18 侍女と衛士と水音

 その日の夕刻、衛士から連絡を受け、侍女頭であるキリエと警護隊長であるルギが揃って懲罰房へとやってきた。


「一体どういうことだ」

「隊長」


 年配の衛士と若い衛士が困ったように顔を見合わせる。


「とにかくこちらへ」


 廊下から懲罰房の中へ二人を案内する。


「ここです」


 ルギが黙って中に入り、キリエも黙って後に続く。


「それで、ここがどうしたと?」

「いえ、中におります侍女二名が水が滴る音が聞こえると」

「それで?」

「我々には聞こえぬのですが、どうしても聞こえると」

「ふむ」


 ルギがしばらく黙って立っていたが、


「俺にも聞こえぬな」


 そう言うと、キリエが黙ったまま怪訝けげんな顔でルギを見上げる。


「ルギ隊長、私にも聞こえるのですが」

「え?」


 ルギはあまり表情を変えず、それでも少しは驚くような目の色で、二名の衛士は見るからに驚いたように目を丸くして鋼鉄の侍女頭を見る。


「キリエ様には聞こえるのですか」

「ええ、確かに聞こえます」


 さすがのルギがどうしたものかという顔になる。

 相手が相手、本当のことしか言わない人だ。


箕帚きしゅうつかさおさを呼びなさい」


 キリエが衛士にそう命じた。


 「箕帚の司」とは宮の掃除を担当する部署のことである。

 シャンタル宮はとてつもなく広く、その清掃のために下働きの者が多数勤めている。その部署の一番上が「おさ」と呼ばれる責任者である。


 他にも様々な部署の下働きがいるが、その者たちと侍女とは立場が違う。侍女は誓いを立てて神に使える身であるが、下働きの者たちは仕事として宮へ入ってきている者たちだ。

 もちろん場所が場所だけに誰でも働けるというものではないし、中には一生を侍女たちと同じように宮で過ごす者もいるが、あくまで立場としては侍女より下、低い立場の「働く者」たちである。

 だが低い立場と言えど、「長」とまで呼ばれるほどになると、侍女たちもそうそうあなどって見るということも言えぬ存在でもある。

 今の「長」は五十の半ばに差し掛かるハナという女性であるが、十代の頃に結婚をして子どもができたが夫に早逝そうせいされ、頼る身寄りもなかったことから、子どもを里子に出して宮に掃除の係として入り、それ以来こつこつと仕事に勤めて認められ、「長」にまでなったという苦労人である。


「キリエ様、お呼びと伺いましたが」


 ハナは懲罰房の外の廊下でキリエに丁寧に正式の礼をする。

 簡素な木綿のブラウスに、動きやすいよう足首までの木綿のスカートを履いている。


「ハナ、聞きたいことがあります」

「なんでしょうか」

「懲罰房の掃除もやっていますね」

「はい。毎日ではありませんが、上からの指示のある時に」


 他の場所はハナが主体でどこをどう掃除するかをほぼ決めているが、懲罰房はある場所、その存在自体が特殊なこともあり、宮から定期的に指示があり、それに従って行われている。


「その時に、水漏れなどありましたか?」

「水漏れですか?」


 ハナは少し考えて、


「いえ、そのようなことはなかったと記憶しております」

「間違いありませんね」

「はい。少なくとも上には上がってきておりません」

「そうですか」


 キリエは少し考えてから、


「中に入って水漏れの音がするかどうか聞いてもらいたいのです」

「は?」


 ハナは一瞬きょとんとした顔をしたが、


「分かりました」


 そう答えて立ち上がると、キリエに許可を取るように一つ頷いてから房内に入る。


 ハナはしばらく入り口に立っていたが、念のためという風にミーヤがいる房の前まで進み、一番奥の壁まで行ってから戻ってきた。


「水漏れの音は特に聞こえないようです」

「そうですか、ありがとう。ご苦労さま、もう下がってよろしいです。それからこのことは誰にも言わぬように」

「はい、分かりました」


 なぜかとも聞かず、ハナはそのまま下がっていった。


「聞こえぬようですね」


 キリエはルギに向き直って言う。


「キリエ様には聞こえていらっしゃるのですか」

「ええ、はっきりと」

「今もですか」

「ええ」


 ルギがキリエと顔を見合わせる。


「男性と女性という違いではないようですな」

「ええ」


 もしかしてと思って女性であるハナを呼んだのだ。


「年齢も関係がないようです」


 キリエが一番高齢で次がハナ、それから年配の衛士、セルマ、ルギ、ミーヤと続き、一番年下は若い衛士である。


「違いがあるとすれば聞こえているのは侍女ばかりということになるようですね」


 キリエがそう言い、


「少し心当たりがあります。待ってもらえますか」

「ええ、それは構いません」


 ルギも少し思い当たる人物があるらしくそう答える。


「とにかくただでさえ色々な問題があるのです。この大事な時期にこれ以上知る者を増やすわけにもいかないでしょう」

「おっしゃる通りです」


 キリエとルギがそう決めて、衛士2人にもしっかりと口止めをする。


「分かったな、この話はこれまでだ」

「分かりました」


 衛士二人としても、こんな訳のわからない状況にこれ以上巻き込まれては敵わない。

 というより、はっきり言うと怖い、恐ろしい。こんな地下の懲罰房などというよろしくない場所での意味不明な出来事。


「もちろん話しません」

「ええ、もちろんです」


 きれいさっぱり忘れてしまうと心に決めた。 

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