8 女神の不調
神官長が心配する必要がないほど、リュセルスの街では息子である現在の国王と、父親である前国王のそれぞれを支持する民たちが争いを起こし始めていた。
「国王様が自分の父親を亡き者にしたって言うのか? あんな立派な方がそんなことをするはずがないだろう!」
「いや、俺は元王宮衛士って言ってたやつから直接聞いた。あれは本当だってな」
「じゃあそいつはどこにいるんだよ」
「それが、姿を見せなくなっちまって」
「ほれ見ろ、騙されたんだよ、おまえ。国王様を悪く言おうってやつらの嘘だって」
「いや、それがその逆だって話だ。その男、本当のことを言ったから、そのな」
一人の男が言いにくそうに周囲をうかがい、落とした声でひっそりと言う。
「消されたって」
それを聞いた男たちが言葉を飲み込む。そういえば、あの男の姿を一切見かけなくなった。それまではあちらこちらの広場で姿を見かけていたというのに。
思わぬことから神官長の意図とは違う形で、だが希望していた方向へと話が膨らんでいた。
「では、リュセルスはそんなに騒がしくなっているのですか」
「はい、アーリンとハリオさんが様子を見てきてくれたんですが、かなり落ち着かない状態らしいです」
「そうですか、ご苦労さま」
キリエがダルから報告を受け、そう言ってダルを下がらせた。
例の元王宮衛士はアルロス号で保護している。だが、男が姿を隠したことで、妙な噂に尾ひれがついてしまったらしい。なんとも皮肉な結果であった。だがそれでも、男が目立つ形で自害をするという形よりはましだったろうと思うしかない。今囁かれていること、国王が男をどうにかしたのではないかという噂、それはあくまで推測でしかないからだ。元王宮侍女のように事実にされるよりはよほど救いがあるというものだ。
他にもキリエには気になることがあった。
それは、いつまでたっても、神殿から交代の日の発表がなということだ。
次代様がご誕生になってもう
(それがいつまでも発表されない)
キリエには神官長が何かを企てているとしか思えなかった。
今度の交代の日は今までになかったものになる。いや、それを言うなら前回、八年前がすでにそうだった。何しろ交代を終えたばかりのシャンタルがお隠れになったのだから。
誰もが今回の交代が無事に終わるのかどうかと恐れている。リュセルスの民が騒ぐのも、その恐れが心のどこかにあるからだろう。民の不安を取り除くためにも、一日も早く交代の日を発表してもらいたいが、おそらく、神官長はあえてそうしているのだろうとキリエは思った。
神官長が一体何を企み、何を待っているのかは分からない。だが、その何かのために神官長は自分の命すらかけようとしている。そのためなら、理由をつけて交代の日を直前まで発表しないぐらいのことはやりかねない。
そして、キリエ自身もその恐れに意図せず加担している形になっていることをよく分かっていた。
「侍女頭の交代」
本当ならそれもすでに公表されていなければならなかった。だが、できなかった。
あの日、シャンタル、マユリア、そして先代マユリアであられるラーラ様、それから見聞役としてシャンタル付き侍女のネイとタリアの前で、キリエは交代を
理由の第一は、シャンタルがキリエに許可を出す前に、皆でお菓子を食べたいとおっしゃったことだった。
シャンタルは交代の後、姉とも慕うマユリアが神から人に戻り、人の世に帰られるのだと聞いてとてもさびしさを感じていた。その上に馴染み深い侍女頭も勇退し、北の離宮に入ると言う。
「キリエが言上に来たら、それをお許しにならないといけません」
ラーラ様からそう聞いてはいたものの、少しでもその時を引き伸ばしたくて、せめて最後に皆で珍しい菓子を食べ、楽しいひとときを持ちたい、そう考えた。そしてシャンタルの望みは叶えられた。シャンタルの望みが叶わぬことなどないのだ。
ネイとタリアがオーサ商会のアロ会長が献上した、口の中で解けてしまう不思議な菓子を持ってきた。それを皆で楽しくいただいていた時、もう一つの理由が発生した。
「マユリア、どうなさいました!」
最初に気がついたのはネイであった。それまで楽しそうにシャンタルとどの色の菓子が好きかと話していたマユリアが、ゆらりとソファに寄りかかった。
「いかがなさいました」
キリエも急いでマユリアに駆け寄る。
「いえ、なんでもありません……少し、めまいがしただけですから」
そう言いながらマユリアが意識を失った。
シャンタルに許可をいただき、急いでマユリアを宮殿の寝室にお移しし、侍医を呼んだ。
侍医が駆けつけた頃にはもうマユリアは意識を取り戻し、いつものご様子であられたのだが、念のためにそのままご静養されることとなった。そしてそのまま、部屋で寝付かれることとなった。それ故、侍女頭の交代は、まだ正式には認められずにいる。
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