11 二人のシャンタル
だが、混乱の中でもラーラ様にもおぼろげに理解できたことはある。おそらく、シャンタルと二人きりになる時間を作る、そのためのベルの提案であろう。
ラーラ様はその提案を受け入れたい気持ちと、受け入れるのが怖い気持ちの間に立っていた。
感情としてはすぐにもシャンタルを抱きしめて無事な帰還を喜びたい。だが、その帰還の方法がなぜ「エリス様」なのか。いや、シャンタルの容貌ではそのままこの国に入れはしない、そのための扮装だと思えばそこは理解できる。だが、それならばなぜ、こんな形で当代の寝室に忍び込まなければならないのか。どうして逃げ出さなければならなかったのか。そしてどうして戻ってきたのか。考えることが多すぎてまとめられない。
「あの、ラーラ様」
ベルの声でラーラ様が現実に引き戻される。
「もしも、私がシャンタルに何かをするのかも知れないとお疑いならば、私を縛っていただいても構いません。それでも信用ができないとお思いなら、私は衛士の方に名乗り出て拘束してもらいます。ですから、どうか、どうかエリス様だけでもこちらでお預かりいただけないでしょうか」
ベルが必死にそう言って、椅子から降りて床につかんばかりに頭を下げる。
「ベル! ラーラ様ラーラ様、ベルは悪いことなんてしません! エリス様を助けるためなら自分はどうなってもいい、そんなこと言う悪人はいないでしょう?」
シャンタルはベルを追うようにして寝台から降りると、ベルの両肩に手を置き、涙をいっぱい浮かべた目でラーラ様を見上げた。
「シャンタル……」
ラーラ様はさらに困り、困り果てる。
「シャンタル……」
次のこの名をラーラ様はベルの後ろにいる、すっかり素顔を隠した方に向けてつぶやいた。
どちらもラーラ様の大切な、命に替えても守りたい我が子シャンタル。だが今、その二人はあまりにも立場が違う。本当なら今すぐにでも衛士を呼び、当代を守るのがラーラ様の使命だ。母としてではなく、シャンタル付き侍女のそれが役目なのだから。
もしももう一人のシャンタル、先代「黒のシャンタル」がその名にふさわしい黒い目的で、かつては自分の場所であったここに忍び込んできたのなら、たとえ愛しい我が子であっても、迷うことなくそうしていたに違いない。
(だけどこの方は、このシャンタルはそうではない)
託宣によるあの厳しい試練を乗り越え、運命に従うためにこの国を離れた方だ。
『大丈夫です、シャンタルはきっと元気にまたラーラ様とお会いしますから、大丈夫ですよ』
ラーラ様はシャンタルと最後に交わしたこの言葉を決して忘れはしなかった。そしてその日を待ちわびていたのだ。
『マユリア、ラーラ様……また戻ってくるね、待っててね』
そう言ってぎゅっと抱きついたあの感触を忘れはしない。
やっとラーラ様は平静に戻ることができた。あまりの事態に混乱し我を忘れたが、八年前カースで村長の妻に諭され、そして誓ったのだ、母として強くあろうと。
(わたくしはシャンタルを信じる、愛しい我が子たちを)
恐れを乗り越えてラーラ様はそう決意した。
「波の音が……」
「え?」
ラーラ様が思わずつぶやいた声に、小さなシャンタルが不思議そうに首をかしげた。
「いえ、なんでもありません」
ラーラ様はそう言って、まだベルの両肩に手を置いたままの小さな主、大事な我が子に微笑みを浮かべる
「分かりました。今日はもう遅い、ですからベルは言う通りにシャンタルと一緒にここで休んでください。わたくしはエリス様とご一緒させていただきます」
「いいの!」
「ええ。ですが、ベルとおしゃべりをしてこれ以上の夜ふかしはなさらないこと。お約束できますか?」
「ええ、約束します! おしゃべりは明日にします!」
その可愛らしい答えにラーラ様もベルも、そして布に守られ見えぬ場所でエリス様も思わず微笑んだ。
「ではシャンタルをよろしくお願いいたします」
「ありがとうございます。こちらこそエリス様をよろしくお願いいたします」
ラーラ様とべルは頭を下げ合いながらも、ちらりと互いの目と目を見交わす。
「朝はいつも2つ目の鐘で起きるのですが、明日は1つ目の鐘で起きてベルはこちらの部屋に来てください。侍女たちが来るまでに、どう時間を過ごすかを考えたいと思います」
「分かりました、ありがとうございます」
ラーラ様とエリス様は侍女部屋へと移動した。
侍女部屋とシャンタルの寝室の間の扉に鍵はない。もしも小さなシャンタルが好奇心から部屋を覗きに来ることがあってはいけない。ラーラ様と「エリス様」はしばらく寝台に座ったまま黙っていたが、しばらくしてラーラ様が隣の部屋の様子を伺いに行き、ベルがシャンタルが休んでいることを合図してくれたので、やっとエリス様は布の海の中から出てくることができた。
被り物を取り、かつらを外したその人は、銀色の長い髪、褐色の肌、深い深い緑の瞳。もうラーラ様はとても我慢ができなくなり、思わず抱きしめて涙を流す。
「……よく、よくご無事で、本当に大きくなって……」
それ以上今は何も言えず、しばらくの間「母」は「我が子」を抱きしめながら、ただただ涙を流し続けていた。
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