20 無言の反撃

 伸びてきた男の手から思わずミーヤが身をよじって逃げる。


「おい、逃げるな」


 男がそう言ってもう一度手を伸ばし、それがミーヤに触れそうになった瞬間、


 パキッ


「ぎゃあああああ!」


 妙な音と同時に男が悲鳴を上げ、床の上に倒れ込んだ!


 左手で右手を掴み、苦痛に顔を歪ませている。


「おい、どうした!」


 もう1人の男が慌てて倒れている男に駆け寄り抱き起こすと、


「手首が……」


 どうやら右手首が脱臼しているようで、ぶらぶらと力なく揺れている。


「おいおまえ、一体何をした!」

「え……」


 言われてもミーヤにも分からない。


「おまえ、武術か何か使うのか! おい、何をした! 正直に言え!」


 男が痛がる仲間をもう一度床に降ろして立ち上がると、つかつかとミーヤに近寄る。


「い、いえ、私は何も」

「嘘をつくなあ!」


 男がそう言いながら右手を大きく振りかぶった。どうやらミーヤを殴るつもりだ。ミーヤが思わず身を縮める。


 その瞬間、


 バキッ


「うわあああああああ!」


 さっきよりももっと大きな音がして、その男も床に転がった。今度はどうやら肩がはずれたようだ。


「え、ええっ!」


 ミーヤはもう何が起こっているか分からないのだが、同じく、仲間のそんな姿を見ているヌオリも声も出せずにいる。


 ヌオリは見ていた。どちらの仲間もミーヤに一指いっしも触れずにいたのに、触れる直前で悲鳴を上げて倒れていた。


「おまえ、一体何を……」


 ヌオリは恐怖に顔を強張らせてミーヤを見るが、ミーヤも言葉もなく、ぶるぶるぶるぶる左右に首を振るだけだ。


 立ち尽くす2人の間でうめく2人の男。


「あ、あの、侍医を呼んでまいります、お二人を見ていて下さい!」


 先に我に返ったミーヤがそう言って急いでその場から走り去る。

 ヌオリは何もできず、ただ呆然と2人の仲間を見下ろすだけだった。


「おい、おまえ、なんかやっただろ」


 扉の隙間から外を覗いていたアランがシャンタルに言う。


「うん、なんだかよろしくない会話が聞こえてきたから、念のためにミーヤに守りの魔法をかけたよ」


 そう、シャンタルの、


「悪いことしてこようとする人は痛くなるように」


 の魔法だ。


 あの時、ミーヤは扉のすぐ前まで来て声をかけようとしていた。アランがその気配を感じ、誰が来ているか確認するために扉の前まで近寄ったのだが、あんなことになってしまい、薄く扉を開いて様子を見ていたのだ。


「おい、よくやったな。下手すりゃミーヤさん、怖い目に合うとこだった。てか、このへんがえらいことになるとこだった」


 そう言いながらアランがちらりとトーヤを見た。

 トーヤの目が剣呑けんのんに光っている。


「やっべえよなあ、トーヤ、死神に戻りかけてんじゃん」


 ベルがブルブル震えながら小さくシャンタルに耳打ちする。


 トーヤにはヌオリたちが何を考えているのかが分かっていた。おそらく、八年前にミーヤがトーヤの世話役だったことをどこかで耳にして、その時にいかがわしい仲ででもあったように考えたのだろう。


 いや、きっと違う。自分はそんな話を聞いたこともなかったが、きっとミーヤは八年前からそのような下衆な噂を囁かれ続けていたに違いない。もしかすると侍女仲間からもそのような言葉を投げられ、傷つけられていたかも知れない。


 トーヤはもちろん、今ミーヤに絡んできた3人の男に対しての怒りでどうにかなりそうではあったが、それ以上に自分の事が許せないと思っていた。自分の存在が、この宮で静かに神に仕えていたミーヤの身の上にどれほどの影響を与えていたのだろう。キリエから、セルマが自分との関係を怪しむ発言をして、それも懲罰房に入れられた理由の一つだとは聞いた。だが、それ以上のことをミーヤはこの八年、耐え続けてきたのだろう。それを思うと、自分の存在自体を忌まわしいと思ってしまった。

 

「違うよ」


 突然シャンタルがそう発言した。


「うん、違うんだよ。ミーヤはそんなこと苦にもしてない」


 トーヤはまだ怒りに燃える目を、ソファに座っているシャンタルに落とした。


「ミーヤが本当に苦しいことはそんなことじゃない。それ、分かるでしょ? だから、そんなことは考えなくていいから」

「な、なに言ってんだよ」

 

 ベルにはシャンタルが何を言い出したのかがさっぱり分からなかった。ただ、今はトーヤが思わず部屋を飛び出さなかったこと、そのことにホッとしていた。

 もしもあの男たちが倒れなかったら、トーヤはきっと後先考えずに飛び出して、下手をすると相手の命すら奪っていたかも知れない。それだけはよく分かった。そうならずによかった。


 と、


「お、おい、ちょっと、シャンタルどうしたんだよ」


 ベルがそう考えている目の前で、シャンタルがソファの上に崩折くずおれた。


「う、うん、いや、なんだろう、ちょっとすごく疲れた……」


 以前からこの魔法を使ったら疲れると言っていたシャンタルだが、いつもはそう言いながらも飄々ひょうひょうとして、特に疲れた風にも見えなかったのに、今は顔色をなくして苦痛に美しい顔を歪めている。


「おい、だいじょうぶかよ!」

「なんだ、どうした?」


 アランが扉のところから外を見張りながら、背後を振り向いて心配する。


「うん、大丈夫……」

 

 そう言いながらシャンタルがソファの上で気を失った。

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