13 自分で考える
「それでは、あのトイボアという男はディレン船長と一緒にアルロス号に戻ったのですね」
「はい」
ここは侍女頭の執務室、トーヤの思った通りキリエとルギは元王宮衛士の男の様子を隠れて観察していた。
部屋を仕切るようにひかれた何枚もの紗のカーテン。あの内側、シャンタルのすぐ背後に2人は控えていた。2人からは謁見の間の様子がよく見えるが、謁見の間からカーテンの内側は見えないのだ。
トーヤはおそらくそうではないかと考えていた。初めてあの部屋で先代と対面した時、やはりキリエとルギはそこで話を聞いていたからだ。
「またアラン殿とディレン殿に様子をきいてみなければいけませんね」
「はい」
マユリアが神官長の提案した「女神マユリアとシャンタリオ国王の婚姻」を承知すると言った。キリエが少しの間待ってほしいと懇願して猶予をいただいたが、もしもここで神官長が交代の日を決めたなら、すぐにもマユリアは受け入れると言い出すに違いない。
今のところ、神官長に直接会って何かを命じられただろうと思う者で、接触ができたのはトイボアだけである。おそらく「冬の宮」で人生を終えた元王宮侍女と同じように、役目を終えたらその存在を消すことで神官長とのつながりを断つように洗脳されていたのだろう。だが、たまたまアーリンとハリオ、そしてディレンと出会ったことで、思いとどまらせることができた。
「一番恐ろしいのは、自分で何かを考えられなくなることです。あの王宮侍女であった者も、トイボアと申す王宮衛士も、自分で考えているつもりでうまく神官長に誘導されていたのでしょう」
「私もそうではないかと思います」
「恐ろしい手を使うものです」
まさかあの神官長が、そんなことまでできるとは、キリエやルギだけではなく、誰も想像することもできなかっただろう。
「一体、何が神官長をそこまで動かしたものか」
トーヤたちはあの光、女神シャンタル本人と直接話したことでキリエたちが知らぬことを知ることが出来た。そのトーヤたちにも、おそらくマユリアの中に巣食う何者かが神官長を動かしたのだろうと推測するところまでで精一杯だ。キリエとルギには予想もできなくても当然だろう。
「とにかく今は、あの者が少しでも心を開き、証言をしてくれると信じることしかできません」
「はい」
「それから、リュセルスの民の様子にも気をつけてください。本来ならば、衛士の役割は宮の中のことのはずですが、あなたの元で統制の取れている衛士の手も必要となるでしょう」
「承知いたしました」
宮に届く陳情書は増える一方で、リュセルスももちろん落ち着く気配もない。
「それにあのトイボアという元王宮衛士が影響を与えている。おそらく、他にもまだそのような者がいるのでしょう。1人でも多く、そのような者を見つけて止めてください。できればトイボアのように考え直してくれればなおいいのですが」
「だめな場合は拘束して取り調べを行います」
キリエはルギの言葉に無言で答えた。仮にも慈悲の女神の侍女である者が、それを良しとするとは言えない。だが、それしか方法がないことも分かっている。
トイボアは船に戻ってからも何かを考え続けていた。ディレンに言われた言葉、よく自分で考えろと言われたことがトイボアに考えることをさせた。
思えば、神殿に行き、神官長に苦しさを訴えてからは、自分のやるべき道を示されることで心が軽くなり、使命感を持ってただひたすらまっすぐにあるき続ければよかった。それこそが自分の道であると信じて歩いていた。そして、使命を果たし、目的を果たしたら、この命を天に返すことで自分の人生を全うできる、そう思っていた。
それが、あの時広場で会ったハリオに力でねじ伏せられ、思わず自分が元王宮衛士であること、どんな目にあったかを口にして、ただただ話を聞いてもらっただけで終わった時、ほんの少し、心の中に隙間ができた気がしたのだ。
もしも、自分が使命を終えた時には、もう一度会って最後の時を一緒に酒でも飲み交わしてみたい。そんな気持ちになった。
もしかしたら、もう少しだけ自分のことを話したいと思ったのかも知れない。
そう思って、覚悟を決めてハリオが借りているという家を訪ねたら、今度はディレンに会った。自分と同じ絶望を知る目をした船長に。その絶望を乗り越えた人に少しだけ待てと言われ、そうしてみようかと思えた。
ハリオもディレンも自分に何かをやれと命じることはない。ただ、話を聞いて、時間をくれた。それだけだ。
道を示され、それに従って歩くのはある意味楽だ、そして示された場所に到達すると満足感もある。
自分で考えるのはある意味とてもむずかしい。自分はこの何年か、自分で考えることを放棄していた。何かを考えると、どうしても、去っていた妻子のことを考えてしまうからだ。
今も考えると苦しくなる。だが、そんな時はディレンに教えてもらったように、船べりから沖を見て、どこまでも続く海を見ることにした。海はどこまでも広く、終わることなく波を送ってくる。繰り返す波を見て、色々なことを考えるようになった。
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