15 笑う

「本当に頑固なのですね」


 セルマは笑ったが、今度の笑みには何かを羨ましく思うような、それでいて憐れむような、愛おしむような、様々な感情が含まれていた。


「いっそ全部捨てて、何もかも忘れてトーヤと共に行っていたら、このような目に合ってはいなかった、今頃どこかで幸せに暮らしていたかも知れませんよ?」

「いいえ、それはありません」


 ミーヤはきっぱりと言い切った。


「あの時、もしも私が全てを捨てて行ってしまっていたら、今頃はおそらく、深い後悔の中にいたことでしょう。どうして自分が定めた道を歪めてしまったのか。自分で自分の運命を損ねてしまったのかと。ですから行かなくてよかったと思っています」

「二度とトーヤに会えなくなるかも知れないのにですか?」

「いいえ」


 またミーヤはきっぱりと言う。


「そうならないためにも私は行かなかったのだと思います」

「そうならないために?」

「はい」

「それはどうして?」

「トーヤは託宣の客人です。天がこの世界を正しい道に導くためにおつかわしになった存在です。ですから私が誤った道を歩めば、もう二度と、トーヤだけではなく、リルやダルやその他の人たちとも言葉を交わすことすらもできなくなるかも知れません。それが私には何よりもつらく恐ろしいことなのです」

「誤った道を進めば……」

「はい」


 ミーヤは曇りのない目をセルマに向けた。


「何が本当に正しいのか、それはきっと誰にも分からないのだと思います。ですが、この道は誤っている、そうだと分かることはあるのではないでしょうか」

「道が誤っている」

 

 セルマが復唱する。


「はい。その道が確かに誤りである、そう思う道は進まないこと。人ができることは多分それだけではないかと」

「進まぬこと」

「本当のことは分かりません」


 もう一度ミーヤが言う。


「ただ、私にできることがそれだけはないか、そう思うと言うだけですが」

 

 セルマは少し考えていたようだが、やがてゆっくりと口を開いた。


「トーヤは傭兵だと言っていましたよね」

「はい」

「ではきっと人をその手にかけ、人の命を奪ったことがあるのでしょうね」

「はい」


 ミーヤは認める。


「それは過ちではないのですか? 人を殺すのは正しいことではない、それを知っていて分かっていて、トーヤは人を殺したのでしょう? まさか敵は人ではない、殺していい存在だ、そう思っていたわけではないでしょう?」

「はい」


 またミーヤは認める


「そんな、分かっていて道を誤った者を、悪いことだと知りながら人を害し、人の命を奪った者を、なぜ天は託宣の客人になど選んだのでしょう」

「私にも分かりません」

 

 ミーヤが首を横に振る。


「ですが、八年前にあった色々なことから、トーヤはたしかにその手を血に染めて生きてはきたけれど、魂は穢れていないのだと思う出来事がありました」

「魂が?」

「はい、そうです。その出来事についてはお話はできませんが、少なくとも天はトーヤの魂を清らかだと判断なさっているのだ、そう思いました」

「魂が穢れていない……」


 セルマが考え込む。


「私も今でも思います。本当はトーヤが傭兵などでなければよかったのに。そのような過酷な生き方をするようなことになどならなければよかったのにと。ですが、過ぎてしまったことを元に戻すことはもうできません。そしてそんな時に思い出すのがあの言葉です。自分を許してやれ、という」

「もしも後悔するようなことがあれば、自分を許してやれ」

「はい、そうです」

 

 ミーヤは自分も思い出すように頷いた。


「人はその時その時一生懸命やったつもりでも、それが必ずしもいい結果を生むわけではない。そしてその一生懸命も、どうしてもその道しか選べぬこともあります。だからそんな過酷な生き方しかできなかったトーヤの後悔は、おそらく私の後悔などとは比較にならないぐらい深い苦しい後悔なのだと思います」

「深く苦しい後悔」

「はい」

「その後悔を抱えながら、トーヤの魂は穢れていなかった、そう言うのですか」

「はい」

「そんな」


 そんなことがあるのだろうか。

 人の罪の中でも一番重いだろうと思われる人の命を奪う、しかも信念も義もなく金のためだけに職業として戦場に出るという傭兵が。


「分からない、なぜよりにもよって」

「分かりません」


 ミーヤが首を振る。


「ですがそうなのですから仕方がありません」


 そう言ってにっこりと笑う。


「おまえは、こんな時でも笑うのですね」

「はい。トーヤの持論です」

「トーヤの持論?」

「はい、トーヤは笑顔を見ると本当のその人が分かると」

「本当のその人?」

「トーヤが言うには、良い人間は良い笑顔、ずるい人間はずるい笑顔、悪い人間は悪い笑顔になると。だけどどんな笑顔をする人間でも、笑える人間はまだいい、笑えない人間は論外だ、そう言っていました」

「まあ」


 なんという男なのだろう、そのトーヤという男。


「そして病の床にあったフェイに、フェイの笑顔はおひさまのようで好きだ、その笑顔を忘れるなよと言いました。そうしてフェイも笑ったのです。ですから、私も何があろうとも笑顔を忘れぬように、そう思っています」


 そう言ってもう一度にっこりとミーヤは笑った。

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