12 楽しい夢
マユリアは自室へ戻ると侍女たちにしばらく誰も来ぬようにと言い、寝台の上にストンと腰を下ろした。
「そう……」
一言だけそうつぶやくと、小さくクスクスと笑う。
「トーヤが戻ってきている……では、きっと……」
そう言って今度はキリッと表情を引き締めた。
「やはり託宣は……」
きっとあの託宣はあの方が。
「エリス様……」
マユリアはぽつりぽつりと心と頭の中にある単語を口にする。
何からどう表現すればいいのかは分からないが、これで全てがつながったとそう思った。
トーヤと先代があちらからアランとベルという2人の仲間を連れて戻っている。
ではどうして帰ってきていることを告げず、わざわざあのような物語まで作り上げて宮の中に戻ってきたのか。
それはきっと……
「わたくしのことを信用していないから」
そう言ってマユリアはまた楽しそうに笑った。
マユリアはシャンタルとなる運命の元この世に生を受け、十年をシャンタルとして生き、10歳の時に先代にシャンタルの座を譲ってマユリアとなった。常ならばさらに十年後、今度はマユリアをまた先代に譲りすでに人に戻っているはずであった。それがあの出来事のためにさらに八年の任期を経た28歳の現在まで、「信用されない」という経験をしたことがない。
マユリアもシャンタルと同じく神である。神である存在にそのような目を向ける人間はこの国には存在しない。
「いえ、セルマももしかするとそうかも知れませんね」
だがセルマのマユリアに向ける目とトーヤが向ける目は違う。それは理解している。
セルマはマユリアがもうすぐ人の身に戻る者、その後は宮で権力を得るだろう自分の方が上の立場になるのだとの考えの上でそう思っている。
有効期限という条件つき、そうして自分の立場を上に見ることで己の立場が揺らがぬように、あえてそうしようとしているのだ。
「トーヤはきっと、わたくしたちを助けてくれるために、そのためにわたくしを、そしておそらくラーラ様のことを信用していない」
確信に満ちた表情でマユリアはそうつぶやいた。
トーヤは八年前の出来事でよく知っているのだ、自分たちがいかに「融通の効かない存在」であるかを。
もしも帰還を告げたとしたら、そのためにかえって自分たちを助ける邪魔になる可能性がある、トーヤはそう考えているのだろう。
それに八年の間に宮の中がどうなっているかも分からなかった。実際宮の中は変わってしまった。あの時のことを知らぬセルマが神官長の後ろ盾を得て権力者として振る舞っている。彼らに八年前の出来事を知られるわけにはいかない。
「選ばれた者にしか知らせられぬことを知られずに済んだ」
トーヤの選択は正しかった。
もしもトーヤが自分たちの頼みの元で先代を連れ出したのだからと、意気揚々と帰還してきたとしたら今どうなっていたことか。
そう思うとまたマユリアは笑みを浮かべずにいられなかった。
「楽しい……」
そう言ってまたクスクスと笑う。
「本当にトーヤは楽しい……いつもわたくしを楽しい気分にしてくれる。だからわたくしはトーヤが好きなのですよ」
いつもいつも思わぬ世界を見せてくれる。
常のシャンタルと同じ人生を過ごしたとしたら見ることはなかっただろう世界を。
「海の、向こう……」
マユリアはさらにつぶやく。
『海の向こうへ行ってみたい、そうおっしゃったと……』
そしていきなりルギの言葉を思い出した。
ルギが、あのルギが自分に対して初めて投げかけた質問。
そう、あれもきっとトーヤから聞いたのだ。
あの時はてっきりミーヤから聞いたのだとばかり思っていたが、戻っていたとしたらトーヤから聞いたと考える方が自然な気がした。
ルギはトーヤの帰還を知っていた。
では一体他に誰が知っているのだろうか。
キリエは知っているとマユリアは確信していた。
『申し訳ありません、私には、人の身たる私には、何度問われてもお答えする術がございません。たとえ、その場に立ち会っていたとしても、同じお答えをするしか』
知っていてああ言ったのだ。
やはりキリエは知っていてラーラ様がエリス様の託宣の場にお供するように仕向けたのだ、当代に託宣をさせるために。
他には本人が言っていた通りにミーヤ、そしてダルとリルもあの様子からおそらく知っているだろうと思われた。八年前にあのことに関わった者で知らぬのは自分とラーラ様、そしておそらくネイとタリア。奥宮にいる者だけには知らされていなかった。
「ああ、楽しい……」
マユリアはそうつぶやくと寝台の上に伏すように倒れ込み、布団で隠すようにして忍び笑いを続けた。
もう一度夢の続きを見てもいいのだ、そんな気持ちになっていた。
目の前に広がる青い青い海、その上を滑るように走る船。
その上で剣を構え、荒くれたちを従える女海賊。
そんな光景が次々にマユリアに波のように押し寄せていた。
「ですが」
ふと声を止め、あらためて続ける。
「その夢のためには、おそらく、わたくしは知らぬ方がよかったのでしょうね。わたくしが一番知ってはいけない者であったのでしょう」
その声はこの上ない悲しみに満ちていた。
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