18 知りすぎた男

 ヌオリとライネンは王宮から神殿へと移動すると、今度は神官長に面会を求めた。


「今日も王宮に行かれたのですね、何か進展はございましたか?」

「いや、それが相変わらず。取り付く島もありません」

「それでも今日は陛下への手紙を預けることができましたからね、それが届けばいいんですが」


 ヌオリが嘆くようにそう言うと、ライネンが慰めるように言い添えた。


「そうですね、届くとよろしいですね」


 神官長はそう言いながら神官が持ってきたお茶とお菓子を2人にすすめた。しっとりと焼き上げた柔らかくふわっとしたカステラ生地に、白いアイシングがとろっとかかっている。いかにも高級そうな菓子である。お茶も金色に輝く最高級のハーブティーだ。

 以前の神殿ならばあるはずのなかった最高級の菓子とお茶、神官長はそのとっておきを出して2人をもてなすが、普段からこの程度のものは食べ飽きている2人は、特別にもてなされているとも感じていないようだった。

 神官長はそれを感じ取り、心の中で苦笑をした。貴族というものが、どれほど神職の者たちを気に留めず、贅沢三昧の生活をしてきたのかをあらためて実感する。


「ではお参りを」


 神官長が出した菓子とお茶にはほとんど手を付けず、適当に時間をつぶした後、ヌオリとライネンはそう言って、あの不思議な御神体がある本殿へと入っていった。


「お帰りの時には神官にお知らせください」


 神官長は2人にそう言って丁寧に頭を下げると面会室へと戻った。


 テーブルの上に乗っているフォークで1つ2つ角の辺りが崩された菓子と、少しだけ口をつけてほとんど残されたお茶を見ていかにも不愉快な顔になり、怒りをぶつけるように2つの菓子をつかむと、まるで餓鬼のようにあっという間に食べつくし、残ったお茶も飲み干す。


「なんという傲慢ごうまんな」


 空になった皿とカップを見下ろし、視線を本殿にいるであろう2人に向けた。


「これだけの菓子をこの国のどれだけの者が口にできるというのか。ほとんどの民が見ることも叶わぬ馳走ちそうもてあそぶようにして捨てるばかりの姿にする。これが貴族か、これが貴族の生活なのか」


 神官長は元々が王都の下町の貧しい家庭の出身であった。父親は雇われの調理師であったが、不真面目な性質で酒を飲んでは仕事をさぼり、雇われてもすぐまた職を失うということを繰り返し、母親が裁縫などでなんとか生計を立ててはいたが、一家はいつも貧しかった。


 兄弟姉妹は多く、神官長はその次男として生まれたが、物心つく頃から本を読むことが好きで、幼い時は母に背負われ、下の兄弟姉妹が生まれてからは一緒に歩いて縫い物を届けに行った先などで目にする本を読ませてもらい、一度で暗記してそらんじては大人に驚かれていた。

 

 そんな一家の中で育ったのでいつも空腹で満足するほど食事をとるということがほとんどなく、もちろん勉強をできる環境になどなかった。長男はまだ幼いうちから住み込みで働きに出されたが、神官長に対しては、どうやら学問の才があるらしい、神官にでもなれればそれなりに将来があるだろうと、王都に住んでいたのを幸い、シャンタル宮の神殿に預かってもらえて現在に至る。


 そんな貧しい家の出であったので、神殿の神官たちの節制した生活を苦とも思わず、朝早くから働く母のそばについていたので冬の早朝からの修行も特別つらくはなく、ただただ、本を読むことができる環境にいることがうれしかった。

 

 そんな人生を送ってきたからであろう、特に地位にも興味はなく、静かに本だけを読んでいられる生活に満足をしていた。もしも、次の神官長を巡る争いに巻き込まれ、仮の神官長などという座に一時的であろうとも座るなどということがなければ、今もまだ静かな生活を続けていたのだろうとの自覚がある。


 それが、どのような運命のいたずらか、仮に座ったはずの神官長の座に、その座を欲しがった2人の相次いでの死のおかげでずっと座り続けることになり、その挙げ句にあのような秘密を知ることになってしまったのだ。


(そうだ、あのようなことさえ知らなければ、今、こんなことにはなってはいないのだ)


 神官長はさっきまで貴族の2人の前にあった皿とカップを汚らわしいものでもあるような目で見たが、もう一度謝るように目を向け直し、


「好きであのように扱われたのではないのにな、すまないことをした」


 とつぶやいた。


 知らなければよかったのだ、このようにうまい菓子を、このように深みのある茶を、そしてあのように恐ろしい秘密を。

 

 あの日、今、ラーラ様と呼ばれる奥宮の侍女、当時のシャンタルの託宣をいただき、神官長は前衛士長ヴァクトと共に王都のある一軒の家へと向かった。


 扉を叩くとまだ若い女というよりは少女の声がして、果たして想像していたまだ幼さすら残る一人の女が扉から顔を覗かせた。


 その少女に託宣で告げられた名を持つ者がおらぬかと尋ねたところ、


「あの、私ですが」


 そう答えたのだ。


 あまりの幼さに本当にこの者なのかといぶかりながら、


「おめでとうございます、あなたは次代様の母、親御様として選ばれました。シャンタル宮においでください」


 そう告げると、少女が息を止め、目を見開いたまま動かなくなった。

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