第三章 第一節 カースより始まる

 1 疑心暗鬼

「新国王を非難して前国王に戻っていただきたいと言った男が逮捕され牢獄に入れられたらしい」

 

 今、リュセルスの街で静かに流れている「噂」だ。


 カトッティ近くの酒場で寄って暴れた外の国の水夫が憲兵に拘束され、醉いが覚めた後できつく叱られて船に戻されたというのが事実であったのだが、その水夫にからまれた男もケンカ相手として短時間ではあるが共に憲兵に連れて行かれた。

 その男が日頃「新国王にお戻りいただきたい、天の怒りが怖い」と口にしていたもので、事実に尾ひれがついてそのような形で広がったらしい。


 噂は民を萎縮させた。

 それまで酒場で飲んでは気楽に「前王様にお戻りいただきたい」「いや、新王様こそ素晴らしい方だ」と、酒のつまみのように話していた男たちが口をつぐむ。

 同じように洗濯場で、買い物ついでに街角で軽口を叩いていた女たちも触れなくなる。


「なんでも憲兵に密告されて、そんで逮捕されたらしいぜ」

「密告ってなんでそんなことを」

「そりゃ王家に失礼な口たたいたってことじゃねえのか?」

「そんじゃ誰がそんなこと見てるんだよ」

「さあ、それは分からんが、もしかしたら変装した王宮衛士とか……」


 今、急な封鎖で常ならばその前に船をカトッティの外に避難させているはずの外の国からの船も、そんな時間もなくそのまま封鎖の内側に留められたままになっている。つまり、いつもより見知らぬ顔がたくさんこの王都に滞在している。

 少し街を歩くだけでも、普段とは少し違う顔ぶれを見かけることが多い。

 それだけでリュセルスの民たちはやや疑心暗鬼となっていた。


――今度は自分が逮捕されるかも知れない――


 その思いはある者の口をつぐませ、逆にある者の気を高ぶらせた。


「やっぱり早くなんとかしないと、この国がどうなるか分からない」


 危機感を感じた一部の者が血気にはやり、そう口にする。

 そして、その一部が実際に動き出そうとしていた。


「いいか、期限は交代の日までだ、それまでにどうあっても前国王様にお戻りいただくのだ」


 中心の人物の言葉に周囲の人間が黙って頷く。


 その下準備のためにも民の間に交代の声を高めておく必要がある。


「もっと不安をあおれ。そしてその声を宮へ届けさせる。シャンタルやマユリアにまで届くようにな。宮から暗黙の了解を得て、そしてうまくうまく、なかったことのように玉座にお戻りいただく」


 周囲の人間がやはり黙って頷く。


「いいな、静かに、だが確実にことを進めるのだ」


 その言葉を合図のように、周囲の人間たちが散っていった。




「またこんなに届いてます」


 そう言って部下が運んできた書類の束を見て、月虹隊隊長ダルは大きくため息をついた。


「またか。それで内容は?」

「ほとんど同じです」


 内容は、


「罪もない親を引きずり下ろした新国王から王座を取り戻し、前国王にお戻りいただきたい」


 文面は違ってもほぼ同じ内容だった。


「それを宮へ伝えて、シャンタルやマユリアから命令していただきたい、って続いてるところも同じかあ」


 ダルはまたため息をつき、1枚の紙をふわっとテーブルの上に置いた。


「天は新国王の即位をよしとはなさっておられない、シャンタルもお認めになっておられない」


 そんな噂がリュセルスに流布するようになってから、月虹隊本部に届けられる文は日に日に増えていった。


 月虹隊は宮と民を結ぶ兵、虹の兵である。宮の衛士と街の警備にあたる憲兵との間という意味合いもあり、色々な仕事をしているが、唯一月虹隊だけが扱っているのが「民からの要望を聞く」という仕事だ。


「月虹隊に要望を出すと宮を通してシャンタルやマユリアに伝えてもらえるらしい」


 隊ができた時にそんなデマが一時広まった。「宮と民をつなぐ」というその一部分だけが独り歩きした形らしい。


 それはなんとか訂正をしたものの、それからも月虹隊には色々な要望が舞い込むようになり、その内容を吟味して場合によっては宮に上げる、というのも任務の一つとなっていった。


 それは時にシャンタルやマユリアへの謁見を求めるという、とても理由もなく叶えられない希望であったり、至極真面目に月虹隊へのあり方への意見や、中には世話になったことへのお礼などとても多岐にわたる内容であった。隊員たちも元が民の一人であるので、その立場から見ると「これは確かにそうだろう」と無視することはできない問題も提起されていたりして、隊の方でもいつからか活動の参考にする形になっていった。


「これを宮に上げろって言われてもなあ、宮の方だって困るだろう」

「そうですよね」


 文の束を持ってきた隊員もダルに続いてため息をつく。


「シャンタルが新国王をお認めではないという話は本当なんでしょうか」

「え?」


 まだ若い、入ったばかりの隊員にそう言われ、ダルが聞き返した。


「いや、もしも本当にシャンタルがお認めになっておられないのなら、民の声をお届けしないといけないのではと思って」

「おいおい」

「隊長は実際にシャンタルやマユリアにお会いしたと聞きました。本当なんでしょうか?」


 若い隊員が痛いところを突いてきた。

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