18 違和感の絆

 セレンの言葉に他の侍女たちも口々に「頭を上げてくださいと」と続け、やっとキリエは頭を上げた。


「ありがとう。本当におまえたちに感謝します。よろしく頼みます」


 キリエが頬をゆるませ、笑顔を浮かべたことでさらに侍女たちは驚愕する。今までそのような表情を見せたことがない鋼鉄の侍女頭の母のような微笑み。初めて見たその笑みに、侍女たちも次々に笑みを浮かべて頷くと、それぞれの持ち場に戻っていった。


 キリエが侍女たちを集めて話をする半刻はんときほど前、神官長がやってきてマユリアに婚姻の儀の式次第をお伝えしたいと面会を求めてきた。事が事だけにマユリアもすぐに面会を許可し、婚姻誓約書を受け取る形で式を行うとの説明を受けた。


「そうですか、分かりました。前例のないこと故、色々と手数をかけますが、当日はよろしくお願いいたします」

「はい、恙無つつがなく終えられるように全力を尽くします」


 マユリアは微笑みながら神官長にそう答え、神官長もうやうやしく礼をする。


 キリエはその様子に違和感を覚えた。


(なんなのだろう、この違和感は……)


 キリエはいつものように表情には出さず、心の中で小さく自問する。


 マユリアは相手が誰であろうと慈愛じあいを持って対応をなさる方、だから神官長に微笑みながら声をおかけされたとしても、それは全く不思議なことではない。マユリアが心から望まれたことではないとしても、此度の婚儀を受け入れるとお決めになったのはマユリアご自身、そしてそれはシャンタルを失うこの国の民のためを思い、決断なされたことだ。だから目の前に繰り広げられている光景は決しておかしなものではない。


(だけど……)


 なんだろうかとキリエは考える。マユリアと神官長の見交わすその目の奥に、小さな絆を感じたような気がした。


(まるで、共犯者のような)


 そこまで考えてハッと考えを止める。


(私は一体なんということを)


 一瞬とはいえ、仮にも神たるあるじになんという不敬ふけいなことを。そう思いながら、以前も同じような罪悪感にさいなまれたことがあったと思い出す。


『なんかなあ、あれじゃねえの? 本当はシャンタルが邪魔で、誰でもいいからどっかに連れてってもらいたいだけなんじゃねえの? なんか分かんねえけど、それが秘密ってやつと関係あるとかな……』


 あの時、謁見の間でトーヤが口にしたその言葉、それこそが自分の心の奥底にある本当の気持ちだと気づかされた。シャンタルとマユリアに誠心誠意仕えていると言いながら、二千年の歴史の中で初めての出来事に、本心では先代「黒のシャンタル」の存在をなかったことにしてもらいたいと思っている自分の気持ちに。


『そうか、あんたは秘密ってのを知ってるんだ? それであんたはそう思ってたんだな』


 そのことをトーヤにそう指摘され、


『そういうことだ。他のやつらは知らんからかも知れねえが、シャンタルの秘密なんてのに誰も引っかかっちゃいねえぜ? あんただけだ』


 そう憐れまれた。


 今、自分はあの時と同じ、決して主に対して持ってはいけない気持ちに気がつき罪悪感を抱いている。


(だけど、あの時とは違うことを考えている)


 キリエは自分の気持ちをきちんと整理して受け止め、冷静にそう判断をしていた。


 自分が今見た光景、一見なんの変哲へんてつもない主従しゅじゅうの会話のようでありながら、


(何かが違う)


 そう思わざるを得ない。

 

 キリエは焦れる気持ちの中で、もしもここにトーヤがいたらどう受け止めるだろうと考えていた。いや、トーヤでなくともいい、アラン、ディレン、そしてもしかしたらまだ幼いと言えるベルですら、自分よりもっと的確にこの違和感の正体を見抜いてくれるのではないか、そうも思っていた。


「どうしました?」

「え?」


 突然マユリアに声をかけられ、思わずそう答えてから、


「申し訳ございません」


 と、キリエは丁寧に礼をする。


 侍女頭ともあろう者が、あるじにこのような受け答えをするだけではなく、あまつさえ上の空であることを見破られていた。決してあってはならないことだ。


「大丈夫ですか?」


 マユリアは心配そうに自分をご覧になっている。キリエはその心配そうな表情、そのいたわるような黒い瞳から、主が心の底から自分を案じてくださっているのだと分かった。


「いえ、ご心配くださるようなことではございません。不調法ぶちょうほうをいたしました」

「それならばいいのですが」


 老いた従者を心配されるそのお姿。それはいつもの、これまでのマユリアとどこもお変わりがない。キリエはそう思い、少しだけ安心をする。


「今回のことはこの老体にとっても初めてのこと、少しばかり考えることも多いようでございます。そのために大変な失礼をいたしました」


 キリエはそう言ってひざまずき、あらためて正式の礼で謝罪をした。


「そうですか、ならばいいのですが」


 マユリアは立つようにうながしながら、やはりまだ心配そうな目を老いた侍女頭に向けている。


「はい、大丈夫でございます」


 キリエは主にこれ以上の心配をかけぬよう、いつもと変わらぬ姿でそのまま退室をした。だが、その後の侍女たちへの報告の場で思わぬ行動に出たことに、このことが関係があるとはっきりと自覚をし、心の中の違和感を消し去ることはできずにいることに戸惑いを隠せずにいた。

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