9 両面

「そこまでの話を聞いても、まだわたくしにはエリス様への疑惑というものが理解できないのですが」


 マユリアが首を軽く振りながらルギに尋ねる。


「さきほどキリエ様もおっしゃっていらっしゃったように、エリス様はキリエ様に大変な恩義を感じていらっしゃいます」

「ええ、それで?」

「ですが、キリエ様のご厚意だけで宮に滞在できている、そのようにお考えで恩を売ろうとしてではないか、という声が」

「なんということでしょう……」


 マユリアが悲しげに目を伏せる。


「そのような情けない意見が一体どこから」


 そう言って首を振る。

 美しい音が鳴るような、そんな風情がなお一層悲しみを感じさせる。


「ですが、そのように言われたことには少しばかり理由がございます」

「言ってみなさい」

「はい」

  

 ルギがもう一度頭を下げる。


「そもそもキリエ様のご不調、最初は過労かなにかで血圧が上がったのではないかとの見立てでございました」

「そうでしたね、わたくしもそう聞きました」

「はい、それが違ったのではないか、始まりから何か毒物を口にされてのことであったのではないか、そのような疑いも出てきました」

 

 マユリアは何も言えずに黙ってルギの顔をじっと見つめた。


「キリエ様がご不調を訴えられた日、その少し前にセルマが食事係を尋ねたのだそうです」


 マユリアは美しいため息を一つだけ吐いた。


「なんでしょう、とても恐ろしい話を耳にするような、そんな予感がいたします」

「申し訳ないことです」

「いえ、ですが、聞かねばならぬことなのでしょう。続けなさい」

「はい。セルマは元々は奥宮に入った時に食事係に配属されました」

「いきなり食事係に?」


 さすがにマユリアが不審な顔になる。


「それはおかしいですね、食事係はある程度経験を積んで、それからではなかったですか?」

「はい。シャンタルとマユリアはじめ、高貴な方々の口に入る物を扱う部署、最初から食事係というのは異例中の異例かと」

「なぜそれほどの異例が」

「そこにいらっしゃる神官長がぜひに、と推されたとの話です」

「神官長、事実ですか?」

「はい、事実でございます」


 神官長が神妙な顔でマユリアの問いに答えた。


「なぜそのような特別扱いをしたのです」

「はい、それは、セルマの才能を認めたからです」

「セルマの才能を?」

「はい、香炉の件で偶然セルマを知りましたが、その折の役目への取り組み方の真摯さにまず感心をいたしました。それでその後、気にかけておりましたところ、勉強熱心で生真面目、そして自分自身を厳しく律するその姿に、これはただ者ではない、そう思いました」

「キリエ、間違いはありませんか?」

「はい」


 キリエも正直に答えた。


「セルマは生真面目で勉強熱心、そして神官長のおっしゃる通り自分自身にとても厳しい人間です。ですが」

「ですが?」

「生真面目過ぎて自身だけではなく他人にも厳しい性格でもあります。そのような生き方では疲れるだろう、そう思ってもう少し気を緩めてはどうか、そう申したことがございます」

「なるほど」


 マユリアにはキリエの言わんとすることが分かった。


 己に才があり、なんでもこなせてしまう人間は、そうではない、できないことがある人間に対して時に厳し過ぎる態度を取ることもある。

 悪意はなくとも理解できないのだ、できない人間がいるということが。

 それでそのようなことがあると手を抜いている、さぼっている、そのように受け止めて厳しく言うこともある。


「キリエ殿はやはりセルマを羨んでおられるようですな。ですからそのようにマユリアにセルマを貶めるようなことをおっしゃるのでしょう」


 神官長が冷たく言うと、


「人の性質には良い面とそうではない面の両方があるものです。キリエは貶めるために言ったのではなく、その両面を言っているだけでしょう」


 マユリアがそう言って止めた。


「神官長はセルマの良い面を認めて食事係にと推挙した、そこまでは理解いたしました。ルギ、先を続けてください」

「はい」


 ルギが続ける。


「セルマは食事係から新しい役職の取次役へと異動をしました。それもまた神官長の推挙によります」

「それは存じております」


 その時のことを思い出し、マユリアは何を思っているのかその表情からは読み取ることができない。

 ただ美しい顔をやんわりとゆるませ、感情を乗せることをしなかった。


「外の侍女ができてキリエが多忙になるだろうから、奥宮と前の宮の業務を取り次ぐ役職を置いてはどうか、神官長がそのように申して取次役を設けることになりました。よく覚えています」


 五年前、月虹兵付きとなった侍女のノノが月虹兵となっていた幼馴染のナルと結婚をして外の侍女になった時、神殿は強く反対をしたが、


「これからの時代には必要なこと」

 

 と、それを押し切って「外の侍女」を設けた。


 その時のことを持ち出して神官長が、


「時代や状況に合わせて新しい役職を設けることも必要ではありませんか」


 と強く主張をし、今度は宮側が折れる形で取次役を設け、神官長が強く推したセルマをその役職に付けることとなったのだ。

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