13 湧き出す想い
マユリアはこの上ない至福の中にいた。
もうすぐ愛しい人たちを永遠に見守ることができる女王となる。自分が愛し、自分を愛する者たちだけの世界。清らかな閉じられた世界。その世界の主となる自分のことを思うとうっとりと目を閉じてしまう。
思えばこの人の世に残った後、
シャンタルが人でおられる時期は10歳頃まで。幼い主が直接人と触れ合うのは、世話をしてくれる侍女たちぐらいのものだ。シャンタルの座を降り、マユリアとなった後、人生の春とも言える思春期を過ごし、大人になるまでの貴重な十年間を、それまでの自分と同じ尊い存在を見守る役目に就く。そして主のお言葉を人に伝えるのもマユリアの務めだ。主シャンタルと人の架け橋、マユリアの役目はそのようなことだ。
マユリアはその役目に満足していた。それこそが自分の使命、そう思ってこの二千年を過ごしていた。その生活が幸せであった。
シャンタルの座を次代様に譲り、マユリアを譲り受けたその瞬間から、女神を宿す神の器である人の生活は一変する。シャンタルからマユリアになる。それまでは託宣以外に何かをする必要がなかった日々から、自分が新しいシャンタルをお守りする立場になるのだから、それは当然であろう。
当然、内に女神を宿した外の人は戸惑うことも多い。その心を内側からマユリアは癒やし、無事に任期を終えられるように助けもする。そして次の交代の時にはまた一から同じことを繰り返し、長い時を人の世で生きてきたのだ。
それなのに、本当に人の尊敬を集め、尊い存在と思われているのはシャンタルだ。マユリアもその主の従者としての立場、つまり主から見ると人と同じであるとも言える。誰にも膝を折ることのないマユリアが、唯一頭を下げ、膝をつくのはただ一人、シャンタルだけ。
それまで知らなかったその事実を彼女たちが教えてくれた。
ラーラの体から去り、自分の肉体を永遠に失わなければならない。その喪失感を感じながら主の肉体に宿ったその瞬間、それがどんなに小さな苦痛であったかを知った。次代の神たる主の肉体と、そのしもべでしかない神の自分の肉体、その違いを魂が感じた瞬間、本当にほんの一瞬、自分のことを憐れんだ。
「理不尽」
マユリアはその時の気持ちを口にした。
同じ神だと思っていた。二千年の間、共に人を慈しみ、守る存在だと思っていた。だが事実は違う。
自分はあくまでシャンタルの、唯一の女神の従者でしかない。人が愛し、敬うのは主シャンタルの方なのだ。主あってこその自分なのだ。
だが思ったのは本当に一瞬のこと。すぐにマユリアはその思いを心の奥底に封印した。なぜならそれでも人がマユリアを愛し、尊敬してくれてることは事実であったから。
マユリアは宮の中の侍女や神官、衛士たちだけではなく、宮を訪れる人たちとの距離も主より近い。そのために人から尊敬の視線を受ける機会も主よりはるかに多い。人が自分を敬い、親愛の情を向けてくれる時も長い。その事実の中でそんな気持ちはすっかり忘れていたはずだった。
それが八年後のあの瞬間、ほんの小さなその心の傷に、憐れな侍女たちの感情が飛び込み同化した。その時からマユリアは主に憎しみの気持ちを抱くようになった。
「わたくしの方が人を愛している。主のように見捨てはしない。人を見捨てようとする主は敵」
マユリアの中にそんな想いが生まれ、今までと同じ清浄な世界を取り戻さねばと考えるようになったのだ。
「今はシャンタルの力の大部分がわたくしのもの。肉体を持つ者の意思は何より強い。そして残りの力、黒のシャンタルの力も今ではかなりがわたくしのものとなったはず。残りは」
マユリアは少しきつい顔つきで鏡の中の自分を見る。怒りの表情を浮かべたとしても、その美しさには寸分も変わりはしない。
「今、すでにこの宮の中にいるはずなのに、どこにいるのかは分からない。おそらく結界を張られているからでしょうね」
マユリアはすでに主シャンタルがトーヤたちを守る結界を張っていることに気がついていた。
「無理に破ろうと思えば破れないことはない。でも、そのために力を使ってしまったら、万が一ということもある。それだけは避けなければ」
マユリアはシャンタルが姿を現した時に完全にその力を取り込んでしまうつもりだった。
「あの時、静かに聖なる湖に沈んでくださっていればよかったのに。そうすればあなたが大事にしている者たちがそれ以上苦しむこともなかったのに」
マユリアの顔に苦悩が浮かぶ。
「きっと助け手は邪魔をしてくる。それをわたくしの聖なる衛士が排除してくれるとは思っているけれど」
マユリアはさらに苦悩を深めた。
「本当は戦ってほしくない。その聖なる剣を血で穢さずにいてほしい。それがあの者の望み」
今はマユリアの中にある当代マユリアの気持ちが、泉の水のようにマユリアの心から湧き出そうとする。
「あなたは本当にあの者を大事に思っているのですね。では、そうならぬようにもっとわたくしに気持ちを寄せてください。聖なる衛士が迷わずに済むように……」
マユリアは自分の中のマユリアに祈るようにそう言った。
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