8 親心

「静かでしたね、どうしました」


 アランの部屋からキリエ、ルギ、ダルの3人はキリエの執務室へと移動してきた。


 キリエがそう声をかけたのはダルだ。アランの部屋で話を始めたのはダルだったが、後半は一言も発することがなくなり、黙ったままでここまで戻ってきた。


「あ、俺ですか?」

「ええ」

「あ、ああ、いえ……」


 ダルは少し言いにくそうにした後で、はあっと息を吐きながら話し出す。


「なんだか怖くなってきて」

「怖く?」

「はい」

「とりあえずお座りなさい」


 キリエがダルと、それからルギにも椅子を勧めて座らせた。


「それで、何がそんなに怖いと言うのです」

「はい」


 ダルが座ったまま項垂れたように続ける。


「アランの言葉で、あらためて今、今までにはなかったこと、ありえないことが起こっていると思うと怖くなりました」


 キリエもルギも、今まで見たことがないダルの姿に少し驚く。


「俺も、なんでこんなに怖いんだろうって不思議だったんです。何しろ前にあんな経験してるし、それからも色々見てるし。だから、自分も色々経験して、なんだか結構いろんなことが大丈夫だと思ってたのに、それなのに、アランの言葉を聞いてたら、足が震えそうに怖くなってきて」


 ダルがまた大きくため息をつく。


「よく考えてて分かりました。俺、子どもたちに何かあったらどうしようって、それが怖くてたまらないんです」

 

 キリエもルギも何も言えずに黙ったままでいると、ダルが続ける。


「俺、自分も自分のやること、やらなきゃいけないことがある、そう思ってあの手紙の束を持って宮に来るって決めたんです。そうしたら何かが進むだろう、そう思って。でも、そうしてぐるぐる考えてたら、もしかしたらあれも、俺をそうして宮へやるため、そうしてうまく動かすために誰かがやったことなんじゃないか、うまく使われてるんじゃないか、そう思えてきて。そう考えだしたらもうどうやって動けばいいのか分からなくなって、そして今は立って歩いて前に進むのも怖い」


 元々が心優しく涙もろいダルだが、今もまさに泣きそうな表情になっている。


「しっかりなさい!」


 いきなりキリエがビシリと言った。


「あなたは父親なのでしょう? だったら怖いなんて言っている余裕はないでしょう。私もルギも、あなたのその親心と同じ物は到底持つことができないとは思います。ですが、守りたいもの、やらなければならないことを持つのは同じ。しっかりなさい、月虹隊隊長ダル!」


 ダルは思わず息を止めてしまったが、次の瞬間に、


「は、はい!」


 そう返事をして立ち上がった。

 キリエに活を入れられ、現実に返ったような感じだ。


「あ、ありがとうございます!」


 ダルがいつものように「二つ折りになる」礼をしたので、キリエが思わずクスリと笑った。


「そうですよね、こんなぐずぐず言ってる場合じゃない。ルギ」

「なんだ」

「俺、街の声を調べてみるよ。誰が一体こんな手紙をよこすようにみんなに言って回ってるか。そういや声をかけられたことがあるんだ、宮に伝えてもらいたいことがあるって」

「なんだと」


 ルギが軽く眉をひそめる。


「うん、少し前のことなんだけど、街中でいきなりそう話しかけられた」

「それでどうした」

「急いでるから用があるなら隊の本部に手紙ででも届けてくれって言った。それでかも知れない」

「そうか」

「だから、街中を歩いてたらまたそういう声をかけられるかも知れない。そういうのに聞いてみるよ」

「危険かも知れないぞ」


 わざわざダルを月虹隊隊長と知って声をかけ、宮への橋渡しを頼むようなやつだ。


「アランや船長の説によると、わざわざそこまでするってのは普通じゃないってことだよね。でも、だからって、逃げててもなんにもならない」


 ダルはそう言って右手のこぶしを左のてのひらに「バン!」とぶつけて、


「俺、親父としてあいつらに恥ずかしいところ見せられません。キリエ様、ありがとうございます」


 もう一度そう言ってキリエに笑顔を見せた。


「じゃあ行ってきます。あ、それから」


 ダルは真面目な顔になってキリエに、


「さっきのキリエ様の言葉、きっとうちのばあちゃんや母ちゃんと、それからアミとも同じです。だから、キリエ様のも立派な親心だと思います」


 ダルは驚いた顔になるキリエからくるっとルギを向き直ると、


「そんで、ルギはまだまだこれからそんな機会いくらでもあると思うから、まあがんばって」


 それだけ言って、今度は目を丸くするルギとキリエの二人に、


「そんじゃ、行ってきます。また報告に来ます!」

 

 そう言って、持ってきた文の束を抱えると、キリエの執務室から勢いよく出ていってしまった。


 キリエとルギは黙ったままお互いの顔を見合わせたが、


「なんだったのです、今のは?」

「さあ」

 

 キリエの言葉を皮切りに思わず二人で笑い出した。


「ああ、おかしいこと」

「まったく……」


 思えば不思議なことであった。八年前のあのことがあるまでは、キリエもルギも、お互いがこんな笑い方をするなど考えたこともなかった。


「本当に色々なことが変わりました、あの時から。そして、これから先は一体どうなるのでしょうね」


 キリエの言葉にルギが表情を引き締めた。

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