7 アベルとマルト
ベルとラデルは一度工房に戻り、今度は午後からベルことアベルが一人でマルトの小間物屋へと向かった。
「こんちわ、じゃなくて、こんにちは」
「あれ、君、今朝の」
「うん、ラデル親方のところのアベルです」
「こんにちは、何か買い忘れかな」
「うん、石鹸」
「石鹸? 今朝買ってなかった?」
「うん、買ってたんだけど、途中で落としたみたいで……」
アベルはちょっと項垂れて見せた。
「そうだったのか」
「うん。親方と食堂で昼飯食って帰ったんだけどさ、その時に落としたか忘れたかしたみたい」
「それは気の毒だったね。それで叱られて元気がないのかな?」
「ううん、親方は怒らなかったよ。今度から気をつけなさいって言われただけ」
「へえ、そうか。優しい親方だね」
「うん」
アベルはそう言いながらまた石鹸を選び、その代金をマルトに払った。
「はい、ありがとう。わざわざ来たんだからお茶でも飲んでいかない?」
「え、いいの?」
「うん、どうせ今暇だしお茶でもしようかと思ってたんだ」
「そんじゃごちそうになります!」
アベルはニコニコしながらすすめられた椅子に座った。
「はい、どうぞ」
「ありがとうございます」
木のカップに入った暖かくて少し甘いお茶と、よく宮で侍女たちが食べているあの焼き菓子をマルトが出してくれた。
「おいしいです」
「そう、よかった」
人の良さそうな丸顔のマルトがニコニコしながらアベルを見る。
「あの」
「なに?」
「お兄さん、一人でこのお店をやってるんですか?」
「いや、両親と、それから奥さんも時々手伝ってくれてるよ」
「そうなんだ。今は一人で店番?」
「僕は月虹兵でね、それでそちらのお勤めの時には両親が店をやってくてるよ。奥さんは今お腹に赤ちゃんがいてね、それで実家に帰ってるんだ」
「へえ、赤ちゃん」
「うん」
「楽しみ?」
「うん、楽しみだね。今度で4人目なんだけど、子どもが生まれるのは何人目でも楽しみなものだね。まあ奥さんは大変だけどさ」
「へえ、そうなのか。そんで、月虹兵ってのおれ、なんか名前は聞いたことはあるけどよく知らないんだ。お店やりながら兵隊やってるの?」
「そうか、よく知らないか。ってことは王都の子じゃないんだね」
「うん、ちょっと遠いところから来た。王都に来たと思ったら封鎖になってさ、もうちょっとで入れなくて困るところだった」
「そうか、よかったねえ」
「うん」
アベルが菓子を食べてからお茶を飲む。
「そんで、月虹兵ってのは何をするの?」
「そうだなあ、色んなことをするけど、主には宮からのお願いがあったらそれをお手伝いするんだ」
「宮の!」
かなり驚いて見せる。
「宮ってあの? シャンタル宮?」
「うん、そうだよ」
「ええっ、すごい!」
アベルが音を立てて立ち上がる。
「じゃあさ、じゃあじゃあ、お兄さんはシャンタル宮に入ったことあるの!?」
「うん、お勤めでね」
「すっげえ! おれも月虹兵になりたい! どうやったらなれる?」
マルトが興奮するアベルを見て微笑ましそうな顔になる。
「そうだなあ、まずは仕事を持ってる大人の人って決まりがあるんだよ。だから君は親方のところで一生懸命修行して、それで職人になってからだな」
「なんだよ~すぐには無理かよ~」
アベルはがっかりしたように椅子に座り直した。
「君はまだまだ子どもだしね。焦らなくてもいいよ」
「うん、分かったよ、がんばっていい家具職人になる!」
「へえ、ラデルさんって家具職人なのか」
「うん」
「そういやうちの奥さんのお友だちのおじいさんが家具職人だって言ってたな」
「へえ、親方の知ってる人かな」
「いや、かなり遠い村の人だって聞いたからなあ」
「どこの人?」
マルトがとある小さな村の名前を口にする。
「へ? そこ、おれの村のすぐ近所だよ」
「へえ、そうなの」
「うん、そんで最初はそこの村の親方の弟子になるかって言ってたんだけど、その親方がもう年とったから弟子取るのはしんどいって。それで紹介してもらって王都にきたんだ」
「へえ、遠くから偉いな」
「そんでね、その親方の孫って人が宮の侍女なんだって」
「え?」
どこかで聞いたような話にマルトが驚いた。
「その侍女って人、なんて名前だった?」
「う~んと、なんだっけかなあ、聞いたけど、う~ん、なんて名前だったかなあ……聞いたら思い出せる気がするんだけ、う~ん……」
「もしかして、ミーヤさん?」
「あ、なんかそんな名前だった」
「へえ!」
思わぬ偶然にマルトが声を上げて驚いた。
「すごい偶然だ! そのミーヤさん、うちの奥さんと同期ですごく仲良しなんだよ。今も一緒に月虹兵付きの仕事をしてる」
「え? 侍女の人って一生結婚しないでシャンタル宮で仕事するんじゃないの?」
「今は『外の侍女』っていうのがあってね、それでうちの奥さんはそれなんだよ」
「へえ、その親方の孫って人もそうなの?」
「いや、ミーヤさんは宮の侍女だよ。うちの奥さんは僕と結婚して外の侍女になったんだ」
「へえ、なんかよく分かんねえけど、けどすごい偶然だ!」
「本当だねえ」
アベルことベルはうまく話を持っていきながら、心の中で、
(本当は偶然なんかじゃないんだけど、ごめんなリルの旦那)
と思っていた。
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