て、トーヤはうれしそうな顔になる。
「いや、変わんねえな」
何があろうとキリエはキリエのままなのがうれしかった。
「何がそのようにうれしいのやら」
そう言いながらもキリエもトーヤが変わらぬことがうれしいように見える。
「それで、なんの話だ。ミーヤが懲罰房からどこへ動かされたって?」
「ええ、その話で参りました」
「何があった」
「シャンタル宮の闇の話です」
「はあん?」
いきなりの話題にトーヤが間の抜けた返事をする。
「どう受け止めてそんな返事になったのでしょうね」
「いや、びっくりした」
「そうでしょうね」
「で、闇ってななんだ?」
「懲罰房です」
「つまり、ミーヤとセルマが入ってた懲罰房でなんか起きたってわけだな」
トーヤの表情が引き締まる。
「まだ起きてはおりませんが、起きても仕方がない、いえ、もしかしたら起きているのかも」
「どれなんだよ」
キリエがそんな言い方をするなど、思ってもみなかったトーヤが少しばかりまごついた。
「水音がします」
「はあん?」
またトーヤが間抜けた返事をする。
「なんだろうな。今日はそういう妙ちきりんな話ばっかり聞かされる日ってか? ただでさえ疲れてるんだ、もうちょい簡単に話してくんねえかな」
「本当に疲れているようですね」
トーヤの様子にキリエがそう言う。
「懲罰房に水音がするのです。絶え間なく、どこかで水が漏れる音が」
「直しゃいいだろう」
「ですが、その水音が聞こえるのは侍女だけなのです」
「へ?」
キリエがかいつまんで説明をする。
「なるほど。その水音はマユリアのことも侍女と認識してるってことだな」
「マユリアは元々シャンタルの侍女の女神ですから」
「そうだったな。で?」
「何かあってはいけませんから、ミーヤとセルマは空いた客室に移動させました」
「そうか」
聞いてトーヤはホッとした。
ではミーヤは、今は一応人間らしい部屋にいるってわけだ。
トーヤの顔を見てキリエの顔もほんの少しだけ
張り詰めた空気の中、そこにだけポッと小さな
「一体なんなんだ、その水音ってのは。そこに行けたら俺も聞いてみるんだが」
「行ってみますか」
「へ?」
「そう言うのではないかと思ってこの時間に伺いました」
相変わらずキリエには勝てない。
そう思うとトーヤはなんだか心が軽くなった。
「そういう人間がいてくれるってのは、なんてか気楽になれるな」
「何がです」
「いや、なんでもねえ。そんじゃ行くか。どやって行けばいい」
「これを」
キリエは持ってきた袋から神官服を取り出す。
神官服にも一応フードが付いている。
「まったく、ぬかりがねえったら」
トーヤはうれしそうに笑いながらその服を身に付けた。
「ではいきましょう」
すでに薄暗くなってきた宮の中、侍女頭が一人の神官を伴って静かに歩く。
別に珍しい光景ではない。
必要があれば神殿の者が宮へと呼ばれて所用を済ませるのは日常業務だ。
二人が向かったのは、
「ここって……」
「ええ」
親御様が出産のために入る産室のある離宮だ。八年前、前の宮の廊下からラデルが見つめていたあの方向。
「なんでこんなと――」
「お静かに。親御様がお過ごしです」
そう言われて黙ったまま付いていく。
離宮の入り口から中には入らず、ぐるりと回って北側に出る。
前の宮からつながる廊下は南側にあるが、北側、山側に向かってさらに奥に続く廊下があった。
その廊下を山の
キリエが鍵を開けてその中にトーヤを招き入れる。
(こりゃなんてところにあるんだよ。そりゃ俺も来たことねえわ)
トーヤはほぼ山の中に食い込むように作られた廊下に入る。
背中がひんやりとしたのは、洞窟のような廊下の冷たい空気のせいだけではあるまい。
そこから下に向かう階段を降り、また南へ向かう。
「おいおい、ここって」
「そうです。産室の下にある地下に向かっています」
「なんだってそんなとこに」
キリエは返事をせずにさらに進む。
カツーンカツーン。
二人の歩く足音だけが冷たい空気の中に響く。
この場所に連れて来られるだけで身が縮む思いをするだろう、そんな場所だ。
「この先は」
突然立ち止まるとキリエが口を開いた。
「最も穢れた場所なのです」
「穢れた場所?」
「次代様のご誕生は聖なること、喜ばれること、祝福されるべき輝けること。ですが、お産そのものは、血を伴い穢れにあたる。それでその穢れをこの地下に集めているのです」
「なんだよそりゃ」
トーヤは薄ら寒くなった。
「ここに入れられるのは『
「穢れた侍女?」
「宮に誓いを立てながら、それを破って男性と情を交わした侍女をそう呼ぶのです」
「…………」
「穢れた侍女は穢れた場所に。それでここに懲罰房が作られました」
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