17 婚姻誓約書
「いいのではないかな」
国王は神官長の案に妥協するという感じの返事をよこしたが、その顔から満足しているのは間違いがなかった。
「はっ、ご了承いただけて安心いたしました。では、ここにサインをいただけますでしょうか」
「何、今か?」
「はい。善は急げと申します」
「そうか」
国王は目の前に置かれた
「シャンタリオ国王とご署名をお願いいたします」
「なんだと?」
国王はペンを持つ手を止めて神官長を振り向く。神官長は国王の右隣りに膝をつき、その様子を見ていた。
「皇后との婚姻の折りには予は予の名前を署名したが、なぜ
「それは陛下もご存知の通り、此度の
――
その言葉が国王の心に強く刺さる。
「なるほどな、そのようなことならば、そうしよう」
国王はペンを走らせ、達筆で夫の欄に「シャンタリオ国王」と署名をした。
「見事な
神官長は満足そうに署名された誓約書を眺める。
「では、これを当日ランプの代わりに婚姻の誓いといたしましょう。ありがとうございました」
「うむ」
国王も満足そうにそう答えて王宮へ帰る。
「これさえ手に入れば」
神官長は署名が完全に乾き切るのを待つと、重厚な革製の扉を閉じ、大切そうにもう一度上から絹の布で包み、人の手が届かない私室に移動して鍵をかけた。
「これでいい、これで後は当日を待つばかり」
神官長はゆるやかに薄く目を閉じると、天に祈るように両手を組んでそうつぶやき、部屋を出た。
シャンタル宮でも8日後の交代に向けて慌ただしい日々を送っている。
「今回はその前日にマユリアの御婚儀があります。これは今までにはなかった初めてのこと、そしておそらくは最後のことになります。万に一つの間違いもないように、気を引き締めてください」
侍女頭から各係の取りまとめ役、その他重役にいつもより厳しく申し伝えが行われる。シャンタル宮から花嫁を送り出すなど二千年の歴史の中で初めてのこと、侍女たちのただならぬ緊張がキリエにも伝わってくる。
「おまえたちには大変な重責を負わせることになってしまいましたが、この重大な局面に立ち会えることを光栄と受け止めてくれるとうれしいと思っています。私も今回のことを人生の一番重要な局面と思っています。一緒に乗り越えてください、お願いいたします」
キリエはそう言うと侍女たちに深く頭を下げ、集まっていたそれなりの責任ある立場の侍女たちが思わずざわめいた。
当然であろう。今までこの鋼鉄の侍女頭がこのように自分より下の者に頭を下げるなど、一度たりともなかったことだ。それほどに自分たちの頂点に立つこの方には誤りも、失敗も、そして弱気な部分もないとばかり思っていた。
そのキリエが腰低く、部下である自分たちに頭を下げ続けている。侍女たちは感動すると共に、今回の出来事がいかに常ならぬことなのかをあらためて思い知った。
「あの、頭をお上げくださいませ、キリエ様」
いつまでも頭を下げている侍女頭に耐えかねたように、まず声をかけたのは食事係の取りまとめ役、セレンであった。
八年前、ミーヤに何があるのか教えろと迫り、シャンタルに無礼な言葉をかけた自分を許し、その後も変わらぬ態度で接し続けてくれたキリエ。セルマもミーヤたちと同じく、キリエの懐の広さを知る一人である。
あの時、セレンは自分がやってしまったことの罪深さに恐れおののき、どのように厳しい処罰を受けても仕方がない、せめて正直に全て告白しようと自分の行いを素直にキリエに話した。だが、キリエはセレンの反省と謝罪を受け入れ、許してくれた。
「失敗は誰にでもあること、重要なのはその後のことです。おまえは自分の罪を全て認め、シャンタルに対してだけではなく、格下の前の宮の者であるミーヤへの態度も心から悔いている。今度のことは不問にいたします、これまで以上に誠心誠意シャンタルにお仕えなさい」
その言葉通りセレンは必死に職務に励んだ。誰が見ていようがいまいが、二度と天に顔向けできぬようなことはすまい、その気持ちで働き続けたところ、今度は信じられないことに食事係の取りまとめ役にと指名をされたのだ。
この時もセレンは過去の罪からキリエに自分にその役目はもったいないと一度は辞退を申し出た。だがキリエはこう言ったのだ。
「一体いつの話をしているのです。おまえはあの時誓ったように誠心誠意シャンタルにお仕えし、裏表なく務めに専念してきました。私はそのことをよく知っています。そして今回の取りまとめ役交代に際して、前任のスウェカと相談の上、おまえを次期取りまとめ役と決めたのです。おまえは堂々と役目につけばよろしい」
セレンは涙を流しながらありがたく拝命を受けた。
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