11 染み出す穢れ

「つまり、シャンタルの力は慈悲からもらってる力だってことか?」


『その通りです』


「そりゃま、元々が慈悲の女神様だもんな、言われてみりゃ変でもない」

「ってことは、あなたとマユリアも同じじゃないんですか? シャンタルと同じく慈悲から力をもらってる」


 アランがそう聞く。


『本来ならば』


「本来ならば?」


 トーヤの言葉に光が悲しそうに瞬いた。


『今のわたくしたちには慈悲の心が届かないのです』


『わたくしはここであなたがたの心に触れることで、いくらか力を取り戻すことができました』


『ですが、今のマユリアにはもう届かないのです』


『力を欲するのなら、奪うしかない』


『今のマユリアにできるのは奪うことだけなのです』


 その場にいたみなが絶句した。


――人々に慈悲を与えるはずの慈悲の女神が奪うことしかできない――


 それが一体どういうことなのか、考えるだけで事態の重さが分かる。


「それは、あの侍女の怨霊のせいか」


 トーヤが淡々と聞く。


 実際にあの侍女たちの声を聞いたのはトーヤだけだ。それだけにあれを実際に受け止めたマユリアの傷の深さを嫌というほど考えてしまう。


『あくまできっかけに過ぎません』


『マユリアが受けた最初の一滴、その傷』


『ほんの一瞬、その傷に触れた侍女の悲しみ』


『そこから穢れを引き出したのはマユリア本人です』


 どう受け止めればいいのだろう。トーヤは思わず黙り込んだ。


 慈悲の女神の一人マユリア。その姿はラーラ様そのもの、そしてその中身はどこまでも母性に満ちている。あるじであるシャンタルを心より慕い、守り、支え続ける清らかな存在。その清らかな女神がたった一滴の悪意に触れただけで、そこまで穢れを受けてしまうものなのか。


『穢れによるさわり』


『その一番恐ろしいのは』


『心が、魂が穢れてしまうこと』


『わたくしも、人の世にいた時にそれを感じることになりました』


「じゃあ、あんたが受けた穢れの影響ってのは、体じゃなく心、魂にってことだったのか」


『その通りです』


『わたくしは穢れを受けてしまう前にその予兆を感じ』


『心の内まで、魂まで穢れが染み込まぬようするにはどうすればいいのか』


『そう考えて、人の子の、穢れなき幼子おさなごの姿を借りようと思ったのです』


「けど、それが今の事態につながってるってことだよな」


 トーヤの言葉に光は答えず瞬きもしない。そうだと答えるのがつらすぎる、その心が伝わってきた。


「ですが、それは人を思ってくださってのことだと思います」

「ええ、そうです、私もそう思います。それは神が去られることに打ちひしがれた人への優しさからなさってくれたこと、人のためにこの世界に残るために考えてくださったことだと分かっています」

「私もです」


 ミーヤの言葉にリルとアーダが続く。


「俺だってこの人を責めてるわけじゃねえよ」


 トーヤがポツリと言う。


「ただ、たとえ善意から始めたことでも、相手を思う気持ちから出たことでも、最悪の結果になることはあるってことだ」

「そうだな。同じようにマユリアだって、あなたがこの地から去るって聞いて、それなら自分が代わりにと思った。そこからなんですよね?」


 アランがいつものようにトーヤの気持ちに沿うように続けた。


『その通りです』


『わたくしがこの神域を開放すると知り』


『マユリアは心を痛めておりました』


『今も幼子のようにシャンタルを慕う人たちを見捨てるのでしょうか』


『なんとか今までのようにこの地に留まる方法はないのでしょうか』


『そう申しておりました』


『その澄み渡る慈悲の心に穿うがたれたたった一点』


『マユリア本人の意思だけではここに留まることはできぬ』


『自分は主であるわたくしの意思に従うしかない』


『その事実にあらためて気づいてしまった』


『その心の穴に悪意が染み込み』


『内より穢れが湧き出し、やがて染み出してきたのです』


「つまり、十年ごとに体を交換してたのは、体じゃなくて心が穢されないためということになりますか」


 ディレンが静かに聞き、ベルがその言葉に反応した。


「ってことは、体は穢れてない、当代マユリアは病気にはなってないってことになるんじゃね?」

「そうなのでしょうか」


 ベルの言葉にアーダどこかホッとしたような顔になる。


「だって、そうならねえ? おれはそうなのかなと思ったけど」

「確かにそういうこともあるかもな。けど、心から病気になるってこともある。おまえには分かるだろ?」

「それは……」 


 ベルには過去にその経験がある。心の中にある苦痛が体の苦痛に変わったことが。


「じゃあ、じゃあさ、今の状態が続いたら、マユリアは体まで病気になるってこと?」

「もしくはもうなってる可能性もあるな」

「でも、あんなに元気そうだったじゃん!」

「おまえは四六時中マユリアと一緒にいたわけじゃねえだろ? 部屋の中でどうなってたかまでは分からん。もしかしたら部屋では寝込んでた可能性もある」

「それはそうだけどさ……」


 妹の言葉に兄が冷静に答える。


「そういえば、奥宮の侍女の方から、マユリアが体調を崩し部屋に籠もられているという話をお聞きしました」


 アーダがふと思い出したように言った。もしもそれが本当なら、すでに体調にまで穢れの影響は出てきていることになる。 

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