24 慈悲の雨

「お、おまえ……」


 トーヤがあんぐりと口を開けたまま動けなくなっていると、横から大爆笑が響いてきた。


「あははははは、ああ、楽しいね。トーヤ、ベルの勝ちだよ。ここは黙って見てるしかない」


 シャンタルである。

 

 トーヤはシャンタルの様子にも驚く。元々「能天気の親玉」とトーヤが言うほど、見た目は何も考えていないとしか見えず、楽しそうにはしていても、こんなに爆笑するような姿は見たことがなかったからだ。それも、こんな特殊な状況で、だ。


「うん、ベル、続けて。それで、どうして私だけがこんな風なのか、やっとその謎が解けるんだよね? 楽しみ」


 シャンタルが、自分自身のことだとまるで分かっていないような様子でそう言うもので、トーヤはますます言葉を失うが、


「おう任せとけ! そんじゃ続き頼むぜ!」


 と、ベルがこちらも祭りの先導のように合点と請け負うもので、ますますこの場が何なのか不明な状態に拍車がかかったように思える。


 その時、


「あっ!」


 思わず皆がそう言って上を見上げる。


 見えない天井から見えない床に向かい、キラキラ、キラキラと、何か温かい物が降ってくる。


「これは……」

「これ……」

「ああ……」


 3つの声がした。


 最初のはトーヤだ。


「あの時の……」


 八年前、人形のように反応のないシャンタルに「お茶会」で毎日話しかけていた時、ダルに失恋をしたリルが間違えた道に進まぬよう、シャンタルが降らせた慈悲の雨だとトーヤは感じた。


「ええ、あの時の……」


 ミーヤもトーヤの言葉に答える。自分の道を誤る考えを反省し、シャンタルの慈悲に救われて泣くリルの背をさすってやりながら、その雨はミーヤにも降るかかってくれていた。


「温かかった……」


 リルが目を閉じてそうつぶやく。閉じた目からすうっと一筋、涙が流れた。

 あの時、自分はこの雨に救われた、誤った行動を起こさず、誤った道へ進まずに済んだ。

 今の幸せはみな、そのおかげだ。

 身を持って知っているリルの心にまた慈悲の雨が染み込む。


「うわあ……」

  

 ベルが紅潮した頬で見えない天井を見上げ、そんな声を思わずもらした。

 

 ベルは両手を挙げると、胸を開き、目を閉じて全身で慈悲の雨を受け止める。


「なんだろう、すごく懐かしい……」


『これはあなたたちの心をわたくしが受け取ったもの、それを返しているのです』


「俺たちから?」


『その通りです』


 光がトーヤの言葉に答える。


『人の心は与えることによって相手からも受け取ることができるのです。あなたたちの心によって、今、この場は今までにないほど安定しています。あなたたちが心を許し、微笑み、幸せを感じているからです。その心がわたくしにも力を与えてくれたのです。ありがとう』


 光の感謝の言葉に合わせ、またキラキラと慈悲の雨が降った。


「なんかすげえ懐かしい気がする……」


 ベルが目を閉じて雨を受けながらそう言うと、


『そうでしょうね』


 光が微笑みながらそう言った。


『ベルの生命の種は元々、わたくしの慈悲の世界で生まれたもの。慈悲から生まれた生命の種、懐かしい母の胎内に戻ったように感じても不思議ではありません』


「そうなのか!」


 ベルがパッと目を開け、満面の笑みを浮かべた。


『思えば、それこそが童子の役目なのかも知れません。地に降りて人々に慈悲を与え、心に慈悲の雨を降らせることが』


「フェイ……」


 ミーヤが小さくつぶやき、フェイと共に生きていた時間を思い出す。


「確かに幸せでした。フェイはきっと、キリエ様が私とトーヤを見張るために付けた者だろう、そう思いながらもフェイと心通わせ、親しくなり、あの声で名前を呼ばれるのは幸せでした」

「そうだったな……」


 トーヤも思い出す。


「そういや、最初のうちは遠慮してるような、そんな感じだったフェイが、途中から誰の影響なんだか、えらく説教してくるようになったっけかなあ。トーヤ様、そんなことをしていると行儀が悪いですよ、トーヤ様、そんなことしているとまた誰かさんに怒られますよ、ってな」

「まあ!」


 トーヤの言葉にミーヤがそう言って怒って見せるが、さっきのような険悪な言い合いではない。皆もそれが分かって大笑いした。


「フェイちゃん、最初はちょっと緊張してたけど、すぐにみんなに慣れたよな」

「そうだったなあ。俺にもすぐにダリオ様って寄ってくるようになってた」

  

 ダルとダリオも懐かしそうに思い出す。


「自分から前へ出てくるような子じゃないのに、トーヤが酒飲んでひっくり返った時にはあんなこと」

「ああ、そうだったなあ」

 

 ナスタとサディがそう言う。トーヤのカップに自分の青いリボンを結んだ時のことだ。


「あんなことって?」


 ハリオが意味が分からずきょとんとしていると、


「俺もその話は知らんな。また後でゆっくり聞かせてもらうか」


 と、ディレンも言う。


「ええ、ぜひに」


 ミーヤが微笑んでそう返した。もうすっかりいつものミーヤだ。


「フェイ、さすが俺の第一夫人だ」


 トーヤの言葉にもミーヤが優しく微笑んで返す。


「すげえな、フェイ!」


 ベルがはあっとうれしそうに息を吐き、


「名前が出ただけでこんなにみんなを明るくしちまった! さすがおれと同じ童子だ!」


 と言ったので、慈悲の雨に笑いの風が心地よく吹いた。

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