13 一瞬の接点
いけない、ここで意識を失うわけにはいかない。マユリアは必死に自分の意識を取り戻そうとし、無理矢理のように目を開いた。
「いかがなさいました?」
「いえ、なんでもありません……」
マユリアはすっと背筋を伸ばすと、一段下、テーブルのところにある椅子からこちらを見上げている神官長に美しい眼差しを冷たく向けた。神官長は言葉は出さず、視線だけで称賛を送る。
「それで、話の続きはなんでした」
「いえ」
神官長は恭しく頭を下げると、
「どうもお具合がよろしくないご様子、本日はこれまでにいたします。お時間を取らせて申し訳ございませんでした。また後日、あらためて伺います」
そう言った。
「そうですか」
マユリアも特には止めず、そのまま神官長は退室していった。
マユリアはソファに移動し、力を抜いてその背にもたれた。正直、今日は神官長が下がってくれてホッとした。床上げはしたものの、体調を崩していた影響でまだ体力は戻り切ってはいなかった。その様子を見て、一応は気を使ってくれたのだろう。
マユリアは当番の侍女を呼び、今日はこのまま私室に下がると伝えて部屋へ戻っていった。
神官長はマユリアの応接から出て神殿へと足取り軽く戻っていった。
マユリアには一瞬であったあの時間が、神官長へは大きな収穫であったからだ。
「久しぶりにお会いすることができた」
執務室ではなく私室へ戻り、ゆったりとベッドに腰掛けて神官長はそうつぶやいた。
あの一瞬、マユリアが意識を失った瞬間、神官長は求めていた方との対面ができたのだ。
トーヤが推測した通り、マユリアの中の誰かか何か、それが神官長に話しかけてきた。皮肉なことに、神官長がその何者かと接触できる接点、それがマユリアだった。
あの瞬間、本当にまばたきをするほどのあの瞬間に、神官長はトーヤたちがあの光に導かれ、呼ばれたのと同じような空間に召喚され、話をする時間を持てた。それは外の世界の時間の流れとは違う空間で、マユリアには気がつかれぬうちの出来事であった。
八年前、トーヤとルギが黒い棺を沈め直すところを目にした。その衝撃からか高熱を出し、数日の間まるで悪夢の中にいるような心地になり、これは見てはいけないものを見てしまった自分に対する天罰だ、自分は苦しんで召されるのだ、そう恐れおののいた。
だが、その後、熱は下がり、普通の生活が戻った。見た目だけは落ち着いた生活をしてはいたが、実際の神官長の心の中は常に嵐が吹き荒れているような状態、心だけが日々すり減り衰弱していく。
耐えられず御神体にその苦しみのことを訴え、すがるようにして救いを求めたが何も告げてはいただけなかった。そして神官長はすべてを諦め、心を殺して生きることにした。
ところが、ある日マユリアに面会に行った時、奇跡が起こった。
マユリアの応接で、今日と同じようにお話をさせていただいていた時、マユリアがいきなり意識を失ったのだ。
神官長は慌て、そして体の芯から体温が全部奪われた気がした。自分が面会をしている時にマユリアがご不快になられた。なぜこんなことばかりが続くのだ、自分が一体何をした。全てを諦めて時が流れるままに生きる、そう決めたというのに、この上にまだどのような試練をお与えになられるつもりなのだ!
そう思った瞬間、神官長は不思議な空間に浮かんでいた。
「こ、これは……」
上も下も前も後ろも右も左もない。そこは不思議な空間だった。
「よく来ましたね」
どこかで聞いたことがある美しい声がした。その声の方向を見て、神官長は絶句した。
そこには空間に浮かぶ美しい方が。さきほどまであの部屋でお話をさせていただいたはずのマユリアが浮かんでいた。
「ようやく会えました。おまえの声は届いていたのですが、すぐには答えてやれずにすまないことをしました」
神官長は見えない床の上に崩折れた。
「あ、あなた様は、マユリア?」
美しい方が神官長の問いかけに美しく微笑んだ。
「今日はまだ場が安定していません。おまえの声は届いていた、それだけは伝えたかったのです。また次の時に」
そう言われ、あっという間に周囲が元のマユリアの応接に戻った。
急いでマユリアを見上げると、一瞬だけ意識を失ったという感覚があるのかないのか、怪訝そうに神官長を見ると、何もなかったように話の続きを始められた。
今のはなんだったのだ。神官長はそう思いながら話を続け、いつものように退室した。
自室に戻り、さっきの出来事を振り返る。
「奇跡……」
そうとしか思えなかった。
『また次の時に』
そうおっしゃった。だが、「次の時」とは一体いつなのか。分からないまま、今までと同じ生活を続ける。
見た目は今までと変わらない。だが、神官長の心の中は変わった。
「奇跡が起きたのだ……」
あの日、あれほど、血を吐くようにして訴えた時には何もお答えいただけなかったのに、あのような形でお応えくださった。
その事実が神官長の心を浮き立たせた。あの時はマユリアの応接で起きたが、今度はどこでどういう形でお目にかかれるのか。そう思いながら次の機会をひたすら待つ日々が続いた。
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