6 焦りの原因

「キリエ様が寝付かれる原因をエリス様御一行が作った、そのようにも聞こえますが、そもそもは血圧が上がられての不調とのことでした」


 ルギの言葉に神官長が薄く笑いながらゆっくりと首を左右に振る。


「本当にそのようなこと、信じておられるのですかな?」

「とは?」

「そもそも最初のお加減が悪くなったということ、それがすでに誰かの仕業しわざということも」

「つまり、それもエリス様ご一行の仕業であった、そうおっしゃっておられる」

「いえいえ、誰の、とは申しておりません。ですが、神殿の温室にあった、今は失われた花の鉢、あれを持ち出した目的がキリエ殿を寝付かせることだとしたならば、最初のきっかけを作ることもあったのでは、と申しております」


 よく言うものだとルギは心の中で舌を巻いた。

 すでにそのこともセルマが怪しいという話になっている。

 話を聞いた食事係の証言だけでは決め手にはならないので黙っているだけだが、ほぼ間違いはないだろう。


「ですが」


 神官長が黙っているルギに向かってまた話を続ける。


「その怪しい花もすでになく、今となってはどれもこれも可能性でしかありませんな。私ともう一名が見たあの花も、本当にただ少し違うだけの毒のない花だったかも知れません。そしてキリエ殿のご容態も、侍医の申す通り血圧が上がってのことだったかも。今確実なのは、今残っているものは、あの香炉と中で燃された物、それだけです」


 確かにそうだ。

 

「そして、それをあのご一行が知っていてキリエ殿の体に良い物を差し入れたという事実。つまり、私はあくまで聞いたこととして知っていることを、あの者たちは実際に分かっていたということだけです」


 ああなるほど、そこに話を持って行きたかったのかとルギが心の中で納得する。


「そこから考えるに、やはりキリエ殿の最初の不調はあの者たちの仕業なのでは? そしてセルマは焦る気持ちからそこに便乗をしただけ、もしもキリエ殿が不調にならねば、セルマはあんなことはしなかった。セルマがやったと仮定して、ですが」

「それなのですが」


 ルギはさっきから気になっていたことを口にする。


「セルマ様が何をそれほどに焦っていたとおっしゃりたいのでしょう」

「それはもちろん、一刻も早くマユリアの信頼を得たかったからです」

「そこなのです。なぜそれほどに焦る必要があるのかということです」


 ルギが淡々と続ける。


「さきほども申しましたが、ただひたすら誠実にお仕えすればマユリアもやがて心を開いてくれましょう。実際にキリエ様があれほどの信頼をいただいていたのはその結果かと」

「時間がございません」

「時間?」

「はい、当代マユリアはもうじき任期を終えて人に戻られます」

「たとえ代替わりがあったとしても、次代マユリア、つまり当代シャンタルに信頼を得ればよいのではないのですか?」

「それでは意味がありません」


 神官長が意味ありげにそう言ってゆるく笑い、軽く左右に首を振る。


「意味?」

「はい」

「ますます分かりませんな」


 ルギの言葉に神官長が真顔になり、ぐいっと上半身を乗り出す。


「シャンタリオは女神の国です」


 この国では誰もが知っている当然のことを、神官長は至極至極真面目に、真正面からそう言う。


「シャンタリオは女神の国なのです」


 ルギが黙っているとまたそう続けた。


「ご存じですよね?」

「ええ」


 ルギも仕方なく短くそう答える。


「二千年の長きに渡り、女神シャンタルがこの国を治めてくださっている」


 また当然のことを言う。


「女神が治める国」


 一体何を言いたいのか。

 さすがのルギも困った表情になる。


「女神が治める国なのです」

「ええ、ぞんじております」


 ルギの言葉を聞き、神官長が言葉を止めてじっとルギの顔を見つめる。


「女神が治める国」


 もう一度ゆっくりとそう言ってからこう続けた。


「果たして本当にそうでしょうか?」

「え?」


 ルギが思わずそう答える。


「女神シャンタルの御加護ごかごのある国、それはもちろんそうですが、治めているのはどなたです?」


 ここにきてルギにもやっとうっすらと、神官長が何を言いたいのかが分かった気がした。


「治めているのは国王陛下、さようですよね」


 ああ、やはりそれが言いたかったのか。

 うっすらと分かったことに形をつけられた気がした。


「おかしいとは思われませんか? 女神の治める国と言いながら、二千年の間、実際に統治していたのは王家の直系、男の王です」

 

 ルギは返答に窮してしまった。

 

 そんなことを考えたこともなかった。

 女神シャンタルはシャンタル宮に、王家は王宮に、それは当然のことで疑問など抱いたことなどなかったのだ。


「おかしいと思いませんか?」


 もう一度神官長が尋ねる。


「女神の国は女神が治めるべきです」


 気弱そうな、自分の考えなどないような、人の意見に風が吹くと流れる柳のように揺らぐようにしか見えない神官長が、今まで聞いたことも考えたこともなかった言葉を、おそれを知らぬようにきっぱりと言い切る。


「この国を治めるべき御方おんかた、それこそ当代マユリア、歴史上最も美しく、最も気高く、最も尊い女神であるべきなのです」

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