3 道を示す者

 神官長がただただ震えていると、マユリアは続けてこう言った。


「すぐに返事をしてやれなかったのは、わたくしがこうして表に出るのが難しい状態にあるからです」


 神官長はただ黙ってマユリアの言うことを聞いているしかできない。

 いや、この方は本当にマユリアなのか?


「今はこれしか言うことはできません。ですが、ちゃんとおまえの声は届いている。それだけは伝えたくて声をかけました」


 マユリアがこれまで向けてくれたこともないような、そんな包み込むような優しい笑みを神官長に向けてくれた。


「マユリア……」

「これからも少しずつ、色々と話していきたいと思っています。力を貸してくれますね」

「は、はい!」


 マユリアはそれだけ言うと、ふわっともう一度微笑み、すうっと目を閉じてしまった。


 神官長が目を閉じてしまったマユリアをじっと見つめていると、やがてマユリアはもう一度ゆっくりと目を開け、ほんの一瞬、少し驚いたような顔をしてから、いつもの表情を神官長に向けてきた。


 それはいつものように美しく、慈愛に満ちた微笑みではあったが、決して神官長に親しみを表す表情ではなかった。


「どうしました」


 マユリアは、ほんの少し戸惑うようにしながらも、いつもの笑顔で神官長に尋ねる。


 それはとても美しく、見るだけで頭がぼおっとするような、そんな笑顔であった。

 だが、さっきの神官長に向けられた笑顔とは違う。同じ美しい笑顔でも、そこに乗せてくれた特別な心情がないことが分かった。自分に特別の想いを持ってくれている笑顔ではないということが。


「いえ、なんでもございません」


 神官長は、この方はあの方とは違う、違うマユリアだと思いながら丁寧に礼をした。


 それからも何回かマユリアに面会をする機会を得たが、あのようなことはなかった。

 あれはもしかしたら、精神がまいってしまっていた自分が見た幻想だったのではないか、そう思うようになった頃、二度目の出会いがあった。


「ひさしぶりですね」

 

 ついさっきまでいつものように話していたマユリアが、いきなり黙り込んだと思ったら、顔を上げてそう言ったのだ。


「あなた様はまさか……」

「覚えていますよね、わたくしのことを」


 では、あれは夢でも幻想でもなかったのだ、事実だったのだ。


 神官長は感動のあまり震え、床の上に崩折れた。


「今もまだ、あまり長く話すことはできません。ですが、少しずつ長く話せるようになるでしょう。今はただ、おまえのことを覚えている、これは夢ではないのだ、それを伝えたくてこうして表に出てきているだけなのです」

「表に……」

「ええ、そうです」


 マユリアは神官長に親しい深い笑顔を見せると、前回のようにすうっと目を閉じた。


 神官長は前回のことを思い出し、急いで椅子に座り直した。あの時のように、いつものマユリアがご自分を取り戻すはずだ。その時に床の上では妙に思われることだろう。


 思った通り、マユリアはすっと目を開けると、前の時と同じく一瞬だけ不思議そうな表情を浮かべた。


「それで、さきほどの続きなのですが」

 

 神官長は、まるでさっきの瞬間がなかったかのように、自然につながるように話を続けた。


 こうして短い対面を繰り返すうちに、少しずつこちらのマユリアが表に現れる回数が増えてきた。


「おまえのことは覚えていますよ、もう少し待っていてください」


 いつもそうとだけ言って消えていくマユリア、だがそのお方こそ自分の主、神官長は次第にそう思うようになっていった。


 もちろん、シャンタル宮におられるマユリアも尊いお方、主である。だがそれは、中のあの御方がおられるからこそなのだ。神官長の意識はそう変わっていった。


 そしてある時、突然それは起きた。


「これは……」


 いつものようにマユリアの目がすうっと閉じ、またお声をいただける、そう思った瞬間、神官長は今まで見たことがないような空間にいた。


 そこは上も下もなくただ光に包まれたような空間だった。そう、ちょうどトーヤたちが女神シャンタルに召喚されたのと同じような空間、気がつけば神官長はそこにただ一人立っていた。


「恐れることはありません」


 優しい声がして、その方向を見るとマユリアが優しく微笑んで空間に浮かんでいた。


「ここは、わたくしの空間です。やっとおまえをここに呼べるまでになりました」


 美しい主はそう言ってふうっと目を閉じ、少し上を向いた。


「ここでならいくらでも話ができます。もちろんいつまでもというわけにはいきませんが、これからは『あの者』に気づかれることなく、おまえとの時間を持つことができるようになったのです」


 神官長は感激して涙を流した。


「どうぞなんなりとお申しつけください、私はあなたの忠実なる下僕しもべです」


 そうして女神マユリアは美しい国、本当の女神の国を作りたいと神官長に打ち明けた。


 それは、若い頃から神官長が夢見ていた国そのものであった。


何故なにゆえ同じ一組の夫婦からしか次代様がお生まれではなくなっているのか。それは慈悲の女神シャンタルのお力が衰えているからなのです。今のままではこの国は女神の慈悲を失うことになります」


 そのためにどのようにすべきか、女神マユリアは神官長に語り、神官長は己が進むべき道を知った。

 

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