5 野育ちと温室育ち

「その消えた鉢がキリエ様に届けられた鉢だという証拠はあるのでしょうか」

「はい」


 神官長が重々しくうなずく。


「まず私が見ております」

「その花をですか」

「はい。他の花とは違って一鉢だけ真ん中に黒い線があり、そしてよく匂っておりました。それを共に見て、他のとは少し違うようだと話した神官がおります。その時はそれだけで終わっておりましたが、今回のことでその特徴のある花には毒があったらしい、そう知って急いで見に行ったらその鉢がなくなっておりました」

「分かりました、もう御一方おひとかたにも明日にでも話をうかがいに参ります」


 本当のことにしろ作り話にしろ、一応調査はしなくてはいけない。


「それで、その鉢をエリス様たちが持ち出した、そう思われる根拠はどこにあるのでしょう。それもセルマ様が持ち出された可能性もあるのではないですか」

「それはもちろんございます」


 神官長が認める。


「それにエリス様と侍女のベル殿が神殿に出入りするようになったのは、キリエ様が寝付かれた後だったはずです。体調を崩された翌朝には、もうその花は部屋にあったとのこと、エリス様たちには持ち出すことは不可能では?」

「まずセルマではないだろうと思う理由ですが、セルマは裏庭には来たことがございません」

「ほう」

「というか、庭もおそらく見たことがないのではないかと」

「そうなのですか」

「はい。何しろセルマは生真面目ですからな、用向きで神殿に来た時にそのあたりを散策、などするような性格ではないのです」


 嘘ではないとルギにも分かった。

 セルマはそういう人間だ。


 だとすると、神官長がその存在を知っていて教えて使わせたとしか考えられないが、その証拠はない。


「一方」


 ルギの考えを遮り神官長が続ける。


「エリス様ご一行のルーク殿、いや、今ではトーヤという元『宮の客人』が、歩行訓練と称して何度か神殿まで来ております。その時にあのミーヤというけがれた侍女が――」

「そのような決めつけはいかがかと」


 ミーヤへの言葉にルギがぴしゃりと言う。


「失礼、では、ルークの正体を知りながら力を貸していたあのミーヤという侍女がですな、付き添って一緒に来ておりました。他にもあのベルというエリス様の侍女と名乗っていた女、それから同僚の護衛という、そう、今日逮捕されたアランという男も」


 あえてエリス様ご一行とそれに関わった者を貶めるような話し方をする。

 ルギは不愉快には感じたが、もちろんその心の内を顔に出すようなことはしない。


「今ではあのルークと名乗っていたトーヤ、あの者がケガなどしていなかったことは明らかになっております。では、何のために神殿にまで訓練と言って足を伸ばしておったのか。考えるまでもないのではないですか?」


 この点は神官長の言う通りだ。

 トーヤたちは神官長が怪しいと踏んで調べていた。そのためには神殿の周囲、裏庭や温室にも行っていると考える方が自然だ。トーヤはそのあたりぬかりがないだろう。

 

(もしかしたら)


 ルギの頭にある考えが浮かぶ。

 

(その時にあの毒の花があることを見ていたのか。それで街でも手早くすり替える花を間違えることなく買うことができたのかもな)


 ルギはあらためてトーヤを恐ろしい人間だと思った。

 いや、自分にあの必死の目で訴えかけてきたベル、あの少女ですら、その程度のことを難なくこなすと思われた。

 それにトーヤの弟子だというアラン、まだまだ若いがもしかするとトーヤが二人いると思ってかかった方がいいのかも知れない。


 それにディレン船長もいる。あの人も只者ではない。 少なくともハリオのような普通の人間とは少し違う、かなりの曲者だ。


 彼らがやったこと、どれ一つとってもこのシャンタリオという温室の中で生まれ育った自分たちには到底できない芸当だと思えた。


 たった一人でこの国に流され、乗り切って先代をアルディナに連れ出し、約束通り戻ってきたトーヤ。

 幼い頃に家族を亡くし、その後トーヤたちと一緒に戦場で生き、信頼して大海たいかいを渡って付いてきたアランとベル。

 その身を投げ出してでも愛する女との約束を貫き、トーヤたちを助けようとするディレン。

 

 厳しい運命の元に生きてきたと思っていた自分ですら、本当はこの女神に守られた国の中にぬくぬくと生まれ育った甘やかされた存在に過ぎないということなのか。

 

 考え込む風のルギを神官長が静かに見つめ、返事を待つ。

 ルギもそのことに気がつき、さきほどの質問に答えた。


「確かに」


 それを聞いて神官長が陰のある笑いを浮かべる。


「何をどう確かと思われたのか」

「神殿を調べていた可能性はあるということです」


 ルギの答えに神官長がやっと満足した笑みを浮かべる。


「では、あの花はエリス様ご一行がキリエ殿に届けた、それでよろしいですかな」

「いや、それはおかしい」

 

 ルギが異議を申し立てる。


「なぜです?」

「キリエ様の不調をエリス様たちはすぐには知っておりません。ですがあの花はキリエ様がご不調になって寝付かれた夜から朝の間に届けられています。不可能だと思いますが」

「そうでしょうか」


 神官長が瞳を光らせる。


「そもそもキリエ殿が寝付かれる原因を作った者、その者ならばすぐに花を届けることもできるのでは?」

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