15 2枚の婚姻誓約書

「どうしろと言うのだ」


 神官長の言葉に前国王は困惑する。


「先ほども申し上げましたが、御子息と正面から対峙なさることです」


 前国王はまだ困惑したまま神官長の顔を伺う。


「どちらがマユリアに、人の世に歩み寄ってくださった神にふさわしいか。それを証明なさいませ。御子息に正面から向かい合い、我こそが神に並び称するにふさわしい、それを証明なさいませ」


 前国王は黙って神官長の言葉を聞いているだけだ。


「現国王の婚礼衣装も拝見いたしました。いやいや、それは素晴らしいものでした。あれぞ王者にふさわしい、そのように豪奢なもの。この衣装に並ぶにふさわしいのにあれ以上の物はあるまい、そう思える物でした」

 

 この言葉にまた前国王の顔が真っ赤に染まる。


「いかがです、御子息にお勝ちになれそうですかな?」

「当たり前だ!」


 前国王は激しくつばを吐き散らしながら激昂する。


「私こそがこの国の国王だ! 息子なぞ私の足元にひれ伏す資格すらないわ! あやつは卑怯な手段を使って王座を奪い取った盗人ぬすびとよ! そんな卑怯者にマユリアの隣に並ぶ資格などない! あれが王座を盗めたのはおまえが知恵を貸したからにすぎん! 姑息こそくな手段を使ってこの私を騙し、一時いっときといえど排除した罪は許しがたく、おまえを今すぐどこぞの塔の上から吊るしてやりたいほどだ!」


 前国王はここまでを一気にまくし立てると激しく肩で息をしながら神官長を睨みつけた。


「だが、過ちに気づき、私を王座に戻すためにヌオリたちに力を貸した。その功績によって終わってしまったことは許してやろう。誰にでも過ちはあるからな。私にはそうできる度量の広さがある。それこそ王者の持つ器というものだ」


 前国王は威厳を取り戻すかのように胸を張り、さらに続ける。


「ただし、それは私が元通りに王座に戻り、マユリアを我が妻とできてからの話だ」

「皇太后陛下はいかがなさるのでしょう」

「皇太后でない、皇后だ」


 神官長がその名を口に出すと前国王はギロリと神官長を睨みつけて訂正する。


「今もこの国の国王は私だけ、つまりその妻であった女も皇后だ。だがその座から降ろし離縁する。そしてマユリアを皇后となす」


 前国王は息子と母と一緒になって自分を裏切った妻、皇太后も自分の敵だと認定している。


「そうだ離縁する。夫を裏切り、息子のはかりごとに手を貸すような女に国母こくぼの資格などない。離縁の後はどこぞの廃城にでも幽閉してくれる。母の皇太后はもう高齢、きっとうまく若い者に言いくるめられた気の迷いゆえ許す。親への孝行を尽くすことを天はお望みだろうからな。だが、不忠者の息子は許さん。本来なら命を持って償わせるところだが、きっと美しき我が妻マユリアは私が子の命を奪うことを悲しむことだろう。命は許すが自由は許さぬ。どうするかは考えねばならぬが、天の意思に逆らい、親に逆らった愚か者の末路を広く民たちに知らせる必要があるだろう」


 前国王は口に出しているうちに、それが本当のことであると思い込んだように、晴れやかな、だが暗い歪んだ笑みを浮かべるようになっていた。


「その時にはおまえにも力を貸してもらうぞ。気の迷いとはいえ、一度は力を貸した者と心苦しく思うだろうが、それもおまえの償いだ」

「御意」


 どうやら前国王の中ではそこまでの道筋はすでに決定稿のようだった。


「では、お話が一区切りいたしましたら戻ってこの先のお話を。こちらへはこのお衣装をお目にかけたくてお連れいたしましただけですので」

「うむ」


 神官長は神官服のフードを深く被り直した前国王を自分の私室へと再び案内した。


「今度はこちらをご覧いただきたいのです」


 神官長が前国王に見せたのは、息子である現国王が署名をした「婚姻誓約書」であった。


「御子息がご署名をなさったものでございます。おっと、お触れになりませんように」


 前国王が血相を変えて手を伸ばしてきたのを神官長が軽くいなす。


「シャンタリオ国王、とご署名されておられます」


 前国王は神官長の言葉に不審そうな顔になる。


「ええ、御子息にも申し上げましたが、此度の御婚儀ごこんぎは神が王家の一員となる儀式です。通常の婚儀とは違うのです。シャンタリオ国王が女神マユリアと共に、これから先、未来永劫に並び立つ、そのような儀式。故に個人名ではなく、国王というお立場でのご署名をお願いいたしました」


 神官長は言い終わると静かに現国王の署名のある婚姻誓約書を閉じ、もう一冊、同じ形式の重厚な革製の書類を取り出し開いて見せた。そこには何の署名もない。


「どうぞ、陛下はこちらにご署名をお願いいたします。もちろん個人名ではなく、シャンタリオ国王と。1人の女神に2枚の婚姻誓約書、マユリアが署名なさるのはそのうちの1枚だけ」


 神官長はいたずらを楽しむ子どものように、愉快そうに続ける。


「どうぞご署名を。神と婚儀を挙げるにふさわしいお方の誓約書にだけ、女神はご署名なさいます。いかがなさいます、もしも御子息に勝つ自信がないとおっしゃるのなら、こちらは破棄させていただいても構いませんが」


 神官長の言葉が終わるのを待つのすら惜しいかのように書類を取り上げ、前国王は息子と同じく「シャンタリオ国王」と署名をした。

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