8 2本の糸

『分かりました、ではそのマユリアの話を』


 光が力弱くまたたく。話をするのがつらい気持ちが伝わるようだった。


『最初の一滴』


 光がその一言を口にした。


『あなたたちがそう言っていた懲罰房のあの衝撃』


『あの前に本当の最初の一滴があったのです』


「なんだって?」


 トーヤが厳しい目で光を見上げる。


「つまりあの出来事の前にまだ何かあったってことか」


『そうです』


 光がきっぱりとそう言い切った。


「じゃあとにかくそれを聞かせてもらおうか。その一滴の後に懲罰房の二滴目があった、そのためにえらいことになってる。そういうことでいいんだな」


『そうとも言えますし、そうではないとも言えます』


「おいおい、懐かしいな」


 トーヤが含みがあるようにニヤリと笑う。


「前はそれ聞いた時にはえらくイラッとしたもんだ。けどまあ、それ聞くのも今日で最後だと思うと、なんだかえらく名残惜しい気がする」


 ミーヤはその言葉にドキリとした。


 そう、今日で最後なのだ。前回、光はそう言っていた。次が最後の召喚だと。


「そんで、どこがそうでどこがそうじゃねえんだ。もったいつけずに分かりやすく話してくれ」


『分かりました』


 光が流れるようにそう答えた。


『本当の最初の一滴』


『それは今から十八年前のことです』


「そんな前! おれが生まれるより前じゃん!」


 ベルだ。


「確かにおまえが生まれるより前だな。ってか、俺もまだ生まれてねえや」


 アランが続けた。


「私が生まれた年だね」


 同じようにシャンタルも続ける。


「そうだなシャンタルの生まれた年だ」


 それに続いたトーヤの答えには、なぜだかずいぶんと重い響きがあった。


「ってことはだ、『黒のシャンタル』が生まれたことと関係あるんだよな」


 光は何も言わず瞬きもしない。


「よう、違うのかよ。それしか思い浮かばねえんだがな」


『そうとも言えますし、そうではないとも言えます』


 聞いた瞬間トーヤがきびしい視線を光に向けた。


「そこはぼかしてもらっちゃ困るってもんだ。何しろ俺たちの大事な仲間が関わってる。こいつが関係あるならある、ないならないとはっきりしてほしい」

「そうだよな!」


 ベルもまっすぐな視線を光に向ける。


「俺もだ。大事な仲間でそんで家族に関わってる」

「兄貴!」


 ベルに続いた兄の言葉に、シャンタル本人ではなくベルの方がうるうるした瞳で兄を見た。


 シャンタル本人は黙ったまま静かに3人の仲間を見つめている。

 いつものように何を考えているのか分からない表情だが、どう思っているのかは聞くまでもない。


「私もです」


 それを証明するようにたった一言だけそう口にする。


 光がほんの少しだけ温度を帯びた気がした。


『分かりました』


『もちろん『黒のシャンタル』の誕生と無関係ではありません』


『ですが正確にはその翌日の出来事です』


「マユリアの交代ですね」


 トーヤたちとは違う場所にいるリルだった。

 

 この場にいる3人の侍女のうち、それを最初に口にできるのは外の侍女である自分だけ。そんな響きを帯びている。


『そうです』


 空間に静かなさざなみのように衝撃が走る。


『当代マユリアがシャンタルとしての務めを終え、次代マユリアとなるためにマユリアを受け取った瞬間のことです』


 その瞬間に一体女神マユリアが何を感じ、何が起こったというのか。


「つまり、女神マユリアが当代マユリアの中に入られた、それが最初の一滴ということですか」


 ミーヤだ。


 侍女であるがゆえに主の身に起こったことを確かめねばならない。その声の強張こわばりがそう告げている。


『そうです』


 過去二千年の間1本の糸をつなげるように続いてきた交代の儀式、それが今回に限ってなぜそのようになったというのか。


『当代マユリアの中に入った瞬間、マユリアの心を穿うがつようにある思いが生まれたのです』


『自分が何者であるかそれを知ってしまったために』


「あの、よく分かりません。マユリアは代替わりなさってもマユリアであられる、私は、いえ侍女はずっとそう思ってお仕えしているのです」


 アーダだ。


 たとえ交代があり、外の方が交代したとしても中におられる女神は同じ方。侍女がまずしっかりと心得ることだ。それを否定されたかのようで声が震えている。


『シャンタルを受け入れ交代の後はマユリアとなる』


『1本の糸で代々に女神が受け継がれる、マユリア自身もそう思っていたのです』


『ですが違うとその時知ることになりました』


『糸は2本であると』


「よく分かんねえな」


 トーヤの声が光の声を止める。


「もうちっと分かりやすく言ってくれ、さっきも言ったがな」


 光がふわりと揺れた。


『シャンタルの糸とマユリアの糸、その2本が強くより合わさり1本になっている』


『ですがやはりそれは別の糸、同じ1本の糸ではない』


『マユリアはそのことに気がつきました』


『自分はシャンタルに非ず』


『その事実がマユリアの心に最初の一滴となる衝撃を与えたのです』


「つまりあれか、マユリアはあんたと自分が同一の存在、そう思っていたがどうやら違うらしいと思った、そういうことか」


『そうです』


「分からん」


 トーヤが困った顔でそう言った。


「マユリアはなんでそのことに気がついて、そんでなんでそんなに衝撃を受けたんだ」


 その場のみなが思ったことである。

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