23 一滴の穢れ
そしてマユリアはより大きな力を得るため、全ての力を自分のものにするために、「黒のシャンタル」が聖なる湖に沈められる時を待って、その力を手に入れようと考えた。
聖なる森、聖なる湖の中は本来なら
(ほんの少しでいい、少しだけ力をかけて引っ張れば黒のシャンタルの体は
もう助け手やそれを助ける者たちのことには触れず、後はその時を待つだけでいい。邪魔なもの、いらぬものとはいえど、それを排除するという痛みを感じる必要はないのだ。
(そう、これこそが黒のシャンタルの運命なのだから)
マユリアははやる心を抑えながら、自分の外側、当代マユリアがラーラやキリエたちと黒のシャンタルを葬送に送り出す様子を見つめ続けた。
葬列は宮を出て聖なる森を進む。先頭を進むのは神官長だ。その後ろには八名の衛士に担がれた黒い棺、さらにその後ろには侍女頭のキリエ、そしてルギを先頭とした第一警護隊が続く。
(早く、早く来て)
儀式は進み、黒い棺は湖の真ん中まで流れてきて、少しずつ沈み始めた。キリエが膝まで水に浸かったままじっとその様子を見つめている。
そしてもう一人、邪魔な人間が同じく黒い棺に注目していることにもマユリアは気がついていた。
(助け手トーヤ……)
当代マユリアが心を許し、黒のシャンタルを託したアルディナ生まれの小さな生命の種。
(とうとうここまで来てしまった、本当に
そうは思うがこの先はもうあまり心配をすることもないだろう。何しろ湖の中では力は互角、目覚めたとはいえ「黒のシャンタル」はまだ幼く、その力の使い方すらよく分かってはいない。そして今は死のような眠りの中。黙って落ちてくるのを受け止めるだけ、それだけでいい。
(しょせんは小さな人の力、取るに足らないこと、気にすることもないだろう)
それは本当に簡単なことに思えた。そしてその時が来た。
黒い棺がゆっくりと水の中に沈んでくる。その後からあのトーヤという助け手が追ってきて、棺に鉤を引っ掛けて、引き上げる準備をした。
(愚かなことを)
マユリアは軽く棺に力を向けた。
ブツリ
鈍い音がして棺を縛っていた革ベルトが切れた。棺の蓋がふわりと開いたその隙間から、眠っている黒のシャンタルを引き寄せる。するするとその小さくて美しい体が落ちてきた。
このまま黒のシャンタルが水底まで降りてくればそれで全ては自分のものになる。主の半身である人の肉体は命を失うが、そのままその肉体はここで眠りにつけばいい。今まで自分がそうであったように、主がそうであったように、後は静かにここで眠るだけ。何も問題はない。
(助けて! 助けて! 誰か、苦しい!)
黒のシャンタルの思考がマユリアにも流れ込んでくる。
(大丈夫、ほんの短い間だけのこと、その時を乗り越えれば、あなたはわたくしと共に永遠にこの地の唯一の女神となるのです)
マユリアは優しく両手を広げて待つ。
(さあ、早くこの手に)
(くそ、渡さねえぞ!)
そんな雑音が混ざるが気にすることはない。どうせすぐに苦しくなって湖の上に向かって戻ることだろう。
(人とは本当に弱く儚いもの。おまえはこのまま共に水底に届くことなどできはしない)
(シャンタル!!)
(俺を呼べ!)
届きはしない、そんな小さな声は。
(助けて、誰か、誰か、助けて!)
さあ、もう叫ぶのはやめて、後は静かにここまで来ればいい。
(誰かじゃねえ!)
(シャンタル!)
ああ、本当にうるさい声だこと。
(呼ぶ……誰、誰を……)
(俺だ!)
(誰……)
(俺だ! トーヤだ!)
(トーヤ、助けて、トーヤ……)
(シャンタル!)
どちらの意識ももう消えかけている。
なんて愚かな人間か、自分の力の限度も知らず、こんなに深くまで追ってくるとは。だけど、おまえの力ももう尽きる。大人しく上に戻ればよかったものを、自らその可能性を捨てるなんて。
(息が……)
ゴボリ
助け手の口から最後の息が吐き出された。さあ、もう終わり。
その瞬間!
(な、何!)
マユリアの体から力が抜けた。
(一体何が、何が起きているというの!)
一度は掴む寸前までいったはずの黒のシャンタルの体が、逃げるように上に上がっていく。
(待って!)
さらにその次の瞬間!
何かは分からない力が水底から銀色の柱を吹き上げて、目の前まで落ちてきていた黒のシャンタルの体を吹き飛ばした!
(共鳴!)
マユリアは理解した。黒のシャンタルと助け手が共鳴を起こし、水の上まで逃げてしまったことを。
(なんということ……)
何が起きたのかようやく分かった。
(血……血は穢れ……)
今はまだ穢れ切ってはいないマユリアは、黒のシャンタルが流したたった一滴の血が自分の力を弱めたことを、ようやく理解していた。
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