第二章 第三節 女神の国

 1 女神の想い

「マユリア、そろそろよろしいですか?」

「あら、ごめんなさい」


 あまりにマユリアとアランが楽しそうに話を続けているのでルギは少し遠慮をしていたが、さすがにそろそろアランを連れていかないと部下たちが変に思う。


「そういえば、アランは指名手配されていたんでしたね」


 マユリアが愉快そうにそう言う。


「はい」

「まあ一応」


 ルギとアランが同時にそう返事をした。


「では、そろそろ返さないといけませんね。ルギ、ありがとう」

「いえ」


 ルギは短く答えると、アランを促すようにうなずいてみせた。


「また指名手配ではなくなってから、色々とお話しさせてくださいな。その時にはトーヤも一緒に。それからベルと」


 マユリアはそこで一瞬言葉を止め、


「エリス様と呼ばれる方もぜひご一緒に」


 そう言った。


 その言葉を聞き、アランはマユリアが今一番話をしたい人、顔を見たい人が誰なのかが分かった気がした。


「はい、ぜひ。では隊長、行きますか」


 アランの言葉にルギは黙ってマユリアに礼をし、アランを伴って客室を出た。


 しばらく黙って二人で歩いていたが、いきなりルギが独り言のように言う。


「ああいうところは師匠とは違うのだな」

「え?」


 アランは何を言われたか考えていたが、なんとなく思い当たることを口に出してみた。


「えっと、マユリアの前での態度ですか?」


 ルギは答えず他のことを口にする。


「誰の前でも変わらないやつだ」


 やはりそうだとアランは思った。


 まことの神としか思えぬ神々しさ。

 見惚みとれずにはいられない輝き。

 天上の花のようなかんばしさ。


 息をするのも忘れるほど、ただただ美しいと思う。

 歴代で一番美しいシャンタル、そう呼ばれたのをさもありなんと誰もが納得する存在、それが当代マユリアなのだ。


 そのマユリアにトーヤはごく普通の態度で接するどころか、初対面の時には美しさに気づいていなかったと言う。

 普通の人間ならば初対面ではまずその美しさに「あてられる」と言ってもいい。

 信じられないことだ。


「それで妹と船長にぼろかすに言われてましたけどね」

「ほう」


 ルギが興味深そうに少しだけアランを振り向く。


「妹には、女の自分にでも分かるのに気がつかないなんて信じられない、船長には、おまえには女の良し悪しを語る資格なしって言われてましたよ。俺もあれが分からないのはどうかしてるって思ったし」


 それを聞いてルギが一瞬だけ笑った。


 アランが連れて行かれたのは、少し前まで滞在していたエリス様の部屋を通り過ぎた、衛士たちの部屋の近くにある部屋だった。


「あちらにミーヤとセルマ様、隣がディレン船長、そしてその隣がおまえの部屋だ」

「へ?」

「宮にはそういう者を入れておく部屋がないので客室の一室だ。もっとも、自由に出入りができないように前には当番の衛士がいる」


 なるほど、このたびの容疑者やら指名手配犯やらを集めて管理してるってわけか、とアランは納得した。


「俺、船長と一緒でもいいですよ。その方が手間はぶけません?」

「場合によってはな。とりあえず今は別だ。おい」


 ルギが部屋の前にいたボーナムに合図をし、アランをディレンの隣の部屋に入れさせた。




 マユリアは愉快だった。

 アランを見送った時の椅子に腰掛けたまま、小さく一人で美しく笑っていた。


「ああ、今日は本当に楽しかった」


 甘い吐息のようにそんな言葉がこぼれる。


 トーヤの親のようなディレンと、そして家族のようなアランと話をできた。

 トーヤとあの小さかったシャンタルが大きくなってからのことを聞けた。

 離れていた時間を少し埋めることができた気がする。


「海の匂いが……」


 マユリアが目をつぶり、少し斜めに首を傾げながらそうつぶやいた。


「わたくしの夢を叶えてくださる、そうおっしゃっていた……」


 あの日、八年前のあの時、まだ小さかったシャンタルがそう言ったのだ。


『シャンタルは今度の交代の時にはきっと戻ります。そして、そしてマユリアの夢を叶えて差し上げたい』


 それまで自分でもそれが夢だとは知らなかった想いを知っていた小さなシャンタル。


「エリス様……」


 マユリアはあえてその名を口にする。

 本来の名は、口にすると消えてしまう夢でもあるかのように。


 あの時、トーヤはこう言っていた。


『まあ、あれだ、ガキ連れて戦場なんて俺も行ったことねえからどうなるか分かんねえけどよ、最悪、あいつも傭兵になる、手を汚すことになる、ってことになってもいいんだな?』

 

 そして自分はそれで構わぬと答えたのだ。


「もしも、それが運命なら、傭兵であるトーヤと共に行くのなら、それもないことではないと覚悟はしていたけれど、でも……」


 できるならそのようなことはないように。

 それは心からの願いであった。


 あの小さく、けがれない存在が、おそらく今もあのままに成長なさっているのだ。

 それを思うと震えるほどの感動を覚えた。


 そのような過酷な場所で、トーヤはシャンタルを守っていたと聞いた。

 それは「守った」と一言で言えるほど簡単なことではないことは、戦という場を知らないマユリアにも理解できた。


「やはりトーヤはあの方の、この国の、この世界の、そしてわたくしの助け手たすけでなのですね……」


 マユリアはゆっくりと目を開き、まっすぐに天を仰ぐともう一度そっと目を閉じた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る