22 衝撃
「あなたは、一体何を言っているのです」
マユリアがさすがに困った顔になる。
「何を言いたいのかがさっぱり分かりません」
マユリアは少しばかりの怖さを感じていることに気がついた。
この目の前の人間は、どこか普通ではないように思える。
ルギが言っていたというように、心の病なのではないだろうか。
「お分かりいただけませんか? では、分かっていただけるまでお話しいたします。この国を
神官長は椅子から前のめりになりながら、必死に話し続けた。
「最初は学問ができるだけでよかったのです。私の家は貧しく、家にいては本一冊手に入れるのも難しい。私の兄は幼い時から働きに出て、私だけが、この子は学問で生きていけるのでは、ということで神殿に入ることになったのです。神殿の生活は正直、安楽なものではありませんでした。ですが、私にはそれで十分だったのです。最低限食べられて、いつでも本を読める。幸せだったと思います」
神官長は一息つくと、再び語りだした。
「そうして、私は神殿の勤めに満足をしておりました。シャンタルに、マユリアにお仕えできること、一生を捧げること、そうすることで好きな学問に打ち込めることに。ですが、外に向けて見識を広げるうちに気がついたのでございます。外の国、特に中の国からの訪問者の目が、私が一生を捧げるシャンタルとマユリアを、神ではなく女性として見ていることに!」
マユリアは神官長に飲まれたように、じっと黙ってみているしかなかった。
「聖なる存在を穢れた目で見る者たちを許せぬと思い、どうすればいいのかと考え、あの考えに至りましたが、当時の私は若く、その考えをどうすればいいのかは分からなかったのです。それでその考えはずっと一人の胸の内に留め続けました。おそらく、外に出す日は来ないだろう、そう思いながら」
神官長はそこで言葉を止め、マユリアの言葉を待つような仕草をしたが、マユリアからの言葉はなかった。神官長はふうっと息を一つ吐くと、また話を続ける。
「そのままであったなら、誰にも言うつもりはありませんでした。私のような些末な存在、神官長という地位に就いたことですら、他の者の邪魔にならぬ、そういう理由で選ばれたような者が、仮にも神に対して王族という人の座に降りていただく、そのようなことはとても申せぬと思っていたからです。そう思っていたのに、八年前にあのような出来事があり、考えが変わったのでございます」
八年前の出来事と聞き、マユリアが少しだけ表情を変えた。
「知るということは時に残酷なことでございます。もしも、あのようなことを知らなければ、あのまま素直に先代は湖でお眠りだと信じていられれば、そのことが口惜しい……」
この言葉にマユリアは表情を変えぬまま、それでも心臓を掴まれるような衝撃を受けていた。
『先代は湖でお眠りだと信じていられれば』
神官長は何を知っているというのだろう。
そうではないと知っているということなのか。
マユリアはひたすら動揺を隠しながら黙って神官長を見つめる。
「私は存じております。見たのです。あの日、あの湖で」
マユリアの動揺をさらに揺さぶるように神官長は続ける。
「何を見たかお知りになりたいですか?」
ついに神官長はマユリアにそう尋ねてきた。
「いえ、結構」
マユリアはいつもと変わらぬ表情、変わらぬ声でそう答えた。
「あなたがそのように以前より、神を人と見る方たちを不愉快に思っていた。それはよく理解いたしました。その衷心には心より感謝いたします。ですが」
マユリアゆっくりと優しい口調でこう続ける。
「あなたは少し疲れているようです。少しお休みを取ってみてはどうですか?」
その言葉を耳にして、今度は神官長が驚いたように目を見開いたが、その目を再び細くすると、
「なんともお優しくもありがたいお言葉。ですが、休んでいる時間はありませんので」
と、丁寧に辞退をした。
「この国には先がございません」
神官長がマユリアにズバリと言う。
「シャンタルは、次代様で最後になります」
マユリアは何も答えない。
「次代様の次のシャンタルはお生まれになりません」
マユリアはしばらく黙っていたが、
「やはりあなたは疲れているようです。休養が必要です」
と、先ほどと同じ言葉を口にした。
神官長は目を閉じ、ゆっくりと首を左右に振る。
「私の妄想ではありません。もしも、私の言葉を信用できぬとお思いなら、キリエ殿にお聞きください」
「キリエに?」
「はい」
神官長がまた
「そうすれば、私の申したことが嘘ではないとお分かりいただけるでしょう」
マユリアは言葉もなく神官長の言葉を聞く。
「それで……」
やっとマユリアが口を開き、
「それで、話は終わりなのですね? では、わたくしは退室いたします」
そう言って席から立ち上がろうとした、その時、
「!」
神官長が床に倒れ込むと、その手がマユリアの衣装の裾をきつく掴み、
「きっと、きっとキリエ殿にお聞きくださると、そうお約束ください!」
必死にそう訴え、
「……分かりました」
マユリアも思わずそう口にした。
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