23 女神と二人の忠臣

 マユリアは前の宮にある客室を出て、奥宮にある自室へと戻った。


 本当は、神官長との面会を終えたらシャンタルの部屋へ行くつもりであったのだが、今のこの状態ではお会いできない、そう判断して一度自室へと戻ることにしたのだ。


「しばらくどなたからの取り次ぎもしないで下さい。用があれば呼びます」


 そう言って、応接のソファに腰を降ろし、やっと肩の力を抜くことができた。


「疲れた……」


 マユリアはそう言ってソファの手すりに上体をもたせかけ、ぐったりと力を抜いた。

 手すりの上に置いた両手に頭を乗せて、ふと視線を斜め下に落とすと、衣装の神官長に握られた部分がシワになっているのが見えた。


 小さなシャンタルのお相手をしている時、小さなその手で衣装のあちらこちらを握られたことはある。


「マユリア、お仕事なのですか? もう行かなくてはいけないの?」


 当代シャンタル。御歳おんとし8歳になられるその方の、愛らしいお声を思い出す。

 マユリアはそうしてほろりと笑った。


 だが、それ以外の人間に衣装のどこか一部でも握られる、などという経験はしたことがない。それだけにそれは、かなりの衝撃をマユリアに与えていた。


『きっと、きっとキリエ殿にお聞きくださると、そうお約束ください!』


 神官長の必死の訴えとその行動に、思わずそうすると約束はしてしまったものの、本当はそんなことはしたくない、そう思っていた。


 マユリアはキリエを心から信頼している。だから、もしも本当にキリエが神官長が言うように、この国のこれからのことを知っていたとしても、自分に言わないのなら、それにはそれだけの理由があるからだ、そう思っていた。


「本当ならば、わたくしが何かを言うべきものではないのでしょう……」


 あの時、あまりの出来事に驚いて、咄嗟とっさに約束をしてしまった。

 キリエにこのことについて聞いてほしいという神官長の言葉に、分かったと言ってしまった。


 だが、もしかすると、神官長との約束がなかったとしても、キリエと、そしてルギに色々と聞く必要はできていたかも知れない。


『この国には先がございません』


『シャンタルは、次代様で最後になります』


『次代様の次のシャンタルはお生まれになりません』


『私の妄想ではありません。もしも、私の言葉を信用できぬとお思いなら、キリエ殿にお聞きください』


『そうすれば、私の申したことが嘘ではないとお分かりいただけるでしょう』


 神官長の言ったこれらの言葉。

 とても本当のこととは思えない言葉。


 だが……


『きっと、きっとキリエ殿にお聞きくださると、そうお約束ください!』


 そう言って衣装の裾を掴んだあの時の必死な眼差し。

 あのような行動に出ていなくても、とても無下むげにできそうにはない。


 マユリアはそうしてしばらくの間考え事をしていたが、気持ちを決めると当番の侍女に、


「侍女頭と警護隊隊長をここへ」


 と、2人を部屋へ呼ぶようにと命じた。


 しばらくすると、侍女頭と警護隊隊長が揃ってマユリアの私室に姿を現した。

 2人は一緒に正式の礼をすると、主の言葉を待つ。


「少しゆっくり話をしたいので、2人共座って下さい」


 マユリアにそう言われて、キリエとルギは指し示された椅子の隣に立つ。その姿を見て、マユリアは少しだけ気持ちが明るくなった。

 侍女頭も警護隊隊長も、あるじが立ったままでいる時には、よほどの事情がない限り先に座ることはない。それを理解して、マユリアが先に腰を降ろすと、少し遅れて2人も席に着いた。


 なんだろうか、この心地よさは。何も言わずともお互いに考えていることが分かる。忠実な臣下が自分のことを理解し、何を言わずとも通じ合って動いてくれる。

 さっきまで、理解不能な神官長との会話に神経をすり減らしていたから、余計にそう感じる。


 マユリアは黙ったまま、この空間で、同じ空気の中で、2人とただ時を過ごしたい、そんな気持ちになった。もしも自分がそうしたいと思い、このまま黙ったまま、こうして座り続けていたとしても、2人は何も言わず、黙ってただ一緒にいてくれるだろう。


 だが、そうはできない。自分はこれから、この空気を破るようにして、2人に聞かねばならないことがある。


 マユリアがそう思って小さく息を一つ吐くと、2人の忠臣は互いにそっと顔を見合わせた。


 ほら、また。

 そうしてわたくしが今からやろうとしていることを理解し、そして心配をしてくれている。


 マユリアはほんの少し温かくなった心に助けられ、そしてその心を壊す行動に出た。


「さきほどまで神官長と面会をしておりました」


 キリエもルギも、神官長の名を聞いても特に心を動かすことはない。

 動いたとしてもそのことを顔に出すこともない。


「その時に、2人に聞くようにと言われたことがありました」


 2人共変わらぬ様子で主の言葉をじっと聞いている。


「神官長の申したこと。それは、本人が自分自身で言った通りに荒唐無稽にして、そして少しばかり無礼な話でした」


 2人は黙って耳を傾け続けている。


「そしてその内容については、2人に聞いて欲しい、そう懇願されたのです。2人共、何か心当たりはありますか?」


 主の言葉に2人は主だけを見て、黙って同時に首肯しゅこうをした。

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