2 広がる

 リュセルスの街が封鎖されて数日が過ぎた頃から、街中には妙な噂が広がっていった。


「シャンタルは新国王様の御即位を良しとなさっておられないらしい」


まず聞かれるようになったのはその言葉だった。


「そりゃ新しい王様、おっと、皇太子様か? は若くて立派で素晴らしいお方だとは思う。思うのは思う。けどな、あのやり方はなあ」


 まずは、元から無理やりな交代劇に少し疑問を持っていた者たちの間から、静かに広がっていったようだ。


「でも前国王様が今度の交代に合わせてご自分から御譲位なさったって俺は聞いたぞ」

「いや、俺の知り合いの知り合いに王宮衛士がいるんだがな、なんでもそりゃ嘘だそうだ」

「嘘?」

「ああ」

「嘘って、本当はじゃあどうなんだよ」

「いや、それがな」


 言い出した男が苦々しそうに続ける。


「八年前の、ほれ、あれだよあれ」

「あれ?」

「ああ、国王と皇太子がな、ほれ」

「ああ」


 言われて聞き手も思い出した。


「親子でってあれか」

「そういうこと」


 あの時は、マユリアが国王の後宮に入るということで落ち着いたのだとの話だった。


「ってことは?」

「ああ、今度はぜひとも我が物にしたい。そう考えた皇太子が無理矢理に力ずくで国王と、それからマユリアに言うことを聞かせたらしいぜ」

「へえっ!」

「少なくとも王様の時にはマユリアはきちんと約束をなさったんだそうだ。そのなんだっけかな、約束しますって書類、ええとな、えと、そうだ、誓約書だ。そういうのを書いてらっしゃったんだそうだ」

「ってことは、王様の側室になります、そう約束をなさったってことだな?」

「そういうこと」

「それじゃ今度はどうなるんだ?」

「いや、それがな」


 リュセルスの繁華街にある、そこそこはやっている中程度の大きさの飲み屋である。

 ひそひそと話していた二人の男の話に耳をそばだてる者が増え、気がつけば二人を中心にちょっとした輪ができていた。


「なんでもそのお約束がまだ生きてるってことでな、交代の後、マユリアは前回のお約束通り国王陛下の後宮に入られるおつもりだったそうだ」

「え、そうなのか」

「ああ、マユリアは誠実なお方だからな。一度約束したことをたがえはしません、そうおっしゃったそうだぜ」

「ほう、そうなのか」

「ああ何しろ女神様だからな、人を裏切ったりなどお考えにもならないんだろうよ」

「なるほどなあ」

「おい、そんじゃさ」


 今まで聞き役だった第三者の男が会話に交じる。


「その約束を守るってことなら、マユリアはじゃあ、引退なさった王様の側室になられるってことか?」

「いや、だからな」


 周囲がますます話にのめり込む。


「皇太子がな、今度こそは自分のそばにって、そのために無理矢理に王様から玉座を取り上げて、そして自分のところに来るようにと無理強いなさっているらしい」

「ほう!」

「いや、でもなあ、俺がマユリアでも若くて男前の息子の方を選ぶと思うがな。いくらご立派でもお父上はもうお年だ」

「そうだよな、こう言っちゃなんだが、先のことを考えたら、なあ」

「いや、それがな」

 

 なんだなんだ、また一人の男にみんなの目と耳が集まる。


「マユリアは前国王陛下のお人柄、ご人徳、そういったところに深く感じ入って、それで親子がもめた時にも、ご自分で父親の方をお選びになられたらしいぞ」

「へえ~」

「いや、そんなことあるのかね」

「ああ。見た目だとか年齢だとかより、なんてのかな、魂か? それがご立派だとおっしゃったとか」

「なるほどねえ」

「マユリアがシャンタルであった時代、それから先代の時代な、その二十年があれほど平和であれほど繁栄したのは天が国王陛下をお認めになったがゆえだ、素晴らしい治世はそのおかげだ。そうおっしゃって父王様をお選びになったんだと」

「じゃあ、あれか、新国王陛下、あの方にはご人徳がない、そう言うのかよ」

「立派な方だよなあ」


 不満そうな声がどこからか上がった。


「そんなことは言ってないだろうが。確かにあの方はご立派だ。一点の非の打ち所もない素晴らしい後継ぎだ、みなそう言ってた。そうだろ?」

「ああ、そうだそうだ」

「だからマユリアだってあの方ならなんの文句もなかろう、みなそう言ってたぞ」

「だからだな、あの方もご立派なんだよ。だがな、前国王様のように次の十年二十年、平穏かどうかはもう分からないぜ?」

「なんでだよ?」

「それはな、天に背くようなことをなさったからだよ」

「天に?」

「ああそうだ」


 一人の男の言葉にみなが釘付けになる。


「いくらご立派だってだな、父王の元に行かれるとそう決めていらっしゃった女神様の、その御心おこころを踏みにじり、誓約も反故ほごにして、そのために、力付くで父親を隠居させちまおうなんて、そんな国王、天がどう思うよ?」

「いや、言われてみりゃ……」

「う~ん……」

「だからだな」


 少し声を潜めた男の言葉を逃すまいと、みなが静かになり、少しばかり輪を狭める。


「大人しく、父王様が玉座をお譲りになるまで待ってらっしゃったらな、そりゃ立派な王様になっただろうに。それを、天に唾するようなことしちまっただけにな、あの方は自分で自分に味噌つけちまったってことだ」


 ざわざわと静かな不安が波紋を広げた。

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