16 ラーラという侍女
「いたしかねます」
キリエは神官長の申し出をきっぱりと拒否した。
「あの香炉については私がもしかしたらと申しただけのこと、言った本人が確かなことではなかったと申しております。もしかしたら自分の一言で無実の者が拘束され続けているかも知れない、それはとてもつらいことです」
神官長はキリエの目をじっと見つめながらそう訴える。
「神官長の言葉
「あの侍女見習いたちの言葉ですか。あんなものが証拠になるでしょうか」
「少なくとも2名の者が香炉を届けに来た者の声の持ち主に心当たりがある、そう申しております」
「そんな頼りない証言だけで、仮にも宮の役付きの者を
「よい、とは申せませんが、それも含めての一連の
「一連の事柄とはなんでしょうか」
「それを今ここで言う必要はないかと存じます」
キリエはそう言うとそのまま口を閉じた。
「分かりました」
神官長は口ではそう言いながらも本心では納得していない、そんな視線をキリエに向けた。ただ、何を言っても一度こう言ったら侍女頭はもう何を言うつもりもないことも分かっている。
「では、私からも1つ言わせていただきたい」
「どうぞ」
キリエはいつものままでそう答える。
「セルマは、
神官長はゆっくりと、言葉を切りながらそう言った。
侍女頭は何も言わずに神官長をじっと見るだけだ。
「聞こえていらっしゃいますかな、セルマは陥れられたのですよ」
神官長も侍女頭から目をそらさず、もう一度そう言った。
「意味を分かりかねます」
「真犯人がいる、と申し上げております。私はその者について推測がついております」
キリエは神官長の真意を探るように表情を変えぬ目でじっと見つめた。
「その者はセルマに宮にいてもらっては困る者。キリエ殿、あなたが
キリエは答えない。
「あなたにも思い浮かぶ方があるのではないですか?」
「心当たりはございません」
「さようですか」
短く答えたキリエに神官長がニヤリと笑う。
「ラーラ様、そう呼ばれる侍女が奥宮にはいらっしゃいますな」
思いもかけない名を耳にしてキリエは心底驚くが、それを顔に出すことはしない。
「私も八年前、あの出来事があるまでは存じ上げなかったのですが、元シャンタルにして元マユリアでいらっしゃった、今は奥宮でシャンタル付きとなっている侍女です」
どうやら神官長の言葉を聞き間違えたのではないようだとキリエは思った。
「おっしゃる意味を分かりかねます」
神官長はキリエをじっと見て、その動じぬ表情の奥に動揺がないかを探る。
「ラーラという侍女はセルマを嫌っていらっしゃるとか」
それは確かであった。いつも誰に対しても母のようなラーラ様が、セルマにだけは、ご本人はできるだけ出さないようにされているのだが、それでもどうしても表情に、言葉の端々にそのような気持ちが見え隠れする。そしてそのことに苦しんでいらっしゃることもキリエには分かっていた。
「そうなのですか」
キリエの感情も何も感じさせない返答に神官長は苦笑する。この期に及んでも心の動き一つ見せぬ、まさに鋼鉄の侍女頭に。
「そう思いになったことは、お感じになったことはございませんか」
「侍女の私的な感情や言動について、侍女頭として何かを述べる必要があるとは思えません」
「ということは、何かをお感じになったことはある、ということで構いませんか」
「何もお答えすることはございません」
「さようですか」
「キリエ殿はお気づきではなかったのかも知れませんが、そのような事実があるのです。少なくともセルマは悪意を向けられていると感じておったようです」
「さようですか」
否定も肯定もしない。ただ神官長の言葉を聞いただけの返事。
「ですから、セルマはラーラという侍女に何かを仕掛けられたのではないかと私は考えております」
キリエは無言だ。
「もしもそれが証明されたなら、セルマを解放しその者を拘束、取り調べていただけますかな」
「もしも神官長のおっしゃることが事実であると判明した場合には、もちろん必要になるかと思います」
「さようですか」
神官長は薄く笑うと、
「ラーラという侍女がシャンタルの時代からずっと、あなたはシャンタル付きをされている。当代マユリアがご誕生の時にはすでに侍女頭となられていた。先代がご誕生の時も、当代がご誕生の時もおそばにあり、さらには
と、同じ笑顔のままで言葉を続ける。
「一方私も、ラーラという侍女がシャンタルの時代には神官長の補佐であり、マユリアご誕生の時から
キリエは何も答えず、やはりセルマにそれを話し、道を定めたのはこの者であったと確信を持った。
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